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2023年2月21日火曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年8月7日

2005年8月7日(日)

 9時過ぎに起きる。マコト氏はもう起きていて、ネットで調べ物をしていた。

 10時過ぎにMacombの町を案内してもらう。まずは人工池を見せてもらう。池というよりも湖かな。これが人によって作られたとは思えない程自然に溶け込んでいた。次にMacomb空港を見せてもらう。驚きの空港だと言うので、ちょっと期待。

 「もうすぐ空港に着きますよ」と言われ、四方八方を見渡すが、それらしきものは一切見当たらない。ちょっと先にプレハブの倉庫が2、3棟見えるだけだ。その奥にでもあるのかな、と思っていたら、Macomb空港の看板が見えてきた。
 倉庫だと思っていた所こそ空港であったのだ。管制塔もその倉庫のようなところにあり、本当に小さな小さな空港だ。
 滑走路は一応コンクリートで舗装されていた。倉庫だと思っていた所は、自家用飛行機が保管してあるそうだ。さすがアメリカ、おそらく自家用飛行機所持率は世界トップレベルであろう。
Macomb空港。

 空港の概念を覆されたMacomb空港を後にし、今度はエルクを飼っている牧場へ行く。エルクは鹿より一回り大きく、立派な角を持っている動物だ。カナダでは結構みたがアメリカではなかなかお目にかかれなかった。そんなエルクがいる牧場は、地元の人もあまり知らないような場所で、野崎氏が偶々発見したオススメの場所だ。
 牧場に着くとエルクの群れが牧場の真ん中にいた。エルクを飼ってどうするのかと野崎氏に尋ねると、食用との事。あんな可愛いらしい動物を食べてしまうなんて、残酷。。。。。。とは思わない。機会があれば是非食べてみたいものである。動物(犬や兎など)が可哀想だから、その肉は食べないと言いながら、鳥肉、牛肉を食べる人を見ると、突っ込みたくなる。牛だって結構可愛いぞ。

 Bushnellという所で昼食。地元の人しか来ないというファミリーレストラン。こういう所に来てこそ、アメリカの文化が感じられるのだと思う。観光地で食事も良いが、ここでの食事も
 注文したのはジャンボバーガーとポテト。注文してかなり時間が経ってからやっと料理が来る。パンにハンバーグが挟んであるだけのものだ。その横にレタスや玉ネギ、そしてポテトが添えてあった。随分シンプルなバーガーかと思ったら、自分で添えてあったレタスや玉ネギ、ピクルスをトッピングするとの事。なるほど、通りでシンプルすぎたわけだ。
 嫌いな食べ物は無い僕は、ケチャップ、マスタードをかけて全部挟んで、大口でバクリとかぶりつく。おお、マクドナルドやバーガーキングなどでは食べられないパティの味。アメリカのお袋の味と言っても言いのであろうか。いつもいつもハンバーガーを食べているが、今日のハンバーガーは非常に特別なハンバーガーであった。とても新鮮だ。

 昼食が済み、今度はウォールマートへ行く。昨日、ウォールマートの話が出て、世界のウォールマートというものを是非見てみたいと思ったからだ。実は一昨日も行ったのだが、ちらっと見ただけだ。今回はSuper Centerというスーパーマーケットも併設しているウォールマートだ。
 中に入ると、安い安い。こりゃ、地元産業が潰れてしまうなぁ、と思った。

 今、ウォールマートは日本へも進出しているそうだ。名前はウォールマートと出さずに西友の株保有率をどんどん上げているそうだ。Always Low Pricesが日本でも見られるようになるのかな。
 ウォールマートでエンジンオイルを購入。今回はSynthetic Oil(化学合成オイル)なので、若干高め。でもいいオイルを使うに越したことはない。

 マコト氏の寮に戻る前に、モバイル・コミュニティ(移動住宅)なるものを見せてもらう。トレーラーの部分が住宅スペースになっていて、それを牽引しながら移動できるという便利なものである。だが、このモバイル・コミュニティというのはそのトレーラーを定住用にしたものだ。きちんとした住所がないので、家賃が安いらしく、底辺階層の人が住んでいるそうだ。それにあまり喜ばれる存在ではないようで、場所によっては治安が悪いそうだ。

 14時半過ぎに出発。136号線を西へ向かって進む。トウモロコシ・大豆畑の中をひたすら進む。ずっとこのような風景が続くのだが、僕は暇だとは感じない。バイクに乗れている今がとても幸せだからだ。

 Quincyを過ぎてから急に睡魔に襲われる。時間にして約1、2秒、寝てしまうことさえあった。こんな状態ではいつ死んでもおかしくないと思い、どこかで仮眠を取る事にした。幸い8マイル先に一般道のRest Areaのような所(Wayside Stop)があり、そこのベンチで横になり、45分ほど仮眠。この仮眠のおかげで、それ以降眠くなることはなかった。

 仮眠を取ったあと、出発しようとしたが、エンジンが暑くなくなったので、オイル交換をすることにした。今回はオイルを漏らすことなく交換に成功。交換したオイルもSynthetic(化学合成)オイルで、若干高性能である。次の交換はロサンゼルスくらいかな。

 オイル交換が終わり、しばらく走ってオイルドレインのボルトが緩まっていないか確認するために、マクドナルドの駐車場に停車。そして手袋もせずに、ボルトに触ろうとしたら、マフラーに親指の付け根が接触。熱い!と思ったときには、もう火傷をしていた。近くに水道がなくて、仕方なく空気で火傷した部分を冷やす。エンジンも、親指の付け根も空冷だ。

 Lake St Louisを過ぎるといよいよセントルイスが近くなる。車線も片側4~5車線になり、大都市に近づいたんだと感じるようになる。大都市を走る高速の出口も1マイル内に数箇所あり、出入りする車に注意しながら走行する。

 宿に20時過ぎに到着。高速を降りてから、結構迷った。いや、大体の場所は見当がついていたが、高速の入口、出口が近くにある場所で、思うように目的の場所に行けなかったからだ。

 宿に着き、チェックイン。受付のお姉さんは綺麗だった。しかもすごい親切。
 クレジットでの支払ができなくて、しかも現金の手持ちが1泊分しかなかったので、とりあえず一泊分払い、残りは明日払うことにした。20ドルに鍵のデポジット5ドル。

 給油しに近くのGSへ行く。バイクを停め、先に支払おうと店の中に入ろうとすると背の高い黒人が「Hey Man!75セントくれよ」と話しかけてくる。「No、No」と断り店の中に入る。ところがその男もついてきて、レジ待ちしている時に、ずっと「くれ、くれ」と言ってくる。で、レジの方はというと、ガラス張りの カウンターで、こちらが被害に遭ったとしても、レジ側は被害無しといった感じで見て見ぬ振り。怖くなったが、無視し続けたら、あっさり去っていった。

 今日の移動距離、350km。日本であれば、かなりの長距離かもしれないが、最近は300kmくらいは短距離に思えるようになってきた。

本日の走行距離: 219マイル(350km)
総走行距離:9,275マイル(14,840km)
(ルートは暫定的なもの。後ほど修正すると思います)

北米大陸オートバイ旅行-2005年8月6日

2005年8月6日(土)

  8時半に起き、9時前に出発。ダニによる痒さも昨日よりひどくなっており、全身ボコボコになっていた。こりゃヒドイ。こんな所二度と御免だ。

 出発して10マイルほど走ったときに、カメラの三脚を忘れたことに気がつく。10マイル(16km)なら戻っても良いのだが、もう使わないであろう。1ヶ月間で使ったのはほんの数回。安かった三脚なので、別に悔いはない。

 今日はなるべく高速に乗らないようにした。国道43号線を南下して、イリノイ州の境の観光案内所に到着。イリノイ州の地図をもらってルートを考える。セントルイスに直行するか、ワシントンDCの宿で会ったマコト氏が住んでいるマコム(Macomb)に行くか。
 とりあえず、州境で悩んでいても進まないので、Bloomingtonという所の近くにあるRest Areaまで行くことにした。このBloomingtonはセントルイスに行くか、マコムに行くかの分岐点である。ただ、今日は比較的時間があるので、なるべく高速を使わず、一般道(とは言っても名前はHighwayという場合が多い)を使う。今日使った一般道は高速のすぐ脇にある道で、僕のバイクにとって丁度良いスピードが出せる道だ。

 田舎道で信号も殆ど無く、交通量も高速に比べて格段に少ないので、変なプレッシャーを感じず、自由気ままに走れて、気分がよかった。気温もそんなに暑くも無く、ジャケットを着て丁度良い位だった。

 Bloomingtonの近くになったら高速に入る。Rest Areaは高速の中にあるからだ。今までのペースより若干スピードを上げて、高速道路を走る。Rest Areaまでは10マイルなくて、すぐに到着。

 休憩も兼ねながら、ベンチで横になり、ルートを決めようとするが、なかなか決まらない。とりあえずマコト氏に電話をかけて、彼の対応を見て決めようと思い、電話をかけるも出ず。繋がらないのであれば、このままセントルイスに行くのかと、諦めかけてセントルイスまでの道のりをまたベンチで考える。で、ようやくルートが決まり出発しようとしたが、もう一度念のためにマコト氏に電話をかけたら、今度はちゃんと出る。しかもMacombに来てほしいとの事。そこまで言われたら行くしかないでしょう。僕が未熟なため、年下のマコト氏から得るものもあるし。

 さっき考えたルートは廃案。高速を降りて国道136号線を西へ向かう。今日の宿の心配がなくなったので、気持ちが軽くなり、スロットルを開き気味にしていた。
国道136号線は典型的な米国の田舎道

 Macombまでの道のりはあっという間に過ぎ、電話から2時間弱後に到着。GSの公衆電話からまたマコト氏に電話し、Macomb市の裁判所の前で待ち合わせることに。僕は今来た道をまたまっすぐに行くだけなので楽だ。
 電話を切って、すぐに裁判所前へと向かう。だが、裁判所前はどうやらフェスティバルがあるらしく、交通規制があった。なので、裁判所の真ん前で待つことが出来ず、大学寄りの交差点で待っていた。5分後くらいに水色の三菱車がやってきた。中には久しぶりであるマコト氏がいた。

元々の待ち合わせだったMacombの裁判所の風景

 ワシントンDCで会い、またここイリノイ州マコムで再会。なんとも不思議な気分である。人との出会いは本当に不思議である。一期一会、この言葉を思いながら人と接していきたい。一人で生きてゆける人間なんていないのであるから、人との関わりをどう楽しむかが人生においても大切な部分だと思う。

 マコト氏が運転する車の後をついて行き、ウェスタン・イリノイ大学に到着。まずはスケールの大きさに驚き、施設の充実ぶり、学期中は歩道が溢れるくらい学生がいる、などと聞き、さらに驚く。僕が行ってた某S大学は、普段はガランとしたキャンパスで、テスト前とテストの時だけキャンパスが人で溢れるという不真面目な大学であった。歩道が溢れるほど学生がいるなんて、なんて真面目な大学だ。いや、この学校が真面目なんじゃなくて、僕が行っていた学校が不真面目なだけなのであろう。
 校舎の中とかも見せてもらい、数年ぶりに大学生になったような気分になった。悪くないね、こういう学校とかを訪れるってのは。
 本当にすごい、学校内にゴミの焼却場があったり、ゴルフ場だってあるそうだ。しかもマコト氏曰く、この学校はまだ大きいとは言えない。との事。おいおい、これ以上大きい学校ってあるのかい?アメリカはやっぱスゲーなぁ。何事もビッグだ。

 学校案内が一通り終わり、今度はマコト氏の寮へ向かう。僕のバイクは訪問者用の駐車場に置き、いよいよ寮へ。基本一人部屋という1LKの部屋は、一人で住むには広すぎるくらいで、シェアして使っているそうだ。夏の間だけのルームメイト「野崎氏」にも会い、ちょっと会話する。野崎氏は地図のエキスパートで、仕事も地図関係、専攻も地理関係とすごい人なのだ。
 そんなすごい人なのに、人柄も良く、非常に話し易い人だ。

 何ヶ月ぶりであろう、韓国料理を食べた。トゥブチゲ(豆腐チゲ)を注文し、マコト氏はチャプチェご飯を頼んでいた。さすが料理する人が韓国人なだけあって、味もしっかりしており、美味であった。ハンバーガー等もおいしいが、やっぱり僕はアジア人。こういう米料理を食べると落ち着く。しかもご馳走にまでなった。

 夕食後、軽くMacombの町をドライブ。薄暗い空を見ると星がはっきりと見える。完全に日が落ちたらもっと綺麗なんだろうなぁ。光害とか無さそうだ。

 寮に戻り、野崎氏を含めて会話を楽しむ。そのうえビールまでご馳走になった。野崎氏の専門の地図の話やアメリカ人の体臭の話、はたまたトイレの話など、非常に楽しく時間が過ごせた。
 「結論」、肉を食うとどうしても体臭がきつくなるということ。

 マコト氏、野崎氏、本当に感謝しております。3時就寝。非常に充実した一日であった。

本日の走行距離: 341マイル(545km)
総走行距離:9,056マイル(14,489km)

2021年6月22日火曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年8月5日

2005年8月5日(金)

 今日は遅めの起床。最近は7時過ぎに目が覚めるようになった。今日も7時過ぎに目が覚める。しかし、腕時計が東部標準時だったので、ミルウォーキーでは6時過ぎ。もう一度寝ることにした。

