2005年7月30日(土)
8時10分起床。2階のダイニングルームへ下りる。顔見知りがいなかったので、一人でもぐもぐマフィンを食べ、コーヒーをすする。やっぱりこのマフィンだけじゃ足りないが、かと言ってほかに何か食べる気にもならない。9時に出発。今日はポトマック川を渡り、アーリントン記念墓地の北に位置する「Iwo Jima Memorial(硫黄島記念碑)」へ行く。だが、いつも使っているAtlasの地図を持たず、無料で配られている地図を持ったが、載っている範囲が狭すぎて、行き方がわからない。Atlasに書かれていた道を思い出しながら、西へバイクを進める。
本日の走行距離: 9マイル(14㎞) ポトマック川が見えてきたので、その道路から一番近い橋を渡ると、ばっちり硫黄島記念碑にたどり着けた。
さて、硫黄島のすり鉢山で旗を立てているアメリカ兵の写真を撮るかと思った瞬間、大切なことを忘れていた。ビデオカメラの画面に「カードがありません」との表示。あちゃ~、昨日撮った写真をPCに移した後、抜き取るのを忘れた。仕方ないので、テープに収める。このまま、ケネディー元大統領の墓などを見ても、写真に収められないと思い、宿に戻ることに決めた。墓地は何十年後もここに今と同じままで存在しているはずなのだから、また来ればいいさ。
宿に戻り、バイクを駐車。どうやら、土曜日は無料なのか、お金が入れてあるパーキングメーターはなかった。じゃ、僕も遠慮なく路駐させてもらいます。宿にすぐ近くに停め、ヘルメットを置き、今度は歩いてスミソニアン自然歴史博物館へ行く。
自然博物館で、見ようと思っているのはホープダイヤ(Hope Diamond)だけのはずだったのだが、これ以外に何気に興味をそそるものがあり、2時間半もいた。中でもテラノザウルス(通称T-Rex)の化石には圧倒された。
ホープダイヤはちらっと見ただけ
その後、腹が減ったので、博物館を出て、マクドナルドで食事。昨日チャイナタウンにあるマクドナルドで見た価格と今日食べたところのマクドナルドの価格が違う。博物館の中にあるマクドナルドやその付近にあるのが高いのは観光地価格だと思えば、理解できるが、同じワシントンDCなのに、こうも値段が違うとは。
マクドナルドの店員は愛想が悪かった。ここで食べるか、持ち帰りかも聞かず、紙袋に入れたものをくれた。くそっ、なんて態度だ。英語が流暢だったら、文句のひとつでも言っているかも知れないが、何も言わずに受け取った。ああ、日本語で文句を言えばよかったか。
食べ終わり、今度はアメリカ歴史博物館へ足を運ぶ。ここがなかなか楽しめた。まずはアメリカの戦争の歴史。南北戦争、市民戦争等については全然わからないので、簡単に見るだけ。第二次大戦の展示になると、見所が一気に増える。まずはパールハーバー。日本時間では12月8日だが、アメリカは7日。ルーズベルトの呼びかけにより戦争が始まる。やはりアメリカの博物館だけあって、アメリカが経済封鎖をしてたとか、そういう説明はなかった。日本が一方的に奇襲したように感じる展示の仕方だった。まぁ、仕方ないかな。自国を美化するのはどこの国も一緒なのだから。
パールハーバーの後は、ミッドウェー、ガダルカナル、フィリピン、硫黄島、沖縄、そして広島・長崎と流れていく。
ワシントンDCでの滞在は結局足りなかった。航空宇宙博物館ではIMAXを一切見ないで丸一日が潰れたし、アメリカ歴史博物館や自然博物館も思ったより見るところが多かったし、印刷局は、平日しか見られないそうだし。まぁ、これらは次回来るときにも見られるものであるから、残念がる必要はない。また来れば良いだけのこと。来られるように、一生懸命働いてお金を貯めよう。
夕食はまた冷凍食品。Kissimmeeで食べた「Hungry Man」という商品名で、量が多いものである。今回はパスタとミートボール。これがなかなかの美味。ほかの人は、「何じゃこりゃ?」という味かもしれないが、僕はこういうジャンクな食べ物、大好きだ。
昨日知り合ったマコト氏、今朝シャワーを浴びているときに、クレジットカードをパクられたそうだ。しかも財布は無事で、クレジットカードだけという巧妙な手口。マコト氏は普段財布を後ろに入れているが、カードを取られた後は前のポケットに入っていたため、すぐに気がついたそうだ。もし後ろのポケットに戻されていたら、たぶん気づかず、被害にあってから気がつくパターンになっていただろうとの事。う~~ん、恐ろしや。
これから肌身離さず財布を持っておこう。寝るときにもだ。
深夜、イリノイ州で勉強しているマコト氏と話す。20代前半なのに、非常にしっかりした考えを持っており、感心した。今時の若者という感じではない。
色々なことを話しているうちに、年上である僕が、「なるほど、なるほど」と色々なことを学んだ。本当にためになった。本来年上であるはずの僕が、マコト氏にアドバイスとかするのが一般的かもしれないが、僕から学ぶことが無い上に、マコト氏がしっかりしているから、このように逆の現象になった。
マコト氏とまた会う約束をして、3時就寝。
この旅が終わったら、日本語教師以外の仕事を探そうなんて思っていたけど、3割、4割くらいの割合で日本語教師も良いかなと思うようになってきた。台中で働くのかぁ?まぁ、それはそれで良い。
総走行距離:7,265マイル(11,624km)
当時走行したルートと異なる可能性があります
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