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2021年6月22日火曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年8月5日

2005年8月5日(金)

 今日は遅めの起床。最近は7時過ぎに目が覚めるようになった。今日も7時過ぎに目が覚める。しかし、腕時計が東部標準時だったので、ミルウォーキーでは6時過ぎ。もう一度寝ることにした。

 中部標準時の9時に起きて、受付に行き、宿の延泊を申し込むも、予約で空きがないとのこと。うそ~~ん、昨日なんかガラガラだったのに。キャンセルが出るかもしれないから、11時にまた来てくれと言われる。しかし、今日僕はハーレー・ダビッドソンとミラービールの工場へ行かねばならぬ。チェックアウトするために荷物をまとめ、もう一度受け付けに行き本当に空きがないのか聞く。ちょっと多めに払うからと言ったら、その受付は「ちょっとチェックしてみる」と事務所の裏へ。しばらくして「キャンセルが出ると思うので延泊OKですよ」と。本当は予約でいっぱいなんてことはなかったんだろう?まぁいいさ。さすがに35ドルで週末に泊まれるわけないと思っていたのだから。

 延泊が決まると、すぐに出発。ハーレーの工場はミルウォーキー市の北西に位置し、車かバイクがないと不便な場所だ。到着するとハーレーがたくさん並んでいた。この工場を見学する人は殆どがハーレーに乗って来ているようだ。
 中に入るとツアー受付の人が、ツアーの受付と詳細を教えてくれた。胸にツアーのシールを貼り、11時15分からのツアーをロビーで待つ。ロビーにはハーレーのエンジン、新車などが展示されており、これだけでも時間が潰せる。

 11時15分になり、セキュリティチェックとIDチェックを済ませ、防護メガネとイヤホンを装着し工場内へ。工場内は、特別な通路があるわけではなく、普通に従業員が働いてる床を歩く。だからちょっと手を伸ばせば、色々な機器が触れるのだが、触るのは一部を除き禁止。間近に見るエンジンの組み立てや、部品加工。なかなか見られない光景だ。英語が分かれば、ツアーコンダクターの説明がわかり、もっと面白くなったであろう。

 12時30分には工場を出る。非常に楽しかった。今までバイクは日本車だけと決めていたが、もしアメリカに住むような事があれば、ハーレーに乗っても良いかなと思う。アメリカのバイク市場(クルーザータイプに関して)はハーレーが独占していると聞くが、納得できるような気がする。アメリカをツーリングしていると、ハーレーに乗ってみたいという気持ちが出てくる。特に今日みたいに間近にハーレーを見たり触ったりできたら、その気持ちが益々強くなる。

ここにバイクを停めると250ccのバイクが原付くらいに見えてしまう

 13時過ぎ、今度はミラービールの工場へ到着。工場へ到着するとビール醸造の良い匂いがしてきた。工場見学自体は、正直あまり面白いというものではなかった。英語の説明もあまり分からないし。

 だが、見学が終わり、お楽しみの無料ビール。まずはジョッキで一杯。テーブルの上にはミラー社特製のアルミ缶貯金箱とコースターがあったが、僕はコースターだけもらい、貯金箱はもらわなかった。あと1ヶ月、荷物になるだろうし、持って帰っても多分潰れてしまうであろう。

 その後道路を渡り、今度はミラー社が作っている色々なビールの試飲。だが、ここでは2杯までしか飲めない。申し込み時に手首に付けられた紙のリストバンドに、1杯目はペンでバツを、2杯目はそのリストバンドをハサミでちょっきりと切り、もうこれ以上飲めない仕組みになっている。

 ビールを飲みながら「いつからビールがおいしいと思うようになったのだろう」と考えた。子供の頃なんかちょこっと飲ませてもらったとき、「なんじゃこの飲み物。大人はどうしてこんなマズイものをおいしそうに飲んでいるのだろう」と思ったものだ。それが今じゃ、平気でグビグビ飲んでいる。

 結局出た結論は、大学生の時にたくさん飲んで、味に馴染み、仕事をするようになってから、おいしいと感じるようになった、という事だ。仕事で疲れた時に飲む冷え冷えのビールは最高だもんなぁ。大学生の時は嫌いじゃなかったが、特別おいしいと思うこともなかった。