 中部標準時の9時に起きて、受付に行き、宿の延泊を申し込むも、予約で空きがないとのこと。うそ~~ん、昨日なんかガラガラだったのに。キャンセルが出るかもしれないから、11時にまた来てくれと言われる。しかし、今日僕はハーレー・ダビッドソンとミラービールの工場へ行かねばならぬ。チェックアウトするために荷物をまとめ、もう一度受け付けに行き本当に空きがないのか聞く。ちょっと多めに払うからと言ったら、その受付は「ちょっとチェックしてみる」と事務所の裏へ。しばらくして「キャンセルが出ると思うので延泊OKですよ」と。本当は予約でいっぱいなんてことはなかったんだろう?まぁいいさ。さすがに35ドルで週末に泊まれるわけないと思っていたのだから。

 延泊が決まると、すぐに出発。ハーレーの工場はミルウォーキー市の北西に位置し、車かバイクがないと不便な場所だ。到着するとハーレーがたくさん並んでいた。この工場を見学する人は殆どがハーレーに乗って来ているようだ。
 中に入るとツアー受付の人が、ツアーの受付と詳細を教えてくれた。胸にツアーのシールを貼り、11時15分からのツアーをロビーで待つ。ロビーにはハーレーのエンジン、新車などが展示されており、これだけでも時間が潰せる。

 11時15分になり、セキュリティチェックとIDチェックを済ませ、防護メガネとイヤホンを装着し工場内へ。工場内は、特別な通路があるわけではなく、普通に従業員が働いてる床を歩く。だからちょっと手を伸ばせば、色々な機器が触れるのだが、触るのは一部を除き禁止。間近に見るエンジンの組み立てや、部品加工。なかなか見られない光景だ。英語が分かれば、ツアーコンダクターの説明がわかり、もっと面白くなったであろう。

 12時30分には工場を出る。非常に楽しかった。今までバイクは日本車だけと決めていたが、もしアメリカに住むような事があれば、ハーレーに乗っても良いかなと思う。アメリカのバイク市場(クルーザータイプに関して)はハーレーが独占していると聞くが、納得できるような気がする。アメリカをツーリングしていると、ハーレーに乗ってみたいという気持ちが出てくる。特に今日みたいに間近にハーレーを見たり触ったりできたら、その気持ちが益々強くなる。

ここにバイクを停めると250ccのバイクが原付くらいに見えてしまう

 13時過ぎ、今度はミラービールの工場へ到着。工場へ到着するとビール醸造の良い匂いがしてきた。工場見学自体は、正直あまり面白いというものではなかった。英語の説明もあまり分からないし。

 だが、見学が終わり、お楽しみの無料ビール。まずはジョッキで一杯。テーブルの上にはミラー社特製のアルミ缶貯金箱とコースターがあったが、僕はコースターだけもらい、貯金箱はもらわなかった。あと1ヶ月、荷物になるだろうし、持って帰っても多分潰れてしまうであろう。

 その後道路を渡り、今度はミラー社が作っている色々なビールの試飲。だが、ここでは2杯までしか飲めない。申し込み時に手首に付けられた紙のリストバンドに、1杯目はペンでバツを、2杯目はそのリストバンドをハサミでちょっきりと切り、もうこれ以上飲めない仕組みになっている。

 ビールを飲みながら「いつからビールがおいしいと思うようになったのだろう」と考えた。子供の頃なんかちょこっと飲ませてもらったとき、「なんじゃこの飲み物。大人はどうしてこんなマズイものをおいしそうに飲んでいるのだろう」と思ったものだ。それが今じゃ、平気でグビグビ飲んでいる。

 結局出た結論は、大学生の時にたくさん飲んで、味に馴染み、仕事をするようになってから、おいしいと感じるようになった、という事だ。仕事で疲れた時に飲む冷え冷えのビールは最高だもんなぁ。大学生の時は嫌いじゃなかったが、特別おいしいと思うこともなかった。

 酔いを醒ますために、昼寝もしたり、色々と今後のプランを考えたりと、この工場には5時間くらい滞在していたであろうか、夕食の時間になっていた。夕食は特に食べたいものがなかったので、Wendy'sで済ます。部屋でモグモグ食べて、あとは日記を書く。

 それにしてもここのMotel、ダニが多いのか、今日は全身痒い。明日チェックアウトなので、我慢我慢。

本日の走行距離: 47マイル(75km)
総走行距離:8,715マイル(13,944km)

2021年6月19日土曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年8月4日

2005年8月4日(木)

 今日は遅めの起床。8時半に起きて、10時に出発。鍵をフロントに返すと、スタッフが「誕生日おめでとう」と言ってくれた。その後、オートバイに関して雑談。本当にフレンドリーな人が多くて、飽きない。

 今日は高速を使わず国道20号線をひたすら西へ向けて進む。ただ天気予報で言っていたように、途中1時間ほど雨に降られた。最初は小雨で、降ったり止んだりだったので、雨具を使わず走るも、かなり本格的に降り始めてきたので、バイクを路肩に停めて雨具を全装備。路肩で装着していた為、親切な人が「あと1マイル行けば、屋根つきの場所があるよ」と教えてくれた。だが、もう教えてもらった時には、グローブを装着するだけだった。

 装備完了。勢いよく走り出し、強くなってきた雨の中をひたすら前方に集中しながら走る。2時間くらい走ったら、太陽が出始めてきたが、遠くの雲はまだ黒かった。雨具を脱がずにひたすら走る。走って走って、雨が降りそうに無いところで、食事タイム。バーガーキングでワッパーを食べる。
 レジの女の子が「そんな格好して暑くないの?」と尋ねてきたが、雨に濡れて高速移動、寒いくらいだった。可愛い女の子だった。

 また降りそうな雲行きだったので、雨具を脱がずシカゴ市内に入る。市内に入ると、ヒートアイランド現象なのか、急に温度が上がったような気がした。汗がタラタラ出てきた。

 シカゴの一番海岸線沿いの国道41号線を走り、シカゴ市内を抜ける。思ったほど混んでいなかったので、スムーズに抜けられた。スムーズに抜けられたせいで、地図を見る暇が無く、市外になった時ちょっと迷ってしまった。進んでいる方向は合っていたが、通りを1本間違えていた。

 シカゴを抜けてからウィスコンシンまで行く道は有料高速が多いが、僕は一切使わずに来た。数ドルとは言え、バイクなら無料の高速道でも全然問題ないし、出せるスピードもそんなには変わらない。現地の人たちが気軽に使っている道なのだし、風景も楽しめるし、その方が良いと私は思う。

 ウィスコンシンに入ってすぐに観光案内所がある。高速道路を利用していると州に入ってすぐに観光案内所がある。そこでその州の地図をもらったり、観光スポットを教えてもらったりと非常に役に立つ。しかし、殆どの場合が17時か18時で閉まってしまう。移動はそれまでに済ましておきたい。


 観光案内所に行くと、人のよさそうなライダーがいた。カナダ人のDoug氏だ。BMWの1100ccのバイクで移動していて、今日彼もミルウォーキーに宿泊らしい。僕のバイクにウィンドシールドがついてない事とたった250ccで移動していることに驚いていた。

 ん?やっぱり僕は雨男なのかな?上記Doug氏と出発地点は大体同じだったのだけど、僕は土砂降りの中走り、彼は全然雨なんぞ降らなかったと。。。。大体同じルートなのに、これほどの差があるとは。

 さて、海外で誕生日を迎えるのはこれで5回目だ。1回目は1997年夏の韓国への交換語学留学プログラムの時。2、3、4回目は台湾在住時。海外で迎えるからと言って、特別だとは思わない。誕生日なんぞ、ただの1日なのだから。
 それより、何かハプニングがあって、嬉しく楽しく過ごせた一日の方が大切だ。

 なぜなら今日、宿探しに苦労したからだ。誕生日だからと言って、ラッキーかと言ったらそうとは限らない。誕生日に何かラッキーなことを期待している人が多いのでは。

 Greendaleにあるユースホステルに電話をかけても全然出ない。おかしい、おかしいと思いながらも、直接宿まで行くことに決めた。所が、宿に行ってみると閉鎖されていた。その他の安宿に電話をかけるも、やはり、つながらない。結局国道沿いのちょっと寂れたMotelに泊まることにした。税込み25ドルと良いお値段。ここだ、と思い、宿泊したい旨を伝え宿泊手続きへ。だが、このMotelの受付、アホだ。僕の国際免許証を見て、「読めないから宿泊はダメだ」と言う。英語のページを開き、見せても、「よくわからないからダメ」と。アホなんちゃいますか?

国際免許証を見せて文字が読めないからと宿泊を断られたMotel

 こんなアホがいるMotelはすぐに切り上げて、次のMotelを探す。丁度このアホなMotelの向かいにもMotelがあったので、事務所に入ってみると、税込み35ドル。部屋に電話はないと言うが、そんなものは僕には関係ない。公衆電話を使えばいいのだから。
 ところが、このMotel、無線LANが使えた。あまり電波の送受信状況がいいとは言えないが、メールチェックくらいであれば、問題ない。
パッとみてなかなか良さそうなMotelなのだが、
翌日起床してみるとトンデモナイことが・・・・

 部屋に入って、テレビのチャンネルをまわすと、アダルトチャンネルが・・・・。今まで、こんなの流れる宿、泊まったことがなかった。チェーン店のMotelじゃ、流せないか。

 腹が減ったので、飯を買いにちょっと北上。スーパーに入るも、良い物が無かったので、冷えたビールを買い、近くの中華料理屋で炒飯を買う。熱々の炒飯をつまみながら、ビールで一杯。これで、好きなときに寝られれば、幸せだ。

本日の走行距離: 287マイル(459km)
総走行距離:8,668マイル(13,868km)

2021年6月16日水曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年8月3日

2005年8月3日(水)

  8時10分起床。身支度をして9時前に出発。出発の朝のスケジュールは大体いつもこんな感じだ。しかし、今日は腰が痛い。ちょっとでも前かがみになると、痛む。

 早速レインボー橋を渡り、一気にカナダ入国審査へ。簡単な質問「どこへ行くんだ、滞在日数は?」というのに適当に答えて、すぐに審査終了。早いなぁ。
ナイアガラの滝の近くにかかっているレインボーブリッジ

 そのあとはカナダの道を走る。思ったより寒かった。

 Londonのガソリンスタンドで余ったカナダドルを宝くじにする。8ドル分買ったが、そのうち5ドル当たり、また別の宝くじを買うも、すっからかんに。まぁ、ほんの少しの間だけでも楽しめたのだから、良しとせねば。

 高速道路の路肩は本当に色々なドラマがあると思う。パンクした車、エンストしてしまった車、バーストしたタイヤの破片、車にはねられた動物のしかばね等等。でも今日はよく見る上記の車じゃなく、炎上している車を見た。対向車線が黒い煙に包まれていたので、始め、「ああ、近くで焼き畑農業でもしてるのかな?」と思ったが、なんと車が炎上して消防車による消火活動が始まろうとしていた。じっくり見たかったのだが、対向車線のため、チラッと見て終わり。どこでどうやったらなんな風に燃えてしまうのであろうか。

 事故現場の後続はもちろん渋滞。

 宿がなかなか決まらず、予定より随分と走行して、いつのまにかまた米国入国審査をおこなうサーニア(Sarnia)という町を通り過ぎた。そこではPoint Edwardにある橋を渡るのだが、通行料2ドルした。サーニアを過ぎてしばらくすると、ミシガン州西側に行く道と、南下してインディアナ州へ行く道と分かれているところに差し掛かったときに、インディアナ州方向に決める。なぜなら、ミシガン州のMotel割引クーポンブックがないからだ。普通はRest Areaとかガソリンスタンドとかに大量に置いてあるのだが、ミシガン州については全然そういったものがない。インディアナには結構そのクーポンブックが置いてあったので、インディアナに行くことに決めたのである。

 で、宿はインディアナ州にあるFremontという小さな町にあるのにした。このFremontは小さい町だが、2本のInterstate高速が交わる大きいジャンクションがある町で、レストラン、ファーストフード、宿泊施設は結構充実していた。値段がそんなに高くなかったので、ここに決める。

当時の面影は今や全く存在せず、トラック関係の会社?になっている。この小高い丘の上に立っていたのを今でも鮮明に覚えている。

 宿の女将さんに「IDが必要か?」と聞きながらパスポートを見せると「日本のパスポートを見たことがないから、見せて」と見せる。興味深そうに見ていて「あら、明日誕生日じゃない、おめでとう」と。いえいえ、別に誕生日だからって、特別なことがあるわけじゃないし。。でもその女将さんの誕生日は今日8月3日だそうだ。お互いに「おめでとう」と言い

 夕食は高速を走っていた時に気になった看板「16oz T-ボーン ステーキ 12ドル」と説明があったレストラン。本当に庶民的なレストランなのだが、料理がすごい。16oz(480gくらい)のステーキがたった12ドルだというのに、それプラスでサラダバーもついていて、大食漢にとっては、お得だと思う。残念ながらビールは販売しておらず、ペプシコーラで肉をほおばる。いやぁ~、幸せ。こんなおいしいステーキ、にくお先輩※にも味わってほしいものだ。

 たらふく肉を食べて、ちんたら歩いて宿に戻る。特に何をするでもなく、ボーっとすごし、一日が終わる。200マイルくらいの走行にしようとおもっていたが、結局400マイル以上も走ってしまった。
 腰の調子は昨日とあまり変わらず。困ったもんだ。

※にくお先輩:小生が以前勤めていた会社の同僚

本日の走行距離: 418マイル(668km)
総走行距離:8,381マイル(13,409km)

2021年5月19日水曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年8月2日

2005年8月2日(月)

 8時15分起床。シャワーを浴び、歯を磨き、1階へ。朝食があるとのことなので、頂く。マフィンとコーヒーだ。1ドルと有料なのだが、ワシントンDCのユースの時のような気持ち程度のマフィンじゃなくて、結構大きめのマフィンで、朝食をあまり食べない僕にはちょうど良いくらいだ。

 朝食を済まし、いざ出発。今日は歩きで一日を過ごす。まず向かったのは米国~カナダ間を結ぶレインボー橋。すぐに渡ろうと思ったが、ガイドブックに書いてあったことを思い出す。滝壺の間近まで船で行ける「霧の乙女号」は、カナダ側からだと結構込んでいて、アメリカ側からだとまあまあ空いているとの事。しかも通るルートはまったく同じで、出発位置が違うだけとのこと。
 込んでいて並ぶのは嫌だったので、橋を渡るのを後にして、乗船チケットを購入。11.5ドル。高いけど、これは見学したかったものだから、払う価値はあると思う。

 エレベーターで乗り場まで下り、乗船場へと向かう。その途中、青い合羽をもらう。ビニールで出来た使い捨てタイプの合羽である。これが1年で何百万枚も消費させると思うと、地球さんに申し訳ない。かと言って、拒否するわけにも行かない。拒否したらカメラ、コンピューターがびしょぬれになってしまうからだ。

 よかった。11.5ドル分の価値はあったと思う。あんなに間近で滝が見られるなんて。見られるんじゃなくて、感じられると言ったほうが正しい。滝壺付近では霧で何も見えないからだ。メガネに水滴はつくし、前を見ても霧の中にいるので、何も見えないし。ただ轟音と水しぶきを体で感じることはできた。こんなツアーを考えたアメリカ人かカナダ人、すごい商売根性だ。

 その後、滝の周りをぶらぶらし、いよいよ国境越え。アメリカ側の出国審査は無し。回転式鉄格子を通ったら、もう橋。真ん中あたりが丁度境目なのだが、いつの間にか通過していた。橋の上から見る眺めは格別だ。だが、橋の上から下を見るのは恐怖。そう、僕は高所恐怖症なんです。足がすくんでしまった。
 橋の終わりにカナダへの入国審査があるが、僕の場合バンクーバーで1回入国審査が済んでいる為なのか、入国審査官は僕の情報をバーコードで読み取りもせずに、入国スタンプを見て、「はい、じゃ、どうぞ」と10秒足らずで終わってしまった。
 早っ!まぁ、あれこれ調べられるよりは、こういった感じの方が良いに決まっている。

 カナダに入国し、殆どの観光客が訪れる滝の正面が見られる所へ行く。ここは本当に人が多く、水しぶきも結構あった。霧雨じゃなくて小雨くらいの勢いと言えば良いであろう。ただ、人がたくさんいるだけあって、眺めは本当に美しい。

 滝をしばらく眺めていたら、いつの間にかお昼になっていた。グーグー鳴るお腹を我慢させて、安く食べられるような場所を探す。やはりここは観光地。ちょっとしたレストランとかは高い高い。それに雰囲気が一人で入れるような所じゃない。
 なかなか見つからず、とりあえずすぐ近くにあったカジノ兼ショッピングモールである建物に入る。

 そして、初カジノ。でもギャンブルはしなかった。カナダ側にはすぐにわかるカジノはシェラトンホテル近くのと、タワーの近くにあるのと2つだ。他にも小さいのがあるのかもしれないが、パッと見てすぐにわかるのは上の2つだ。
 で、タワーの近くにあるNiagara Fallsview Casino Resortとか言う所に入る。まずは身分証明書のチェックと簡単なセキュリティチェック。ここの警備員が非常にフレンドリーだった。まずは僕のパスポートを見て「ええ?これ本当にあなたのですか?」と笑いながら言ってくる。次にかばんの中をチェックなのだが、ここでも「ワー、これ、パソコン?DVD?いくら?どこのメーカー?」と色々と質問してくる。とても感じのいい人だった。
 チェックが終わり、手にスタンプをしてもらいやっと中に入る。

 おお、きらびやか。それにブラックジャック等のカードゲームをしているお客が楽しそうにゲームをしていた。トランプゲームは僕はできないので、スロットの方へ行く。だが、始め方がわからず、しばらくブラブラする。どうやら、ここは硬貨がそのまま使える機械ではなさそうだ。25セント硬貨を入れても出てくる。日本のパチスロみたいにお金でその店有効のメダルを買うのか?
 両替するにも5米ドルが必要な感じ。ラスベガスで楽しもうと思っているので、今回はただ眺めるだけにして、出口へ向かう。
 入り口にいた警備員が、僕に向かって親指を立てるGoodのサインをしてくれた。

 カジノ見学が終了して、さらに鳴るお腹に「もうちょっと我慢しろ」と言い聞かせていると「フードコート」の文字が。おお、こりゃ行くっきゃないでしょ。寿司やハンバーガー、ピザなどがあったが、ピザにする。大きめのピザ1枚とコーラ、そしてポテトチップスがついて6.21カナダドル。観光地にしてはまずまずだと思う。味もそこそこだったし。

 腹も満たされて、建物の外に出ると、空中を歩く人影が。。。。なんと隣のビルからこのカジノのビルまで綱渡りをしているではないですか!!!例え高給でも僕には出来ない仕事だ。
 無事にカジノのビル屋上までたどり着いた。ドキドキはしなかったが、無料でこんなアトラクションが見られて、得した気分だ。

 15時半、カナダ側の見るものも大体見たので、再びレインボー橋を渡る。今回は橋を渡る前に、有料ゲートを通らなければならなかった。説明に「アメリカドルでもカナダドルでも良いから、50セント払うように」という旨が書いてあった。で、その説明の中に、日本語もあった。日本人って多いんだな。
 アメリカドルでもカナダドルでも良いというなら、カナダドルで払ったほうが安くなる、ほんの少しではあるが。カナダには今回はもう戻らないので、残ったカナダドルで支払う。それでもあと24ドルくらい残っている。

 橋を渡り、アメリカの入国審査。審査ブースにはカメラと指紋照合の機械があり、一見厳しそうな審査かと思ったが、パスポートを見せて、審査官が読み取り機で読み込ませて、入国日から「7月、8月、9月」と数えて終わり。航空券のチェックがあるとか、テロ警戒レベルが上がって、セキュリティチェックが厳しく荷物検査があるとか思っていたのに、こんなにもアッサリ通過できると、拍子抜けである。

 審査が終わり、ゴート島へ行く。ツアーではたぶん訪れないような所であろう。なぜかというと、滝のすぐ横で、ツアーとかはカナダ側から見るのが一般的だからだ。

 17時半、宿に戻る。

 ギックリ腰か?バイクのチェーンがカチャカチャ言うので、後輪の位置を調整。その時に5、6回バイクを倒したり起こしたりした。もしかしたら、これが原因で腰が痛いのか?たぶん明日になれば、痛みが治まっているとは思うが、心配だ。
 ぎっくり腰だったら、立っていられないか。でも腰にダメージを負ったのは確かだ。

 手が真っ黒になりながらやっと完了。試しに一般道を走ってみるが、特に変わった感じはしない。リヤブレーキの感覚だけがちょっと敏感になったくらいか。とりあえず明日は様子見だから、ゆっくり走ろう。いきなり高速走行して、問題があって、転倒でもしたら、死ぬのは誰だ?僕なのだ。おそらく問題ないとは思うが・・・・・。

 腰が痛いのを堪えながら、やっと今まで溜まっていた日記が書き終わる。書き終わったが、日本に帰国して詳細情報等を追加しようと思っている。

本日の走行距離: 1マイル(1.6km)
総走行距離:7,963マイル(12,740km)

2021年4月2日金曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年8月1日

2005年8月1日(月)

  8時起床。C氏は会社に出かけるので、これでお別れ。部屋の鍵は1階にいるドアマンに渡せばよいとの事。

 9時出発。マンハッタン島を出る(正確にはHudson川を渡る)には昨日通ったHolland TunnelかLincoln Tunnelか、ワシントン橋の3つうちどれかを選ばなければならない。トンネルは風景が何も見られないので、 一番北に位置しているジョージ・ワシントン橋を選ぶ。だがニューヨーク、大都市だけあって、ここにたどり着くまでに結構な時間をかけてしまった。

大都会ニューヨークをバイクで走るのもなかなかいいものである。
だが、油断は出来ないほど道路の凹凸が激しい

 橋を渡ったあとも久しぶりに道を間違えてしまった。間違えたと言っても5、6マイルだけなのだが、方向感覚に自信を持っているだけにちょっと凹んだ。

ジョージ・ワシントン橋からの風景
(なぜかこの橋のStreet Viewが存在していない)

 正しいコースに戻ってからは至って順調。途中、ガス欠になるんじゃないかと思った事があったが、ノートラブルでナイアガラ付近まで来る。14時くらいに宿に電話するも、誰も出ず。ガイドブックによると16時からとの事なので、16時半にもう一度電話。しかしまた誰も出ず。もしかして閉まっているのかと思い、ナイアガラの滝付近に宿をとるんじゃなくて、バッファローというちょっと離れた所にしようかと思って、もう一度電話をかけると、出るではないですか。そんな込んでなさそうな電話対応であった。
 満員で断られるのを心配していたのが、馬鹿みたいだ。だが、夏はオンシーズン。早めに予約するべきだと思う。


私はこのバイク旅行でアライのRX-7のヘルメットを使っていました


 宿が確保できたが、問題がもうひとつ。電話をかけたのが18時ごろ。電話した場所から宿までは40マイル以上ある。暗闇の中を走りたくないから、多少の出費は我慢して、有料高速を走ることにした。
 ゲートで日本の高速みたいにチケットをもらい、走るのだが、他の車は無料の高速道路よりスピードを出すように思える。僕も全開で75mph走行。もうこんな走りはしばらくはしないと思う。

 終点近くになると渋滞し始める。10ドルくらい取られると思って20ドル札を用意したのだが、料金はたったの1.2ドル。財布から取り出すのも面倒だったので、20ドル札を渡す。

 料金所で注意が必要だ。オイル漏れを起こしている車が多いのか、料金所の地面はツルツルだ。昨日のマンハッタンに入る料金所でもそうだったし、今日もそうだ。ライダーの皆さん、お気をつけて。


 19時過ぎ、やっとチェックイン。普通の一軒家を宿にしたようなユースホステルだ。スタッフはアジア人のおばちゃん一人。バイクで来たと言ったら驚いていた。アメリカ人やカナダ人だったら、バイク旅行しているのを見たことがあるが、外国人では初めてだそうだ。

 腹が減ったので、食事を兼ねながらダウンタウンへバイクで行く。ダウンタウンについてまずしたのが駐車スペースの確保。すぐに見つかり、駐車。先に停めてあったカワサキ、ハーレーの隣だ。大排気量の隣に置くと、なんとも小さく見える。

 ダウンタウンをブラブラ歩き、ホテルの駐車場で今、日記を書いているノートパソコンを立ち上げる。無線インターネットが使えるホテルだからだ。しかし、ユーザー名とパスワードが必要だったので、接続できず。
 その他のホテルで、同じことをするも、状況変わらず。諦めて夕食にする。屋台の「チキンカレー」。インド人らしき人がやっていて、味もなかなか。これで6ドル。安くはないけど、観光地価格の中では安い方だと思う。

 バイクで宿に戻り、通りを見ると、街灯がないので、真っ暗な通り。こんな道怖くて歩けない。

 夜、コモンルームで、中国語の新聞を読む。世界時報という新聞だ。読んでいると、スタッフのおばちゃんが、「中国語読めるの?」と英語で話しかけてきて、Yesと答えると、中国語で話しかけてきた。
 ああ、やっぱり。上海出身らしく、こちらで中国語を教えているそうだ。中国語で他愛もないことを話す。だが、話す内容で日本人と違うのは「給料はいくらだ?」という質問があること。お金に関してやっぱりがめついと言うか、しっかりしていると言うか。

 7月下旬の日記が溜まっていたので、いくらか書いた。だが、それでもまだ足りない。明日また書かねば。 

本日の走行距離:445マイル(712km)
総走行距離:7,962マイル(12,739km)

当時走行したルートと異なる可能性があります

2021年2月13日土曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月31日

2005年7月31日(日)

 7時50分起床。簡単に身支度を整えて2階のダイニングルームへ向かう。マフィンはチョコレート味で意外においしかった。昨日、一昨日のよりは断然おいしい。コーヒー飲み放題は2杯だけにしておいた。あんまりがぶがぶ飲んで胃が悪くなっても馬鹿みたいだし。

 チェックアウト時のフロントは結構忙しそうだった。しかもチェックアウトする人、している人が6人以上フロントの前にいたのに、スタッフは1人のみ。さっさ、さっさっと事務処理をこなしてくれればいいのだが、そんな事を要求するのは無駄なのかもしれない。5分以上待たされて、チェックアウト。ようやく9時出発。

 ワシントンDCの道はすぐに抜けられた。高速もすぐに見つけられ、一気にボルチモアまで行く。ボルチモアで海底トンネルをくぐる。普通の道を走ってもいいのだが、この海底トンネルを利用すると距離が縮められる。料金は2ドル。背に腹は換えられぬ。


 ボルチモアを過ぎ、今度は大きな川を渡らなければならないのだが、ここもまた有料。今まで走ってきた95号線を一旦下りて、一般道を走る。地図では無料だからだ。
 ところが、橋にさしかかろうとしたら料金所が・・・・・。ゲゲッ、しかも5ドル。なんて高いんだ。こんなに高いなら95号線下りずに走った方が良かったのかも。後悔しても仕方ない。一般道でも料金を取られるという事を学んだ学費だと思えば良いさ。


 フィラデルフィアで昼食。Wendy'sだ。ハンバーガーにポテトと言うのも良いのだが、今日はポテトをシーザーサラダにチェンジ。お値段が4ドルくらいが5ドル強とお高くなっているものの、野菜が食べられるのであれば、出し惜しむわけにはいかない。天然の繊維、ビタミンを摂取でき、体が軽くなったように思うのは気の持ちようだと思う。