 酔いを醒ますために、昼寝もしたり、色々と今後のプランを考えたりと、この工場には5時間くらい滞在していたであろうか、夕食の時間になっていた。夕食は特に食べたいものがなかったので、Wendy'sで済ます。部屋でモグモグ食べて、あとは日記を書く。

 それにしてもここのMotel、ダニが多いのか、今日は全身痒い。明日チェックアウトなので、我慢我慢。

本日の走行距離: 47マイル(75km)
総走行距離:8,715マイル(13,944km)

2021年6月19日土曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年8月4日

2005年8月4日(木)

 今日は遅めの起床。8時半に起きて、10時に出発。鍵をフロントに返すと、スタッフが「誕生日おめでとう」と言ってくれた。その後、オートバイに関して雑談。本当にフレンドリーな人が多くて、飽きない。

 今日は高速を使わず国道20号線をひたすら西へ向けて進む。ただ天気予報で言っていたように、途中1時間ほど雨に降られた。最初は小雨で、降ったり止んだりだったので、雨具を使わず走るも、かなり本格的に降り始めてきたので、バイクを路肩に停めて雨具を全装備。路肩で装着していた為、親切な人が「あと1マイル行けば、屋根つきの場所があるよ」と教えてくれた。だが、もう教えてもらった時には、グローブを装着するだけだった。

 装備完了。勢いよく走り出し、強くなってきた雨の中をひたすら前方に集中しながら走る。2時間くらい走ったら、太陽が出始めてきたが、遠くの雲はまだ黒かった。雨具を脱がずにひたすら走る。走って走って、雨が降りそうに無いところで、食事タイム。バーガーキングでワッパーを食べる。
 レジの女の子が「そんな格好して暑くないの?」と尋ねてきたが、雨に濡れて高速移動、寒いくらいだった。可愛い女の子だった。

 また降りそうな雲行きだったので、雨具を脱がずシカゴ市内に入る。市内に入ると、ヒートアイランド現象なのか、急に温度が上がったような気がした。汗がタラタラ出てきた。

 シカゴの一番海岸線沿いの国道41号線を走り、シカゴ市内を抜ける。思ったほど混んでいなかったので、スムーズに抜けられた。スムーズに抜けられたせいで、地図を見る暇が無く、市外になった時ちょっと迷ってしまった。進んでいる方向は合っていたが、通りを1本間違えていた。

 シカゴを抜けてからウィスコンシンまで行く道は有料高速が多いが、僕は一切使わずに来た。数ドルとは言え、バイクなら無料の高速道でも全然問題ないし、出せるスピードもそんなには変わらない。現地の人たちが気軽に使っている道なのだし、風景も楽しめるし、その方が良いと私は思う。

 ウィスコンシンに入ってすぐに観光案内所がある。高速道路を利用していると州に入ってすぐに観光案内所がある。そこでその州の地図をもらったり、観光スポットを教えてもらったりと非常に役に立つ。しかし、殆どの場合が17時か18時で閉まってしまう。移動はそれまでに済ましておきたい。


 観光案内所に行くと、人のよさそうなライダーがいた。カナダ人のDoug氏だ。BMWの1100ccのバイクで移動していて、今日彼もミルウォーキーに宿泊らしい。僕のバイクにウィンドシールドがついてない事とたった250ccで移動していることに驚いていた。

 ん?やっぱり僕は雨男なのかな?上記Doug氏と出発地点は大体同じだったのだけど、僕は土砂降りの中走り、彼は全然雨なんぞ降らなかったと。。。。大体同じルートなのに、これほどの差があるとは。

 さて、海外で誕生日を迎えるのはこれで5回目だ。1回目は1997年夏の韓国への交換語学留学プログラムの時。2、3、4回目は台湾在住時。海外で迎えるからと言って、特別だとは思わない。誕生日なんぞ、ただの1日なのだから。
 それより、何かハプニングがあって、嬉しく楽しく過ごせた一日の方が大切だ。

 なぜなら今日、宿探しに苦労したからだ。誕生日だからと言って、ラッキーかと言ったらそうとは限らない。誕生日に何かラッキーなことを期待している人が多いのでは。

 Greendaleにあるユースホステルに電話をかけても全然出ない。おかしい、おかしいと思いながらも、直接宿まで行くことに決めた。所が、宿に行ってみると閉鎖されていた。その他の安宿に電話をかけるも、やはり、つながらない。結局国道沿いのちょっと寂れたMotelに泊まることにした。税込み25ドルと良いお値段。ここだ、と思い、宿泊したい旨を伝え宿泊手続きへ。だが、このMotelの受付、アホだ。僕の国際免許証を見て、「読めないから宿泊はダメだ」と言う。英語のページを開き、見せても、「よくわからないからダメ」と。アホなんちゃいますか?