 今日の宿泊先はK氏(今の妻である)の親戚のC氏邸になった。海外で不自由しているのだから、こういうコネはなるべくあった方が良いに決まっている。多少気を遣うかもしれないが、貧乏旅行なので、ありがたい。

 次の宿泊代が無料の所はロサンゼルスかもしれない。中国(大陸)人の友人が「来い、来い」と言うので、行くしかないでしょう。

 フィラデルフィアを過ぎ、次の大都市はもうNY。一応ニューアークとかあるのだが、距離的にはもうフィラデルフィア~ニューヨーク間なんて隣のようなもんだ。しかし、実質的には結構時間がかかるものだというのが、すぐにわかった。

 Holland Tunnel手前で大渋滞。またしてもすり抜けをしているバイクがなかったので、1時間くらいかけてやっと料金所にたどり着く。6ドルと書いてあったので、6ドル渡すと1ドル返ってきた。どうやら、バイクはちょっとだけ安いみたいだ。
 料金所を抜けて、飛ばせるかと思ったら、トンネルの中も渋滞。ここはノロノロ運転。2、3分かかって通過。この2、3分のために、1時間も並び、5ドルもかかったのである。もうバイクでニューヨークなんかに来ないぞ。

 マンハッタン島に入ったら、道路の状況が悪くなった。デコボコ道が多すぎるのである。ちょっとでもスピードを出すと、飛び跳ねてしまう。かと言って、ゆっくり走れない。周りがガンガンスピードを出すからだ。
 飛び跳ねながら、やっと本日の宿泊先に到着。C氏に電話をして、無料の駐車場所を教えてもらう。そこには2、3台バイクが停まっていた。そのバイクの近くに駐車。ニューヨークの駐車代はとんでもなく高いそうだ。確かに街中で見たのは「3時間12ドル」とか「1時間5ドル」とかいう看板だ。

 C氏邸はまるでホテルのような感じの「超」をつけても良いくらいの高級マンション。1階のセキュリティに本日宿泊の旨を伝え、エレベーターであがる。思ったとおり、部屋の中も、映画に出てくるような素晴らしい眺めの部屋であった。こんな高級なところに、貧乏人が宿泊するのは何だか、気が引ける。身分不相応だ。

 シャワーを浴びさせてもらい、一人でセントラルパークへ向かう。中学の時の英語の教科書に載っていた「ストロベリー・フィールズ」へ行くためだ。今でも覚えているのは「When spring come, Nancy visits strawberry fields. It is in Central park in New York City.・・・・」というくだりだ。あれからもう10年以上経って、やっと今日訪れることができたわけである。
 ただ記念碑自体はひっそりとしていたが、教科書で学んだものが自分の目で見られたことに、喜ぶ。



 夕食はC氏と一緒にSOHOにある雰囲気の良いレストランなのだが、今日はお客がかなり少なく、C氏は気まずそうな顔をしていた。いえいえ、そんな顔しないでください。連れて行ってくれるだけでもありがたいのですから。しかもご馳走にまでなって・・・・。ありがとうございます。

 帰りは地下鉄に乗って帰る。22時過ぎに到着。

 23時にベッドに横になり日記を書いていたのだが、いつの間にか寝ていた。確かに昨日は3時に寝て、今朝8時前に起きたのだから、眠いはずである。

本日の走行距離: 252マイル(403km)
総走行距離:7,517マイル(12,027km)

当時走行したルートと異なる可能性があります

2021年2月6日土曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月30日

2005年7月30日(土)

  8時10分起床。2階のダイニングルームへ下りる。顔見知りがいなかったので、一人でもぐもぐマフィンを食べ、コーヒーをすする。やっぱりこのマフィンだけじゃ足りないが、かと言ってほかに何か食べる気にもならない。9時に出発。今日はポトマック川を渡り、アーリントン記念墓地の北に位置する「Iwo Jima Memorial(硫黄島記念碑)」へ行く。だが、いつも使っているAtlasの地図を持たず、無料で配られている地図を持ったが、載っている範囲が狭すぎて、行き方がわからない。Atlasに書かれていた道を思い出しながら、西へバイクを進める。
 ポトマック川が見えてきたので、その道路から一番近い橋を渡ると、ばっちり硫黄島記念碑にたどり着けた。

 さて、硫黄島のすり鉢山で旗を立てているアメリカ兵の写真を撮るかと思った瞬間、大切なことを忘れていた。ビデオカメラの画面に「カードがありません」との表示。あちゃ~、昨日撮った写真をPCに移した後、抜き取るのを忘れた。仕方ないので、テープに収める。このまま、ケネディー元大統領の墓などを見ても、写真に収められないと思い、宿に戻ることに決めた。墓地は何十年後もここに今と同じままで存在しているはずなのだから、また来ればいいさ。

 宿に戻り、バイクを駐車。どうやら、土曜日は無料なのか、お金が入れてあるパーキングメーターはなかった。じゃ、僕も遠慮なく路駐させてもらいます。宿にすぐ近くに停め、ヘルメットを置き、今度は歩いてスミソニアン自然歴史博物館へ行く。

 自然博物館で、見ようと思っているのはホープダイヤ(Hope Diamond)だけのはずだったのだが、これ以外に何気に興味をそそるものがあり、2時間半もいた。中でもテラノザウルス(通称T-Rex)の化石には圧倒された。

ホープダイヤはちらっと見ただけ


 その後、腹が減ったので、博物館を出て、マクドナルドで食事。昨日チャイナタウンにあるマクドナルドで見た価格と今日食べたところのマクドナルドの価格が違う。博物館の中にあるマクドナルドやその付近にあるのが高いのは観光地価格だと思えば、理解できるが、同じワシントンDCなのに、こうも値段が違うとは。

 マクドナルドの店員は愛想が悪かった。ここで食べるか、持ち帰りかも聞かず、紙袋に入れたものをくれた。くそっ、なんて態度だ。英語が流暢だったら、文句のひとつでも言っているかも知れないが、何も言わずに受け取った。ああ、日本語で文句を言えばよかったか。

 食べ終わり、今度はアメリカ歴史博物館へ足を運ぶ。ここがなかなか楽しめた。まずはアメリカの戦争の歴史。南北戦争、市民戦争等については全然わからないので、簡単に見るだけ。第二次大戦の展示になると、見所が一気に増える。まずはパールハーバー。日本時間では12月8日だが、アメリカは7日。ルーズベルトの呼びかけにより戦争が始まる。やはりアメリカの博物館だけあって、アメリカが経済封鎖をしてたとか、そういう説明はなかった。日本が一方的に奇襲したように感じる展示の仕方だった。まぁ、仕方ないかな。自国を美化するのはどこの国も一緒なのだから。





 パールハーバーの後は、ミッドウェー、ガダルカナル、フィリピン、硫黄島、沖縄、そして広島・長崎と流れていく。

 ワシントンDCでの滞在は結局足りなかった。航空宇宙博物館ではIMAXを一切見ないで丸一日が潰れたし、アメリカ歴史博物館や自然博物館も思ったより見るところが多かったし、印刷局は、平日しか見られないそうだし。まぁ、これらは次回来るときにも見られるものであるから、残念がる必要はない。また来れば良いだけのこと。来られるように、一生懸命働いてお金を貯めよう。

 夕食はまた冷凍食品。Kissimmeeで食べた「Hungry Man」という商品名で、量が多いものである。今回はパスタとミートボール。これがなかなかの美味。ほかの人は、「何じゃこりゃ?」という味かもしれないが、僕はこういうジャンクな食べ物、大好きだ。

 昨日知り合ったマコト氏、今朝シャワーを浴びているときに、クレジットカードをパクられたそうだ。しかも財布は無事で、クレジットカードだけという巧妙な手口。マコト氏は普段財布を後ろに入れているが、カードを取られた後は前のポケットに入っていたため、すぐに気がついたそうだ。もし後ろのポケットに戻されていたら、たぶん気づかず、被害にあってから気がつくパターンになっていただろうとの事。う~~ん、恐ろしや。
 これから肌身離さず財布を持っておこう。寝るときにもだ。

 深夜、イリノイ州で勉強しているマコト氏と話す。20代前半なのに、非常にしっかりした考えを持っており、感心した。今時の若者という感じではない。
 色々なことを話しているうちに、年上である僕が、「なるほど、なるほど」と色々なことを学んだ。本当にためになった。本来年上であるはずの僕が、マコト氏にアドバイスとかするのが一般的かもしれないが、僕から学ぶことが無い上に、マコト氏がしっかりしているから、このように逆の現象になった。
 マコト氏とまた会う約束をして、3時就寝。

 この旅が終わったら、日本語教師以外の仕事を探そうなんて思っていたけど、3割、4割くらいの割合で日本語教師も良いかなと思うようになってきた。台中で働くのかぁ?まぁ、それはそれで良い。

本日の走行距離: 9マイル(14㎞)
総走行距離:7,265マイル(11,624km)
当時走行したルートと異なる可能性があります

2021年1月30日土曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月29日

2005年7月29日(金)

  7時50分起床。シャワーを浴び、朝食を取るために宿の2階へ。朝食は小さいマフィンとオレンジジュース、そして飲み放題のアメリカンコーヒーだ。これだけだと昼前にお腹が空きそうなくらいの量だ。

 9時15分、スミソニアン博物館へ向けて出発。11番街をプラプラと歩く。早足で歩けば20分くらいで着くそうだが、ゆっくり歩いたので、30分かかった。開館まであと15分ほどある。入り口前の階段で座って開くのを待つ。
 10時前になると入り口前に列が出来ており、チビッ子たちが開館を今か今かと待っている様子だった。10時になり、僕も並ぶ。ワシントンの殆どの場所で、セキュリティーがあり、ここ航空宇宙博物館もご多分に漏れず。セキュリティゲートをくぐり、今度はバッグの中を開けて、警備員に見せる。ケネディー宇宙センターほど厳しくなかった。だが、国会議事堂とかはもっと厳しいんだろうなぁ。

 まず最初の展示物は、入り口に近すぎて、みんな見逃している月の石。例によって、スリスリ触ってみる。ケネディー宇宙センターで触ったものと変わらない。まぁ、でも特別な感触でもないかあ。

 それから天井に吊り下げられている各航空機を見る。特別興味をそそられるようなものは無かったが、でも間近で見られて嬉しい。

 まず最初に見たのはライト兄弟が発明した飛行機。彼らが発明してから100年くらいしか経っていないのに、こんなにも進化した飛行機。人類の知恵はすごいと思ったが、進化した裏には戦争という事実があるのも確かだ。戦争があったから技術が進歩したと言っても良いであろう。

 次はそんな戦争に関する展示へ足を運ぶ。まず目の前に飛び込んできたのが、

三菱零式艦上戦闘機


ラバウルの魔王と呼ばれた西沢広義氏の写真もあった

 日本人なら誰でも知っているゼロ戦。非常に高性能で操縦性に優れているという高い評価があったものの、結局敗戦。残った機体も数機しかないであろう。僕の心を捉えて離さないゼロ戦を1時間ほどじっくり見る。こんなにゼロ戦を見続けた観光客はなかなかいないであろう。もしお金があるのであれば、ゼロ戦のレプリカでも作って飛びたいものである。
 しかし、不思議なものだ。世の中にはゼロ戦より高性能な戦闘機なんて山ほどあるけど、一番お気に入りはやっぱりゼロ戦。戦艦も大和。当時の日本人が最高の技術を集めて作ったからであろうか。本当になぜ好きなのか、わからない。
 日本に帰国したら靖国神社に行って、模型を見ようっと。 

 残念ながら広島に原爆を落としたB-29戦闘爆撃機「エノラ・ゲイ」は2003年にダレス国際空港の横に出来た別館の方に移されてしまった。

 次はアメリカ海軍に関する展示。空母エンタープライズの模型を見る。こんなデカイ空母がある国に島国日本が勝てるわけがない。
 アニメ「ジパング」にハマっている僕には、海軍と言ったら見逃せないものがある。ドーントレスだ。ミッドウェー海戦の時に、飛龍、赤城、蒼龍、加賀に群がった急降下爆撃機だ。この爆撃機を間近に見ることができた。ああ、日本へ帰ったら、漫画のジパングを買い揃えよう。
 海軍には他にもCIWSの実物や、シースパローの説明やイージス艦についての説明、そして第二次大戦の詳細があった。日本で知られている詳細とこちらで紹介している詳細には多少の誤差があった。蒼龍沈没が日本では6時15分。しかしここの説明では7時15分。サマータイムの関係なのかな?
 他にも「運命の7時23分」に関しては何にも書いてなかった。だが、アメリカも日本もこのミッドウェーがターニングポイントになったという考えでは同じのようだ。


副長、みらいからトマホークが!

 戦争物を見たあとは今度は宇宙関係。ケネディー宇宙センターで見たのと同じような物が展示されているが、全然飽きない。JFK宇宙センターとここスミソニアンの違うところはロシアの宇宙関係のものについても展示されているということだ。日本人初の宇宙飛行士秋山さんが乗ったソユーズも展示してあった。ちなみに説明では秋山さんは世界で初めて”お金を払って”宇宙へ行った民間人として紹介されていた。その額なんと1200万ドル。13億円と言ったところか。バブル経済の頃だから、このくらいのお金は大したことなかったんでしょうね、TBSにとっては。

 他にも色々なロケットや人工衛星などを見ているともう17時半に。警備の人が、「早く1階へ下りて、出口へ進んでください」と言っていた。もうちょっと見たかったが、閉館時間なのでもう見られない。IMAXもまだ見ていないし。

 19時前にはもう宿に戻り、夕食の準備。準備と言っても、スーパーへ行って、昨日おいしそうだと思った冷凍食品を買ってきて、電子レンジに入れただけだ。

 ビールを飲みながら、夕食とは何とも贅沢な。別に世界三大珍味を食べなくても、こんな安い食材で幸せだと思うのは、悟りの境地に一歩近づいてきたのかな。

本日の走行距離: 0マイル(0㎞)
総走行距離:7,256マイル(11,609㎞)

2021年1月23日土曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月28日

2005年7月28日(木)

  8時起床。身なりを簡単に整え、フロントの隣にあるレストランで朝食。今日はスクランブルエッグとハッシュブラウン、そしてトーストとまあまあ豪華な食事だ。これが宿代に込みであるのであれば、38ドルは高くはない。コーヒーは飲み放題だったが、1杯で終わりにする。普段コーヒーなんて飲まないから。

 朝食が終わり、シャワータイム。今日は去年の夏に買って以来、一度も洗っていなかったグローブをシャワーを浴びながら洗う。グローブをはめたまま、石鹸をつけ擦ると、黒い液体が流れてくる。ああ、1年分の汚れが黒い液体となって流れているのであろう。逆にグローブは白くなった。全然洗っていなくて、真っ黒になっていたので、原色を忘れてしまっていた。そういえばそんな色だったか。

 9時前にチェックアウトを済まし、出発。グローブは濡れたまま装着。風で乾くだろうという計算だ。だが、昨日に比べると高速を走っていて、暑いとは思わない。太陽光線があまり強くないのだ。グローブは乾くであろうか。
 心配とは裏腹に、グローブは1時間ほどですっかり乾いていた。

 朝食を宿で済ませられたのに、11時過ぎにはお腹が減ってきた。何を食べようか迷ったが、結局Taco Bellを食べる。だが、食べた時間は14時過ぎ。探しているうちに、3時間も過ぎていた。
 Taco Bellでペプシを飲み、タコスが出てくるのを待っていたが、ペプシをがぶ飲みしたため、タコスが出来上がった頃にはお腹がふくれていた。

 16時ちょっと前にワシントンDC近くまで来たのだが、それから渋滞。1台すり抜けをしているバイクを見て、僕もすり抜けたい気分になったが、そんな気持ちを抑える。ひたすらローギアで、クラッチを離したりつなげたりする作業をこなすだけ。そんな渋滞も30分くらいで抜ける。渋滞はDC中心部に向かうものではなく、郊外へ行く車が原因だったようだ。DC中心部に入ると、また混雑し始める。これは信号による混雑だ。国道1号線を北上し、K Streetを右折。目指す宿は11st Aveにある。ワシントンの住所は国会議事堂を中心にできてる。国会議事堂に近い通りほど、若い数字かアルファベット。慣れれば非常に簡単な仕組みだ。

 16時半頃にチェックイン。一泊税込み29ドルと安くは無いが、朝食込みなので、まずまずだと思う。部屋に行くと、まだ誰も使っていない様子で、ガラーンとしていた。荷物を置き、ジャケットを脱ぎ、ロッカーに入れたら、今度は駐車場探しだ。一応宿に人に聞くと18時からは無料と事だが、あと1時間ちょっとある。変な所に停めて罰金になっても困る。ヘルメットを持ち、外出。


 宿の周りを回ったが、適当な場所が見つけられなかった。K Streetのある一角にバイク数台が停まっているのを発見。そこに置くことにする。 

 バイクを置き、南に向かって歩くとホワイトハウスへ行く道へぶつかった。どれどれ、ホワイトハウスはどんな感じなんだろう。柵の外から見るホワイトハウスは意外に小さく見えた。あそこで数々のドラマが作られたのかぁ。モニカ・ルインスキーのこともチラリと脳裏をよぎる。

 ホワイトハウスを去ろうとしたときに、警備員がホワイトハウス前から人を退去させていた。どうやらお偉いさんがホワイトハウス前を通過するようだ。15分くらい待ったであろうか、やっと黒塗りの車が出てきて、サーッと目の前を通り過ぎていった。ちらっと見た感じ普通の女性だったが、観光客を退去させるという事はやはりお偉いさんなのであろう。もし日本でも有名な長官とかだったら、もっと警備が厳しいだろう。

 それからワシントン記念塔へ行く。確かに上3分の2と下3分の1の色が違う。建設中断の跡だ。記念塔からリンカーン記念堂を見るとフォレスト・ガンプで見た四角い池が望める。良い風景だ。

 宿に戻り、夕食。だが、近くに食べる所がなさそうなので、スーパーに行き、食料調達。タイ式のインスタント麺と日清カップヌードル、ドリトス、ビールを購入。

 宿に泊まっている日本人に声をかけ情報を得る。やはり今、ホワイトハウス見学はないそうで、ほかの所のセキュリティチェックも厳しいらしい。

 宿にてKey Westで会ったイトウさんにまた出会う。かなり黒くなっていて、一瞬見違えるほどであった。

 それからこちらで大学に通っている日本の方とも話をした。こちらの大学の学費って本当に高いもんですね。奨学金がなかったら、僕は行けないであろう。いや、その前に英語力が無いか。。。

 結局、10人部屋に僕一人。怖いような、ラッキーなような。

本日の走行距離: 329マイル(526.4㎞)
総走行距離:7,256マイル(11,609㎞)

2021年1月16日土曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月27日

2005年7月27日(水)

  7時半、Massimoに起こされる。目覚ましは7時50分にセットしてあったが、早めに起きようと思っていたので、別に腹は立たない。ラテン系というのは朝からハイテンションだよなぁ、と思う。Carloは割と大人しめの人だ。


 着替えて、顔洗い、歯磨きをして、荷造り。荷造りが終わったら今度は、キッチンに行って、冷やしてあった水をバックパック用タンクに入れ、準備完了。シーツとタオルとカードキーをフロントに返却し、チェックアウトも完了。8時10分、いよいよ出発である。Carlo、Massimoとラテン流に抱擁し、バイクにまたがり、ギアをローに入れ出発。Massimo、Carloもディズニーに向けて、バス停まで歩いていた。

典型的なイタリア人のMassimo氏

 さて、久しぶりの長距離だ。飛ばしても、飛ばさなくても、そんなに走れる距離は大して変わらないのはわかっている。マシーンをいたわる走りこそ、長距離ツーリングに大切な走り方だと思う。

 朝マックを頂く。久しぶりにホットケーキ。中学校の英語の時間に「英語ではホットケーキは Pan Cakeと言います」と習った記憶があるのだが、マクドナルドのメニューには「Hot Cakes」となっている。で、メニューどおりに「ホットケーキ ウィズ ソーセージ プリーズ」と言ったら通じた。そりゃ、メニューにそう書いてあるんだから、通じないわけがない。日本の英語教育でよくない所は、これはダメ、あれはダメと学生の英語の間違え探しばかりして、学生に話す楽しさを教えていないところだと思う。多少間違えたって、通じるんだし、試験は試験用の勉強をすればいいのだから、授業は話させる授業をするべきだと思う。

 フロリダを過ぎ、10日くらい前にいたジョージア州も過ぎ、いよいよサウスカロライナ。サウスカロライナに入って、まず目に入ったのが、ロトの広告。51ミリオン(5100万ドル)の当選金という広告だ。宝くじ好きの僕として、買おうと思ったが、フロリダのロトで失敗。今回は当たる気がしなかったので、パス。

 高速でバイクを走らせていると、普通は水を飲めないが、僕はバックパック用タンクをバックパックに入れ、そのタンクからチューブが出ていて、背負ったら、チューブを口につけるだけで飲めるという便利なものを持っている。今日はそれが役に立ったが、ただの水を飲むのはやっぱりそんなにおいしくない。なぜなら、太陽光がガンガン照りつける中では水がぬるま湯に変わってしまうからだ。
 そんなわけでガソリンスタンドで給油のついでに、1リットルのゲーターレードも買う。こちらでスポーツ飲料と言ったら、ゲーターレードかパワーエイドだ。冷えたゲーターレードをグビグビ半分くらい一気に飲む。水500cc飲むのは結構つらいが、これなら全然問題ない。もちろんビールの500ccも全然問題ないが、運転中は飲むわけにはいかない。

 Florence手前のRest Areaでノースカロライナ州のモーテル クーポンを手にする。で、今日の宿を2、3箇所に絞り込む。時間と残った体力を考えるとFayettevilleという町の付近に宿を取るのが望ましいと思った。
 大体のことが決まればあとは走るのみ。走る前に先ほど買ったゲーターレードの残りを飲み干す。あっという間になくなった。あと1リットルは飲めたなぁ~。

 19時20分、やっとチェックイン。フロリダ州から、ジョージア州、サウスカロライナ州、そしてノースカロライナ州と、4州も通ったことになる。宿はノースカロライナのFayettevilleの近くにあるWadeという小さな町にあるDays Innというチェーン店のMotelだ。
 チェックインの際、一人はCrystalというかわいい女性、もう一人はアメリカ人らしい太った女性。僕の担当は、残念ながら太った方だった。

Days Innは既に「Econo Lodge」という名前に変わっている

 Lima Bean?何の豆だろう?しかし食べた。夕食で、フライドチキンを食べたのだが、そのサイドディッシュとして選んだのが、コーンとこのLima Bean。結局は普通の豆だった。
 今日の宿は非常に辺鄙な所にあり、回りにレストランはもちろん、ファーストフードすらなかったが、幸い宿の中にレストランがあった。今日はこのレストランで夕食を食べることにした。昼飯は結局食べなかった。食べようと思った頃にはもう14時過ぎ。あと少し、あと少し、と進んでいるうちにサウスカロライナ州を走っており、「ああ、今、食べたら、夜中、腹減るから、昼食と夕食を一緒にしちゃおう」と決めたからだ。
 チキンはなかなかの美味。ただ下ごしらえとかあまりやっていないんだろうなぁ。太った黒人の女性が調理しているのが席から見えた。暇そうなレストランである。週末は若干込むのかな?とか思っていると、黒人男性がコーラを持ってくる。ああ、ビールがあれば、最高なのだが、ここにはビールはない。近くにコンビニでもあればいいのだが、なさそうだし、あってもビールを売っているとは限らない。コーラで我慢しながら、チキンを食べる。

 さて、チップだ。ここは安いレストランなのか、最初に支払をしていた客はレジでチップを渡していた。2番目の客はテーブルにチップを置いていた。さて、僕はどうしようか。皇太子氏からアドバイスを頂いたにも関わらず、結局テーブルに2ドル、置いた。ああ、チップって払うのはサービスの対価だから別に構わないんだけど、払い方が面倒だ。もっとスマートに払えるようになりたい。

※「皇太子氏」とは現在の今上天皇陛下に似ている元同僚のあだ名である

 夜、話す相手もいないので、日記を書く。ユースホステルに泊まると、安く済み、しかも色々な国の人と交流が持てるのは良いのだが、日記を記す時間が少なくなってしまう。Motelは逆で日記を時間は余るほどあるが、一人でつまらない。一長一短と言ったところか。

 27日かぁ。今日でアメリカに来てちょうど1ヶ月になる。未だにわからない部分もあるが、わかってきた部分もある。1ヶ月の旅行をしたことはあるが、2、3ヶ月の旅行というのは今回が初めて。でもまだ「ああ、日本食が食べたい」とは思わない。あと1、2週間したらそう思うのだろうか。でも吉野家の牛丼は食べたいと思う。

 結局、今日が一番の長距離を移動したことになる。928km。11時間半ずっと高速道路に乗りっぱなしだったからなぁ。気温も35度くらいあったし、時速100km以上で走っていたので、僕のオートバイ Honda Rebel、悲鳴を上げながら走っていただろう。持ち主が僕じゃなかったら、こんな過酷な走りはしないだろうに、僕が買ったために、こんな過酷なことさせられるRebel。もっと大切にしてやらなきゃな。

本日の走行距離: 580マイル(928km)
総走行距離:6827マイル(11083km)

2018年3月5日月曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月26日

2005年7月26日(火)

この旅、一番の感動かもしれない。

 





スペースシャトル発射!!
遠かったが、貴重な体験だ。

 5時45分起床。なぜこんなに早いかというと、前々から日記にも書いてあった通り、スペースシャトルの打ち上げを見るためである。6時にはもう準備が出来、出発。前回ケネディー宇宙センターへ行ったときと同じく192号線を西へ向かい、4号線に乗り、オーランド市内から50号線に降りて、そのまままっすぐというルートだ。

 出発時の空は真っ暗で、ヘルメットのシールドを上げて、走行。ガソリンがないので、入れようと思ったのだが、入れようと思ったGSが閉まっていた。頭の中に「ガス欠」という単語が浮かんできて、どきどきしながら走り、やっと見つけた。今回は3ドル分とサンドイッチ、ゲーターレードを購入。全部で5.44ドル。

 日の出前ということで、かなり寒かった。シアトルで買ったマリナーズトレーナーが久しぶりに役に立った。

 高速4号線はそんなに込んでいなかったが、50号線は込んではいないものの、前回とは違い交通量が多かった。ところが、ケネディー宇宙センターに到着するくらいには、かなりの渋滞。こりゃ、抜けるのにだいぶかかるなと覚悟を決めて、渋滞の中に突入。誰もすり抜けをやっていないし、警察も結構多かったので、すり抜けはやらなかった。

 渋滞の中を1時間くらい待ったであろうか。あることに気がついた。この渋滞は宇宙センター内へ行くためで、僕は関係ないと。今日は打ち上げのため、許可書の持っている人のみ宇宙センターに入れるのだ。許可書の無い僕が並んでも仕方ない。路肩を走り、目的の国道1号線に入る。国道1号線は思ったより込んでなく、すぐに発射台が見られる海岸線にバイクを停め、場所探し。ちゃんと舗装されている場所はもう既に場所を取られていて、入り込む余地無し。

 幸い、岩場で普通に座れそうな所が空いていたので、岩場に席を取る。打ち上げは10時39分との事なので、それまで2時間半もある。朝買ったサンドイッチを食べながら、ボーっと過ごす。日差しが強くなり、汗もかき始めて、時計を見たらあと1時間。携帯電話の中のゲームをして、時間を潰す。10時20分くらいから、ビデオカメラの位置を再確認して、10時25分、撮影開始。

 発射台からかなり離れているものの、肉眼で発射台が見える距離だ。ただ雲が多く、若干かすんでいた。ビデオをズームにすると、かろうじて発射台にシャトルらしいものが見えるくらいだ。

 10時39分。いよいよ発射の時間。発射台がパァーっと明るくなり、煙が左右に広がる。後ろの観客が歓声を上げ、シャトルは無事に浮上。それからシャトルは雲の中に入り、しばらく見えなくなる。だが、雲の上から再びシャトルと炎が姿を現す。その頃に、発射の時の音が「ゴゴゴーー」っと聞こえ始める。その間もシャトルはグングンと空高く進み、あっという間に見えなくなる。

 賞味5分。Kissimmeeでの滞在を2泊延長し、今朝6時前に起きた甲斐があった。もしこれでまた打ち上げ延期にでもなっていたら、日ごろの行いが悪いと思うしかない。ああ、こんな貴重な体験が出来るのは、本当にラッキーだと思う。
  しかも今回の打ち上げはコロンビア号事故以来の打ち上げで、且つ日本人宇宙飛行士の野口聡一さんが乗っている打ち上げである。同じ日本人として非常にうれしいことである。

 打ち上げを見終えたら、バイクにまたがったササッと宿へ帰る。
 宿に着き、部屋に戻るとMassimoとCarloが寝ていた。あれ?ディズニーへ行くんじゃなかったのかな?起こすのはマズイなあと思い、静かに荷物を置いて、スーパーへ向かう。スーパーでミラービール6本と明日の水を買う。500ccのビール6本で3ドル。安い!