国際免許証を見せて文字が読めないからと宿泊を断られたMotel

 こんなアホがいるMotelはすぐに切り上げて、次のMotelを探す。丁度このアホなMotelの向かいにもMotelがあったので、事務所に入ってみると、税込み35ドル。部屋に電話はないと言うが、そんなものは僕には関係ない。公衆電話を使えばいいのだから。
 ところが、このMotel、無線LANが使えた。あまり電波の送受信状況がいいとは言えないが、メールチェックくらいであれば、問題ない。
パッとみてなかなか良さそうなMotelなのだが、
翌日起床してみるとトンデモナイことが・・・・

 部屋に入って、テレビのチャンネルをまわすと、アダルトチャンネルが・・・・。今まで、こんなの流れる宿、泊まったことがなかった。チェーン店のMotelじゃ、流せないか。

 腹が減ったので、飯を買いにちょっと北上。スーパーに入るも、良い物が無かったので、冷えたビールを買い、近くの中華料理屋で炒飯を買う。熱々の炒飯をつまみながら、ビールで一杯。これで、好きなときに寝られれば、幸せだ。

本日の走行距離: 287マイル(459km)
総走行距離:8,668マイル(13,868km)

2021年6月16日水曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年8月3日

2005年8月3日(水)

  8時10分起床。身支度をして9時前に出発。出発の朝のスケジュールは大体いつもこんな感じだ。しかし、今日は腰が痛い。ちょっとでも前かがみになると、痛む。

 早速レインボー橋を渡り、一気にカナダ入国審査へ。簡単な質問「どこへ行くんだ、滞在日数は?」というのに適当に答えて、すぐに審査終了。早いなぁ。
ナイアガラの滝の近くにかかっているレインボーブリッジ

 そのあとはカナダの道を走る。思ったより寒かった。

 Londonのガソリンスタンドで余ったカナダドルを宝くじにする。8ドル分買ったが、そのうち5ドル当たり、また別の宝くじを買うも、すっからかんに。まぁ、ほんの少しの間だけでも楽しめたのだから、良しとせねば。

 高速道路の路肩は本当に色々なドラマがあると思う。パンクした車、エンストしてしまった車、バーストしたタイヤの破片、車にはねられた動物のしかばね等等。でも今日はよく見る上記の車じゃなく、炎上している車を見た。対向車線が黒い煙に包まれていたので、始め、「ああ、近くで焼き畑農業でもしてるのかな?」と思ったが、なんと車が炎上して消防車による消火活動が始まろうとしていた。じっくり見たかったのだが、対向車線のため、チラッと見て終わり。どこでどうやったらなんな風に燃えてしまうのであろうか。

 事故現場の後続はもちろん渋滞。

 宿がなかなか決まらず、予定より随分と走行して、いつのまにかまた米国入国審査をおこなうサーニア(Sarnia)という町を通り過ぎた。そこではPoint Edwardにある橋を渡るのだが、通行料2ドルした。サーニアを過ぎてしばらくすると、ミシガン州西側に行く道と、南下してインディアナ州へ行く道と分かれているところに差し掛かったときに、インディアナ州方向に決める。なぜなら、ミシガン州のMotel割引クーポンブックがないからだ。普通はRest Areaとかガソリンスタンドとかに大量に置いてあるのだが、ミシガン州については全然そういったものがない。インディアナには結構そのクーポンブックが置いてあったので、インディアナに行くことに決めたのである。

 で、宿はインディアナ州にあるFremontという小さな町にあるのにした。このFremontは小さい町だが、2本のInterstate高速が交わる大きいジャンクションがある町で、レストラン、ファーストフード、宿泊施設は結構充実していた。値段がそんなに高くなかったので、ここに決める。

当時の面影は今や全く存在せず、トラック関係の会社?になっている。この小高い丘の上に立っていたのを今でも鮮明に覚えている。

 宿の女将さんに「IDが必要か?」と聞きながらパスポートを見せると「日本のパスポートを見たことがないから、見せて」と見せる。興味深そうに見ていて「あら、明日誕生日じゃない、おめでとう」と。いえいえ、別に誕生日だからって、特別なことがあるわけじゃないし。。でもその女将さんの誕生日は今日8月3日だそうだ。お互いに「おめでとう」と言い

 夕食は高速を走っていた時に気になった看板「16oz T-ボーン ステーキ 12ドル」と説明があったレストラン。本当に庶民的なレストランなのだが、料理がすごい。16oz(480gくらい)のステーキがたった12ドルだというのに、それプラスでサラダバーもついていて、大食漢にとっては、お得だと思う。残念ながらビールは販売しておらず、ペプシコーラで肉をほおばる。いやぁ~、幸せ。こんなおいしいステーキ、にくお先輩※にも味わってほしいものだ。

 たらふく肉を食べて、ちんたら歩いて宿に戻る。特に何をするでもなく、ボーっとすごし、一日が終わる。200マイルくらいの走行にしようとおもっていたが、結局400マイル以上も走ってしまった。
 腰の調子は昨日とあまり変わらず。困ったもんだ。

※にくお先輩:小生が以前勤めていた会社の同僚

本日の走行距離: 418マイル(668km)
総走行距離:8,381マイル(13,409km)

2021年5月19日水曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年8月2日

2005年8月2日(月)

 8時15分起床。シャワーを浴び、歯を磨き、1階へ。朝食があるとのことなので、頂く。マフィンとコーヒーだ。1ドルと有料なのだが、ワシントンDCのユースの時のような気持ち程度のマフィンじゃなくて、結構大きめのマフィンで、朝食をあまり食べない僕にはちょうど良いくらいだ。

 朝食を済まし、いざ出発。今日は歩きで一日を過ごす。まず向かったのは米国~カナダ間を結ぶレインボー橋。すぐに渡ろうと思ったが、ガイドブックに書いてあったことを思い出す。滝壺の間近まで船で行ける「霧の乙女号」は、カナダ側からだと結構込んでいて、アメリカ側からだとまあまあ空いているとの事。しかも通るルートはまったく同じで、出発位置が違うだけとのこと。
 込んでいて並ぶのは嫌だったので、橋を渡るのを後にして、乗船チケットを購入。11.5ドル。高いけど、これは見学したかったものだから、払う価値はあると思う。

 エレベーターで乗り場まで下り、乗船場へと向かう。その途中、青い合羽をもらう。ビニールで出来た使い捨てタイプの合羽である。これが1年で何百万枚も消費させると思うと、地球さんに申し訳ない。かと言って、拒否するわけにも行かない。拒否したらカメラ、コンピューターがびしょぬれになってしまうからだ。

 よかった。11.5ドル分の価値はあったと思う。あんなに間近で滝が見られるなんて。見られるんじゃなくて、感じられると言ったほうが正しい。滝壺付近では霧で何も見えないからだ。メガネに水滴はつくし、前を見ても霧の中にいるので、何も見えないし。ただ轟音と水しぶきを体で感じることはできた。こんなツアーを考えたアメリカ人かカナダ人、すごい商売根性だ。

 その後、滝の周りをぶらぶらし、いよいよ国境越え。アメリカ側の出国審査は無し。回転式鉄格子を通ったら、もう橋。真ん中あたりが丁度境目なのだが、いつの間にか通過していた。橋の上から見る眺めは格別だ。だが、橋の上から下を見るのは恐怖。そう、僕は高所恐怖症なんです。足がすくんでしまった。
 橋の終わりにカナダへの入国審査があるが、僕の場合バンクーバーで1回入国審査が済んでいる為なのか、入国審査官は僕の情報をバーコードで読み取りもせずに、入国スタンプを見て、「はい、じゃ、どうぞ」と10秒足らずで終わってしまった。
 早っ!まぁ、あれこれ調べられるよりは、こういった感じの方が良いに決まっている。

 カナダに入国し、殆どの観光客が訪れる滝の正面が見られる所へ行く。ここは本当に人が多く、水しぶきも結構あった。霧雨じゃなくて小雨くらいの勢いと言えば良いであろう。ただ、人がたくさんいるだけあって、眺めは本当に美しい。