 それから自分自身も昼寝。日が昇る6時前に起きたのだから眠いのは当然だ。

 夜はまたMassimoがパスタを作る。今日はサルサソースを使ったパスタ。パスタのゆで方がちょっと変わっていた。僕の場合、茹で上がるまで強火でガンガン茹でるのだが、彼の場合、ある程度まで強火で茹で、後は弱火で茹でるという方法だった。これは彼流なのか?それともシシリー流なのか?

  いずれにしても午前中に見たスペースシャトルの打ち上げの興奮が一生忘れられないものとなった1日であった。

本日の走行距離: 182マイル(291km)
総走行距離:6347マイル(10155km)

2018年2月22日木曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月25日

2005年7月25日(月)

 こんなに長く、ここKissimmeeにいるとは思わなかった。8時半起床。バナナを食べ、牛乳を飲む。胃の中ではバナナセーキになっているであろう。非常に健康的な朝食だ。だが、今日の昼はステーキ。あごが疲れるほど食べようと思っている。

 台湾人の家族が朝食にやってきて、明日のスペースシャトル打ち上げについて色々と情報交換。その家族は朝6時にケネディー宇宙センターへ行き、チケットを買うそうだ。どうやら、朝6時半から販売されるチケットを購入すれば間近で発射が見られるそうだが、僕にチケットを買う購買力はなく、おそらく国道1号線から無料で見ると思う。

 明日はいよいよ発射。このためだけにここKissimmeeにいる様なもんだ。

 10時に受付に郵便局の場所を聞く。歩いては行けない距離だが、僕にはバイクがある。バイクにまたがってエンジン始動。郵便局まで192号線をずっと東へ進む。郵便局は192号線からちょっと南に入ったOak Streetという所にある。アメリカで初めて入る郵便局。中に入ると色々と封筒が置いてあったが、どれを選んで良いかわからず、白地に青が入っている封筒を選び、ステッカーに差出人、宛先を書き、並ぶ。15分くらい待ってやっとカウンターに行くと、「これじゃ、日本へは送れませんよ」と言われる。まさか先日のロンドンでのテロの影響で郵便物まで規制がかかっているのか!!
  と思ったが、なんて事はない。白地に青が入っている封筒は国内用ので、海外用のは白地に灰色(薄い黒?)が入っている封筒を使わなければならないそうだ。

大きな郵便局だった

 で、その国際用の封筒にまた差出人と宛先を書き、中身を移す。お値段、なんと19ドル。高いなぁ。「地球の歩き方アメリカ版」は帰国前に捨ててしまおうと思う。お金がないので日本の古本屋で100円で買ったものなんだから。

 12時に肉を焼き始める。そんなに厚い肉ではないので、すぐに火が通り、完成。1パウンド(452g)も食べるとやっぱりアゴが疲れる。もし、これが神戸牛や松坂牛であればペロリと平らげるのであろうが、僕が買ったのは安い肉。でも昼間っからビール片手に食べるステーキは美味。こんな贅沢、仕事をしていたら出来ない。

 昼飯を食べ終わり、ワシントンにあるユースホステルに電話をかける。28日から3泊の予約である。本当は4、5泊したかったのであるが、スペースシャトルを優先したため、スケジュール変更。スミソニアン博物館やFBIの見学はいつでもお金を出せば見られるが、スペースシャトルはお金を出せば見れるというものではない。そう考えると今回の決断は正しかったのかと思う。まぁ、何億円というお金をNASAとかに寄付すれば、間近で発射が見られるのかもしれないが、そんなお金僕が稼げるわけもない。

 ワシントンDCの宿は確保できた。このワシントンDCのユースホステルは予約時に必ずクレジットカード番号が必要である。クレジットがない場合は数週間前に予約金を郵送しなければならないらしい。クレジットカード社会を象徴していると思った。

 ちなみにワシントンDCのユースホステル、全米の中でもトップを争うくらいの人気ホステルらしい。まぁ、日本人の感覚とアメリカ人の感覚が違うところがあるし、どこの国の人であれ、個人個人の価値観によっても評価方法が違うから、一概に今回予約を取ったワシントンDCのユースホステルが良いとは言えないのかもしれない。過度な期待をしないようにしよう。

 オーランドからワシントンDCまでの距離約890マイル(約1424km)を27日チェックアウトから28日の夕方くらいまでに走らなければならない。1日700km以上の長旅だ。ここKissimmeeで十分体を休めて、万全の体調で望もうと思う。

 昼食を食べ、ベッドでワシントンDCでの予定を立てていたら、いつのまにか寝ていた。目を覚ますと西欧人2人組みがちょうどチェックインが終わって、僕の部屋に来た。イタリア人学生で、MassimoとCarloだ。非常にフレンドリーで、僕のバイクの話を聞いて、驚いていた。あまり英語が上手とは言えないが、物怖じせずに話す姿勢はすごいと思う。僕なんかは英語ダメだから、単語だけで答えてしまうのに・・・・・。

 で、このイタリア人2人組みと一緒に宿の中にあるプールで泳ぐ。3時間くらいは泳いだであろうか。そろそろお腹がすいてきたので、ご飯を食べようとの事。Massimoが「パスタ」を作るというので、僕もいただくことになった。さっそく食材を買いにスーパーへ行く。買ったのはパスタとツナ缶だけ。これだけで作れるパスタって。。。。

 でも完成したものを食べると、結構いける。へ~、僕の貧乏料理レシピに追加だな。

 その後もこのイタリア人2人組みと話し、楽しい夜を過ごす。ホステルのいい所は、安い上に、こういう交流の場があるということだ。

 寝る前に、Massimoが別の西欧人(アイルランド人とイスラエル人)に「この日本人はクレイジーなんだぜ」と紹介していた。そしたら、そこにいた西欧人、みんな驚いていた。そんな驚くほどのものではないと思うけどなぁ・・・・。ただ好きでやっているだけだから。

本日の走行距離: 12マイル(19km)
総走行距離:6165マイル(9864km)

2018年2月9日金曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月24日

2005年7月24日(日)

 今日は特に何をするでもなくずっと宿にいた。7時40分に起きて、ルームメイトの日本人Ohyama氏にバイクを貸す。このまま持ち逃げされると困るので、一応航空券を預かり、キーを渡す。今日はこのことだけが非常に頭にあり、なかなかリラックスできなかった。信用しても良いのであろうが結局は他人。利益20ドルが出たが、心配な気持ちにもなるのであるから、結局マイナスと考えても良いのであろう。もう他人にバイクを貸すのは一切止めようと思う。昨日はビールを飲みすぎで、思考能力が落ちていて、「貸す」などと言ってしまったのであろう。

 オオヤマ氏が出発した後、ダイニングルームで牛乳を飲む。飲んでいると台湾人の家族がやってきた。恐る恐る「台湾人ですか?」と中国語で話しかけると、「ええ?あなたも台湾人?」と嬉しそうな顔をしながら返事が返ってきた。やはり異国の地での同胞、嬉しいものなのであろうか。でも残念。私は台湾人でない旨を伝えると若干驚いていた。だが、その後は普通に会話。どうやらこの家族は今日はディズニーへ行き、火曜日にスペースシャトルの打ち上げを見たいと言っていた。だが、どこで見られるのかとか、許可がなくても見られるのか、とかいった情報がないらしく、困っている様子だった。だが、僕もあまり情報を知らないので、教えてあげられるのは「予約しなくても見られる場所がある」ということだけだった。

 まぁ、僕が明日出発の予定を27日出発に変えた理由もスペースシャトルであるから、家族の気持ちがわかる。スペースシャトルもあと数年?十数年で役目を終えて引退するそうなので、こんなチャンス滅多にないと思う。なぜならスペースシャトルは打ち上げが大体1年に1回くらいで、あと残っているチャンスは多くて20回であろう。その中の1回が数日滞在を延長しただけで見られるかもしれないというのは、運命なのであろうか。キーウェストのユースのデポジットが郵送される宛先もここKissimmeeのユースだ。これは打ち上げを見ろという暗示なのだと自分にかけている。

 10時くらいに何もすることがないので、ベッドで地球の歩き方を見ていたらいつの間にか寝ていた。起きたら13時過ぎ。今晩は寝られないぞ。

 昼は冷凍食品の「Hungry Man」というフライドチキンとマッシュポテトが入った600g以上あるボリュームのあるのを食べる。さすがにXLサイズだったので、後半お腹が張ってきたが、何とか完食。これで5ドル弱なのだから、非常にお得だと思う。電子レンジがあれば、アメリカでの食事は本当に便利だと思う。最近は日本でも冷凍食品はすごいが、安いのは少ないと思う。いや、僕がただ安いのを知らないだけなのかもしれない。

 昼食後、ダイニングルームでボーっとしているとDavidというシアトルから来たアメリカ人が話しかけてきた。彼もまた27日に行われる発射を見るために、Kissimmeeの宿に泊まっていて、今日何もすることがないそうだ。彼に見えるポイントを教えてもらった。国道1号線なら大体どこでも見えるそうだ。彼の場合、車での移動らしい。僕のバイクの旅に関して、非常に驚きつつも、興味を持ってくれた。
 ちなみに発射時間は26日10時37分だそうだ。ここを7時か8時に出れば見られると思う。本当にこんなチャンス滅多にない。感動すること間違いなしだが、打ち上げがキャンセルになる場合もあるから、あまり期待しないように自分に言い聞かせている。

 20時くらいにオオヤマ氏が帰ってきた。バイクも無事で何より。彼もケネディー宇宙センターが見られて満足そうな顔をしていた。オオヤマ氏も車好きで、一緒にバーガーキングに行き、色々と車や旅行の話をしながらバーガーを頬張った。

 ここの宿は20時から23時までの3時間、無線インターネットが無料で利用できる。いつもは2、3人しか利用しないのだが、今日は5、6人の利用。これだけ大人数がネットをすると回線速度がダイアルアップ以下になってしまう。どんなシステムで運用しているかわからない。非常に不便だが、使えないよりはマシだ。

 晩御飯用に買ってきたステーキ肉は明日の昼に食べようと思う。まぁ、ここの宿にはあと3泊予定なのだから。

本日の走行距離: 151マイル(241km)
総走行距離:6153マイル(9844km)

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月23日

2005年7月23日(土)

  7時20分起床。8時前にチェックアウトしようとしたら、オフィスが開くのがなんと9時から。このままではデポジットで払った5ドルが返ってこない。中庭に座っている西洋人のルームメイトにどうしたらいいかを聞いたら、「Early Check Out」のシステムを教えてくれた。紙に住所を書けば、5ドルを郵送してくれるそうだ。まぁ、あまり期待していないが、5ドル返ってきたらちょっとしたご馳走でも食べようと思う。

 8時過ぎに走る車はそんなには多くなく、非常に快適に走れた。昨日チェーンに油を差したからか、走り出しも順調だ。

 周りを海に囲まれたFlorida Keysをいよいよ離れていく。だが、ガソリンがなくなり、給油。しかしKey Westでは今まで走ったところで最高値のガソリンであった。普通は1ガロン、2.2~2.3ドルくらいなのだが、Key Westは2.49ドルが平均だ。まぁ、日本でも観光地のガソリンは結構高いので、それはアメリカでも同じという事かな。

 フロリダ市に差し掛かったときにマイアミ方面の95号線で行くか、はたまたEverglades方面から行くかの分かれ道で、同じ道を通るのはつまらないので、Everglades方面に進路を変える。

 片道1車線ずつの狭い道だが、かなりの田舎道で、交通量が少ないので、スイスイと進める。しかも信号も少ないので、込んでる高速道路より速いかもしれない。

 Belle Gladeという町で、昼食。マクドナルドだ。いつものようにビッグマックを頼み、席に着く。隣に白髪のおばあさんとおじさんがいた。ギルバートさんとチェリーさん?で、色々と話しかけてきた。オハイオ州に住んでいるらしく、僕のライダースーツに興味津々。色々話し、「17、8歳に見えるけど、何歳?」なんて言われた。25、6歳と言われた事はあるが、10代に見られたのはこれが初めてだ。アメリカではこういう何気ない所での会話が楽しい。英語が出来ればもっと楽しいのであろう。

 ギルバートさんたちに挨拶をし、マクドナルドを出て、また国道を走る。この国道が途中で閉鎖されており、回り道をしなければならない事態になってしまった。右か左か選択する時に、なぜか右を選んでしまった。結局選択してから地図を見るとどちらでも行けることがわかった。だが左を選んでいれば距離が若干短くなっていたはず。でも右を選んだおかげで、360度見渡す限りトウモロコシ畑の中を走れてよかった。しかも地図には載っていないような道だ。そんな道でもちゃんと舗装されているアメリカの道路ってすごいなぁと思う。

 宿の近くに差し掛かった所で、軽い渋滞。工事をしているためである。結局夕方16時半に到着。宿に着くと、マネージャーらしき韓国系の人が「バイクが停めてあったから、また来たんだとわかったよ」と僕の事を覚えていてくれた。割り当てられた部屋は前回と同じ部屋。だが、若干メンバーは変わっていた。

 元々は2泊しかしない予定ではあったが、結局4泊することにした。なぜならスペースシャトルの打ち上げが27日火曜日にあるからだ。それまで何もすることがないが、今までずっと走ってきて、疲れている体を休めるチャンスだと思って、お金を払った。幸いここの宿は一泊18ドル08セント(税込み)なので、経済的負担をあまり大きくない。

 夕食は久しぶりに野菜を食べた。スーパーでサラダを売っていたからだ。結構な量があって2ドルちょっと。それプラスご飯が食べたかったので冷凍食品のリゾットを食べるが、これはただ腹を満たすものだけでしかなかった。

 喉がかなり渇いていたので、Milwaukee's Best ICEがかなりおいしく感じた。Key Westでは一滴もアルコールを飲んでいなかったからという理由もあるであろう。

 買い物の内訳 ビール16oz×6=2.99ドル、サラダ 2.54ドル、ドレッシング 0.29ドル、バナナ6本 0.74ドル、冷凍食品 1.67ドル プラス税金0.21ドル 計8.44ドル

 バイクに乗っていて時々グローブを外して運転するのだが、そのせいで手が日本人離れしたくらい黒くなってしまった。


本日の走行距離: 386マイル(617km)
総走行距離:6002マイル(9603km)

2018年2月7日水曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月22日

2005年7月22日(金)

 8時過ぎに起床。9時にはもう出発。目指すはセブンマイル橋近くの海岸。今日はノーヘル、ランニング、海水パンツの格好で走る。(あとで聞いたのだが、保険がない人はヘルメット着用が義務づけられている。僕は海外旅行保険があるので、ノーヘルでも大丈夫だと思ったのだが、どうやら海外旅行保険ではあまり良くないらしい)

 来る時に結構いいビーチを見たので、そこに行こうとおもったが、なかなかたどり着けない。結局30マイルくらいKey Westから離れた所のセブンマイル橋のすぐ横のビーチで日焼けを楽しむことにした。人気(ひとけ)が少なく、海水も非常に澄んでいる美しいビーチで、3時間くらい過ごす。

  お腹が減ってきたので、またKey Westに戻る。今日は何を食べようか考え、地球の歩き方オススメのPepe's Cafeに行って、店に入るも、一人じゃ入れない雰囲気だったので、すぐにドアを開け出る。
 お腹がだいぶ空いていたのだが、迷いに迷い、今まで食べてこなかったファーストフードのWendy’sで食べることにした。非常に空腹だったので、ビッグサイズを注文。たらふくフライドポテトを食べ、いい感じにお腹がいっぱいになった。

 お腹がいっぱいになったら、今度は近くにあるスーパーへ行き、チェーンオイルを購入。ジョージア州辺りからチェーンの音がシャラシャラするので、気になっていた。5000マイルも走っているからチェーンが伸び始めてきたのかな?と思ってチェックしても、あまり伸びていない。たぶんインディアナ州にいる時の豪雨で、チェーンオイルが流れてしまったのであろう。
  そうそう使うものではないので、一番小さいサイズのチェーンオイルを購入。税金込みで3ドルだ。まぁ、次また使う機会があるであろうから、高くはないと思う。

 宿近くの浜辺へまた行く。ここのビーチに人は思ったほどおらず、木の下で2時間ほど睡眠を取る。波があまりないので、「ザブーン」という波の音は聞こえないが、ジェットスキーのエンジン音はどこからとなく聞こえてきていた。ここでの睡眠、非常によかった。今度は、本でも読みながら過ごしたいものだ。

 宿に戻り、バイクをちょっとだけ洗車。久しぶりの洗車にRebelもうれしそうだ。だが、汚れが意外にも頑固で、そんなにきれいにならなかった。やっぱりタオルがあったほうが洗車しやすい。洗車のついでにチェーンに油も注す。やっぱりチェーンのオイル切れの音だった。油を注したら全然音がしなくなった。ああ、もう少し早い段階で注すべきだったのであろう。

 オイルを注した後、アメリカ本土の最南端Southernmost Pointへバイクで行く。ここで写真を数枚撮るが、バイクが入った写真を撮りたくて、バイクを停めて、パシャリ、パシャリと撮り、足早にその場を離れ、カメラをケースに収納。

  と、ここで後ろを振り向くと、白地の車が僕のバイクにぴったりとくっついているではないか。パトカーだ。中にいる警官はただ車内の機械をいじっているだけで、僕に停まれだの、バイクを降りろだの言ってこない。確かに、僕が写真を撮った場所は駐車禁止ではあるものの、停車に関してはOKの場所だ。(縁石の黄色い線は駐車禁止の意味。)だから、切符は切られないはず。だとしたら、もしかしてノーヘルに関してか?いよいよ心配になってくる。

 恐る恐るバイクを発進させるも、パトカーは動かない。このまま進んで距離がだいぶ離れた所になってもパトカーは動いた気配はない。さて、どうなることやら。もしかしたら最南端で撮った写真が1枚数百ドルの写真になってしまうかもしれない。

後ろに見えるのが最南端の目印

 最南端の場所から一旦バイクを置き、今度は国道1号線最南端へ行く。ここが1号線の終着点である。

標識が0マイル
一番上に「END」と書いてある。
 起点でもあり終着点でもある。

 昨日からここKey Westに訪れて気がついたのだが、僕が日本で使っているスクーターの「Scoopy」。なんとここでも見ることができる。レンタル用に貸し出されているものが殆どであるが、なんだか親しみのあるスクーターである。アメリカでは「Metropolitan」という名前で発売されており、若干デザインが違う。
Metropoitan という名前らしい。

 
過去に私自身が乗っていた赤のスクーピーを発見

市街地はこんな感じ。

郵便ポストが可愛かった。

 宿に戻り、バックパックの中に3週間も入りっぱなしのインスタントラーメンを宿の台所で作る。作っている間、ずっとアメリカ人のおじさんが日本を訪れたことについて、話しかけてきた。日本はいいところだを連呼していた。よっぽど気に入ったのであろう。まぁ、僕も日本や台湾でアメリカ人にあったらアメリカはいい所だと言うであろう。

 また別のアメリカ人は「神戸牛は最高だ。アメリカでは味わえない味だ」とえらく感動していた様子。しかも食べたのが20年くらい前の話だが、今でも食べたがっている。よっぽど気に入ったのであろう。

 宿の中庭で飯を食っていると日本人らしき人がカップラーメンを作って別のベンチで食べ始めた。勇気を持って「日本の方ですか?」と話しかけるとやっぱりそうだ。イトウさんという小さな新聞社で働いている人だった。6週間の長期休暇をとってバス旅行をしているそうだ。僕と反対のルートで、シアトルから入り、サンフランシスコ、LAなどへ行き、今中間点のKey Westにいるそうだ。これからはワシントンDCに行って、NY、ナイアガラ、シカゴ、そしてシアトルへ戻るそうだ。若干僕のスケジュールと重なる。もしかしたら、ワシントンDCのユースホステルでまた会うかもしれない。

 23時くらいに別の日本人女性が話しかけてきて、スペースシャトルの発射が今度の火曜日26日に行われるそうだ。スペースシャトルの打ち上げなんて、なかなか見られないので、Kissimmeeに火曜まで滞在しようか今非常に迷っている。

 結局24時前に明日二人とも早いということで、話をお開き。さっきの日本人女性はどこかへ出かけたようだ。

本日の走行距離: 96マイル(153km)
総走行距離:5616マイル(8985km)

2018年1月21日日曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月21日

2005年7月21日(木)

 なんと昨日、宿の中庭で西洋人たちとビールを飲みながら話していたのだが、24時半くらいにどこの誰だか知らないが、「もう遅いから終わりにしてくれ」と言われ解散。ある者は部屋に戻り、ある者はビーチへ行った。僕は前者で部屋に戻ったのだが、ビーチに行ったルームメイトのアルバートは今朝

「昨日ビーチに行ったら、あのイギリス人女性、服を脱いだんだよね」

 と言うではないか。あのイギリス人女性って、結構グラマーだったからなぁ。。。。アルバートの喜び様を見れば、おいしい思いをしたことが、すぐに伝わる。ああ、本当に残念!行ってれば、見られたっていうことでしょ。。。ああ、本当に悔しい。やっぱり見たくなるさ、僕だって。

 アルバートとマットが出発してからすぐに僕も部屋を出る。シーツ等をフロントに返し、デポジットを返してもらいチェックアウト終了。それからバイク置き場に行き、エンジン始動。

 9時10分に出発。治安が悪いと言われているマイアミ市を通らなければならなかったが、通ったところが治安が最も悪いダウンタウンではなかったので、何事もなくとおりすぎた。

 バーガーキングのワッパーを食べる。10時過ぎでお腹があまり減っていないせいなのか、フライドポテトを食べ、ハンバーガーを半分くらい口にしただけでお腹がいっぱいになったしまった。食べ物を残せない性分なので、無理してお腹に詰める。

 食事してからしばらく走ると、いよいよ標識に「Key West」の文字が見え始めてきた。
フロリダの綺麗な海を背景に撮影。

100マイル以上あるが、長い橋を自分で運転できるのであれば、100マイルという距離は非常に短いものになるだろうと思っていた。
  しかし、いくら走っても、短い橋はいくつかあれど、長い橋にはなかなかたどり着けない。MarathonというKey Westとフロリダ半島の中間くらいに位置する空港がある島にたどり着いても一向に長い橋が見えない。

 おかしい、おかしいと思っていると、ついに見えました。長い橋が!
セブンマイル橋
海の中を走る感じ

右に見えるのが鉄道に使っていた橋
 時速約60マイル(時速96km)で走行中に撮影

 思ったほど橋の区間が短くがっかりした。期待しすぎていたのかもしれない。確かに7マイル(11km)もずっと海の上を走るというのはすごい事だ。

 あっという間に橋の区間が終わり、小さい橋と島の道路の連続だ。だが、セブンマイル橋を過ぎたらKey Westにいつの間にか着いていた。「なんかこの島、結構栄えてるな」と思ったら、そこがKey Westだった。

 早速宿を目指す。ユースホステルで「ガラガラだから予約しなくてもいいですよ。」と言われていたので、もちろん予約もない。South Stを走り宿らしいものを探すが見つからず。一旦停止して、かばんの中からガイドブックを取り出し、住所を確認。なんと一旦停止した20メートル手前が宿であった。なんだ、ここだったのか、と思った瞬間、ガイドブックがドスッ、ボチャンと水溜りに落ちる。あっという間にガイドブックがフニャフニャになってしまった。ああ、みそぼらしい。

 宿は意外に高く28ドルプラス税金。まぁ、仕方ない。出来れば3、4泊したかったが、2泊のみにする。

こちらも名前が変わっている。

 荷物を置き、眠かったので少し寝る。この睡眠がなんとも言えない幸せなのだ。起きると、早速町を散策。南国の町らしく椰子の木が茂り、時間もゆったりと過ぎている。繁華街は西欧人が多く、アジア人は殆ど見かけなかった。

 日の入りを見ようと「マロリースクエア(Mallory Square)」へ行くも、雲が多くて普通の日の入りだった。だが、ここの広場には多くのパフォーマーがおり、時間を潰すにはいいかも知れないが、僕には興味ないものにしか映らない。

 夜、部屋に戻り、オーランドで書かなかった日記を記す。

 明日は浜辺に行って日焼け、水泳を楽しむぞ。 

本日の走行距離: 184マイル(294km)
総走行距離:5520マイル(8832km)

2018年1月20日土曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月20日

2005年7月20日(水)
 
 8時40分起床。起床してすぐにレモネードを飲む。一昨日買った奴で、オイル交換の廃油の為に買った。だが、量が結構多くて、100ccくらいは捨ててしまった。まぁ、99セントだから良いっか。

 オイル交換は何だかんだで、うまくいかなかった。ボルトを外した瞬間、レモネードのパックに入るべきオイルがパックに入らず、路面に垂れてしまったり、パックを倒してしまったりと。要らない新聞紙で一応こぼした部分を拭いておいたが、若干残っているので、滑りやすくなってしまった。

 オイル交換後、チェックアウトし、192号線を東に向けて進路を取る。昨日150マイル走ったので、給油。

 14時過ぎやっと昼食。Taco BellというKFC系列のタコスが食べられるファーストフード店である。だからコーラがコカコーラではなくペプシになる。今日はホットソースを多めにかけて、おいしく頂く。
 Taco Bellを出て大通りに入ってしばらく走ると、あれ、おかしい。どこかで見たような光景ではないか。しばらく走ってやっと気がついた。来た道を走っていたのだ。いつも僕は給油にせよ、食事にせよ、反対車線側にある店は利用しない。だから出発時には店を出てすぐの車線を走れば良いわけで、今日もその癖で逆走してしまったのだ。

 正しい方向の1号線を走っていると高速I-95号線の看板が見えてきたので左折。70号線という道だが、しばらく走るとすぐにI-95号線と交わり、高速へ入る。

この交差点を右折

 今まで時速80kmくらいで快適に走っていたのを110kmくらいに速度を上げる。速いのは良い事だけど、エンジンの音が非常に大きく、まるでエンジンが大変で息遣いが荒くなっているように聞こえる。人間や動物が全力疾走した後に「ハーハー」いうのに似ている。

 高速に入ってすぐに給油。ここの店員さん、エキゾチックな女性2人いたのだが、2人ともとてもフレンドリー。バックパックを背負っている僕を見て「重い?」とか聞いてくる。僕がシアトルからバイクで来たんだと言ったら、白人の方が「Crazy!」と言った。はい、そうです。私はクレイジーですね。でも何だか変な意味のクレイジーではないように思えてきた。
 もう一人のヒスパニック系の子の笑顔がとてもかわいかった。久しぶりに「おお、あの笑顔は僕ためにしてくれてるんだな。」と勘違いを起こし始めていた。ポジティブ思考って良い事だ。こんな勘違いがあるからこそ、バイクに乗っている疲労が吹っ飛んでいく。

恐らくここのガソリンスタンド。

 パームビーチという所を過ぎた辺りから高速がだんだんと込み始める。マイアミビーチまであと15、6マイルとなった頃には酷い渋滞で、徐行運転しなければならなかった。徐行運転を40分くらいしていると急に渋滞が解消された。みんなマイアミ市の方へ行くようで、マイアミビーチ方面への車はそんなにはいなかった。

 なるほど、こういう渋滞があるからフロリダには有料の高速道路があるわけだ。 

 宿には17時半到着。結構込んでいるユースで、ちらっと部屋割りみたいな帳簿を見たのだが、空きが無さそうな感じだった。よかった、予約が取れて。宿は21ドルと良心的な価格。デポジットで10ドル取られるが、返してもらえるので、全然問題ない。

強い日差しが印象に残っている。

 部屋は12Bという所で、部屋に入るとイギリスから来たマットという結構甘いマスクの青年が上半身裸でベッドに横になっていた。軽く挨拶して、また僕は外へ行く。バイクを停める場所探しだ。宿の人が13th通りなら、停めやすいというので、そこへ行くが、工事中で停められそうになかった。13th通りに程近い車の駐車場の隣に停めた。停めてすぐ部屋に戻りシャワーを浴びる。もうマットはどこかへ出かけていた。

 18時過ぎ、Savannahでシュさんからもらったインスタント麺を作る。韓国の「辛拉麺(シンラミョン)」である。とりあえず荷物を減らさなければならないので食べたのだが、おいしくて、また食べたくなってしまった。帰国便で韓国に寄ったときに食べようと思う。

 受付がある建物の2階で地図を見て、明日のルートを決める。有料高速は使わずひたすら1号線を走ろうと思う。決めたら部屋に戻る。なぜなら、この2階、結構暑くて、汗がダラダラ出てくるからだ。せっかくシャワーを浴びたのにまた汗だらけになっては、気持ち悪い。
 部屋に戻ると、マットではなくアルバートというコロンビアから来た身長206センチもある人が上段のベッドで横になっていた。ベッドは彼にとって小さいので、僕が使おうとした下の段と交換してほしいとの事。僕は別にどちらでも構わないので、承諾。交換して、僕は町を散策。

 宿の近くはレストラン街で、アールデコ風のメキシコのような建物のレストランが結構並んでいて、しかも呼び込みのお兄さんお姉さんが結構いる。そんな中を抜けて町をブラブラと歩く。マイアミ ビーチは南国であるから、バイクが結構多かった。南国でノーヘルで走るのは気持ちがいいものだ。だから南国ではバイクが結構走っているのかなぁ。マイアミ ビーチで見たバイクはほとんどがスクーター。50~100ccくらいのスクーターだ。

 宿に戻ろうとした時に、宿の近くの裏通りにバイクが数台停めてあった。その瞬間、「ここに停め直そう」と思い、13th通りからバイクを持ってくる。この場所なら宿からさほど離れておらず、しかも安全そうだ。これで安心して停められる。

 また部屋に戻り、アルバートと話す。話しているとマットも帰ってきて、みんなで宿の中庭でビールでも飲もうという事になる。宿の近くの酒屋へ行き、バドワイザー半ケースとコロナビール6本とライムを買う。3人で割ると一人6.3ドルだ。これだけの量が飲めて、6ドルちょいなら安い。バーで飲んだらいくらになるのやら。

 中庭で飲んでいると、金髪の目がぱっちりしているちょっときれいな女の人が話しかけてきた。「おお?いよいよ、僕も逆ナンされたか?」と思ったが、なんてことはない。おとといKissimmeeに泊まっていたイギリス人女性3人のうちの一人だ。どおりでどこかで会ったような顔だと思った。

 それからその女性3人とさらにイギリス人のトム、フランス人のトーマスとアルバート、マットと一緒に飲む。フランスの飲みのゲームを楽しむ。サイコロを振って、出た数によって誰が飲むかとかが決まるというゲームだ。こういう飲みの時のゲームは世界各国どこにでもあるんだなぁと思った。

 ゲームしながらイギリス人トムとトーマスと色々英語で話す。あんまり話せなくても何とかコミュニケーションはとれるものだなぁ。

 24時半を過ぎたころに、どこからかおじさんがやってきて、無言で「おい、もう遅いんだからお開きにしたらどうだ」とメッセージを送る。いったん静まるものの、おじさんが部屋に戻ったらまた騒ぎ出す。
 今度は宿の人なのか近隣の人なのか強い口調で「あと5分で終わりにしてください」と言ってきた。さすがにこれで、西欧人メンバーも静かになり解散となった。飲み足りない人は近くのビーチへ行き、眠い人は部屋に戻る。
 部屋に戻る前にちょっとドイツから来た2人組みの男の人と話すが、彼ら曰く「初めて英語が話せる日本人に会った」と言われた。この程度の英語で「話せる」と言われると恥ずかしくなってしまう。

 部屋に戻るとまた別のルームメイトがいた。彼はトルコから来ており、こちらで働く予定だそうだ。彼も僕と同じであまり英語が得意ではないが、色々と日本について聞いてきた。トルコには非常に親日家が多いそうで、彼も日本にとても興味があるとの事。う~~ん、トルコも行きたくなってきた。

 何時に就寝したか覚えてないが、マットはすぐ部屋に帰ってきて、アルバートは部屋に帰ってきていないのだけ覚えている。今日は飲んだ飲んだ。これだけ飲んで、英語の練習もできて6ドルちょっととは、安いものだ。

本日の走行距離: 264マイル(422km)
総走行距離:5336マイル(8537km)

2018年1月19日金曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月19日

2005年7月19日(火)

 7時20分に目覚ましが鳴るも、起きられず。7時45分に、「やばっ!」と飛び起きる。すぐに顔を洗って、歯を磨き、水筒に水を入れて準備完了。8時過ぎにやっと出発。だが、ガソリンの量がかなり少なくなっているので、給油をしなければならない。前回の給油地点から150マイル走っているのに、まだリザーブを使わなくて良い。かなり節約出来てる走り方だけど、どうしてなんだろう。あるときは満タンで130マイルしか走らないし、今回は150マイル以上。20マイル(32km)の差が出るのであれば、節約した走りをしたいが、何が一番の原因なんだろう。速度とストップ&ゴーの回数なのかもしれない。

 今日のメインは「ケネディー宇宙センター」。オーランドから高速使って45分かかる、フロリダの東側に位置するところだ。だがこの45分ってのは、最短時間の事で、実際には2時間もかかってしまった。しかも通った道がオーランド市内の高速道路を取るルート。渋滞に巻き込まれたのも原因かもしれない。

 10時前に到着。2時間弱かかったことになる。到着寸前の橋を渡ると、左手にシャトル格納庫が見えるではないですか。2時間弱かかったことも忘れて、スロットルを多めに開ける。
  で、駐車場に到着し、停めようとした時に、カートに乗っている係員が「そこじゃなくて、こっちに来なさい」と声をかけてきた。オートバイ専用の駐車場に案内され、バイクを停める。停めたら係員が「駐車場内ではゆっくり走行してくださいね。多額のお金を払わなくちゃいけないですよ」と。あらら、スピード出していた所、見られてたんですね。。。すみません。
  係員は「持ち物にペンチやスパナなど持っていないですか?」と尋ねてきたが、何回も全然聞き取れず、係員が現物を見せてくれて、言っていることが理解できた。

 外国語を聞く時、ある程度相手が言うであろう単語を頭の中で推測し準備しながら聞いているのだと思う。だから準備した単語以外の事を言われると、非常に簡単な事でも全然わからないのであろう。

 ケネディー宇宙センターの入場料は37ドル。だが3.5ドル引きの割引券を持っていたので、得をした。この割引券は宿のパンフレット置き場に山のように置いてあった。たった3.5ドルとはいえ、券を持つだけでビール数本分が得をするのだから、使わない手はない。

 入場券を買い、早速中に入るとセキュリティーチェックが待っていた。セキュリティーチェックのおじさんは厳しいことは厳しいが、その厳しさの中にも優しさが感じられた。
  「このバックの中を開けてください、この水筒の中は水ですか?」とここまでは厳しいセキュリティーなのだが、このあと「おお、この水筒、使いやすそうで、いいね」と言う。日本のセキュリティーじゃ言わないだろう。

 まず最初に向かったのはバスツアー。ガイドブックによると、バスツアーは午後になると込むとの事なので、最初に行くことにした。発射台を結構間近で見たり、アポロ計画に関する資料を見たりと、退屈することはなかった。月の石にも触れたし、アポロ発射の瞬間も疑似体験できたし、満足満足。バスツアーは2時間から2.5時間かかるとパンフレットには書いてあったが、僕の場合4時間もかかった。

 中指で触っている黒い三角が月の石
ただの硬い石だった

 バスツアーが終わり、今度はIMAXシアターを見る。訪れる日本人が多いのか、日本語解説のイヤホンも無料で借りられた。英語に自信がない僕はもちろん借りた。残念ながら中国語は今のところないようです。

 15時頃、訪れた展示場に行ったら真っ暗。どうやら停電のようだ。いつ回復するかもわからず、1時間くらい別の展示場も見ながら行くが、どこも真っ暗。外にロケットが展示してある「ロケットガーデン」へ足を運んでいなかったので、暑い太陽光線の中、色々なロケットを見る。かなり汗をかいて、本来行こうとした展示場に行ったら、何事もなかったかのように、イベントが行われていた。なんだか損をした気分だ。

 お土産屋を見たが、特に欲しいものはなく、例によって手ぶらでお土産屋を出る。もし旅の後半だったら、いくつか買ったかもしれないが、旅の中盤、買うわけにはいかない。
  お土産屋の向かいには火星に関する展示場があり、ここで火星の石に触ることができた。触った感じは月の石と変わらない。ただ単に地球でもありそうな硬い石が貼り付けてあるだけだ。

 最後にIMAXシアターで3Dによる宇宙ステーションでの生活等を主題にした映画を見る。特殊眼鏡を掛けて見る映像は迫力があり、自分が本当に宇宙ステーションの中にいるみたいであった。映画は45分あり、非常に満足。だが、残念な事もあった。残念というより不覚な事といった方が良いのであろうか。上映してから30分くらい経った時に、睡魔が襲ってきて、1、2分寝てしまったのである。

 18時30分にKSCを出発。橋を渡った所にある「宇宙飛行士展示場」も見る。ここでは宇宙飛行士に関するものが展示されているが、一番の魅力は遠心力に耐える装置に乗れたり、月面歩行の感覚を体験できる装置があったり、火星探査車に乗った気分が味わえる装置に乗ったりできることだ。全部やりたかったのだが、時間の関係上、火星探査車しか体験できなかった。遠心力の奴やりたかったなぁ。。。。。並ぼうと思ったときにはもう19時半で、閉館時間30分前ということで、並ぶことすらできなかった。

 19時半に宇宙飛行士展示場を出発。日が落ちかけていて、闇夜が背後から迫ってくる。空がオレンジ色になるのを見ながら走ったが、問題が発生。まず第一に結構肌寒い。半袖で来て、高速走行なのだから、仕方がない。次の問題はオーランドの高速4号線に着いた頃には、すっかり日が落ちており、ヘルメットのシールドが使えないという事。いつも使っているシールドは太陽光線を遮るサングラスのような役目を果たしていて、日中なら効果発揮して快適に視界確保ができるのだが、夜になると今度は見えなくなってしまう諸刃の剣。夜は乗らないだろうと、この黒いシールドを使ったのが、いけなかった。仕方なくシールドを上げて、ピューピュー風を切るを聞きながら高速走行。21時過ぎに宿に到着。

 宿についた頃には腹が減って減って、フラフラになりそうだった。だから夕食はまたまたステーキ。昨日1lbない肉を食べて、腹7分目だったので、今日は1.3lb(おそらく500g以上)の肉を購入し、ステーキにする。4.41ドルだけの出費だ。あと来るときに乗ったアシアナ航空の機内食についていたコチュジャン(辛子味噌)も使った。これだけの肉を食べると、アゴが疲れる。でも昨日に続き非常に満足な夕食であった。

 明日はおそらくマイアミを訪れるであろう。 

本日の走行距離: 151マイル(241km)
総走行距離:5072マイル(8115km)