 滝をしばらく眺めていたら、いつの間にかお昼になっていた。グーグー鳴るお腹を我慢させて、安く食べられるような場所を探す。やはりここは観光地。ちょっとしたレストランとかは高い高い。それに雰囲気が一人で入れるような所じゃない。
 なかなか見つからず、とりあえずすぐ近くにあったカジノ兼ショッピングモールである建物に入る。

 そして、初カジノ。でもギャンブルはしなかった。カナダ側にはすぐにわかるカジノはシェラトンホテル近くのと、タワーの近くにあるのと2つだ。他にも小さいのがあるのかもしれないが、パッと見てすぐにわかるのは上の2つだ。
 で、タワーの近くにあるNiagara Fallsview Casino Resortとか言う所に入る。まずは身分証明書のチェックと簡単なセキュリティチェック。ここの警備員が非常にフレンドリーだった。まずは僕のパスポートを見て「ええ?これ本当にあなたのですか?」と笑いながら言ってくる。次にかばんの中をチェックなのだが、ここでも「ワー、これ、パソコン?DVD?いくら?どこのメーカー?」と色々と質問してくる。とても感じのいい人だった。
 チェックが終わり、手にスタンプをしてもらいやっと中に入る。

 おお、きらびやか。それにブラックジャック等のカードゲームをしているお客が楽しそうにゲームをしていた。トランプゲームは僕はできないので、スロットの方へ行く。だが、始め方がわからず、しばらくブラブラする。どうやら、ここは硬貨がそのまま使える機械ではなさそうだ。25セント硬貨を入れても出てくる。日本のパチスロみたいにお金でその店有効のメダルを買うのか?
 両替するにも5米ドルが必要な感じ。ラスベガスで楽しもうと思っているので、今回はただ眺めるだけにして、出口へ向かう。
 入り口にいた警備員が、僕に向かって親指を立てるGoodのサインをしてくれた。

 カジノ見学が終了して、さらに鳴るお腹に「もうちょっと我慢しろ」と言い聞かせていると「フードコート」の文字が。おお、こりゃ行くっきゃないでしょ。寿司やハンバーガー、ピザなどがあったが、ピザにする。大きめのピザ1枚とコーラ、そしてポテトチップスがついて6.21カナダドル。観光地にしてはまずまずだと思う。味もそこそこだったし。

 腹も満たされて、建物の外に出ると、空中を歩く人影が。。。。なんと隣のビルからこのカジノのビルまで綱渡りをしているではないですか!!!例え高給でも僕には出来ない仕事だ。
 無事にカジノのビル屋上までたどり着いた。ドキドキはしなかったが、無料でこんなアトラクションが見られて、得した気分だ。

 15時半、カナダ側の見るものも大体見たので、再びレインボー橋を渡る。今回は橋を渡る前に、有料ゲートを通らなければならなかった。説明に「アメリカドルでもカナダドルでも良いから、50セント払うように」という旨が書いてあった。で、その説明の中に、日本語もあった。日本人って多いんだな。
 アメリカドルでもカナダドルでも良いというなら、カナダドルで払ったほうが安くなる、ほんの少しではあるが。カナダには今回はもう戻らないので、残ったカナダドルで支払う。それでもあと24ドルくらい残っている。

 橋を渡り、アメリカの入国審査。審査ブースにはカメラと指紋照合の機械があり、一見厳しそうな審査かと思ったが、パスポートを見せて、審査官が読み取り機で読み込ませて、入国日から「7月、8月、9月」と数えて終わり。航空券のチェックがあるとか、テロ警戒レベルが上がって、セキュリティチェックが厳しく荷物検査があるとか思っていたのに、こんなにもアッサリ通過できると、拍子抜けである。

 審査が終わり、ゴート島へ行く。ツアーではたぶん訪れないような所であろう。なぜかというと、滝のすぐ横で、ツアーとかはカナダ側から見るのが一般的だからだ。

 17時半、宿に戻る。

 ギックリ腰か?バイクのチェーンがカチャカチャ言うので、後輪の位置を調整。その時に5、6回バイクを倒したり起こしたりした。もしかしたら、これが原因で腰が痛いのか?たぶん明日になれば、痛みが治まっているとは思うが、心配だ。
 ぎっくり腰だったら、立っていられないか。でも腰にダメージを負ったのは確かだ。

 手が真っ黒になりながらやっと完了。試しに一般道を走ってみるが、特に変わった感じはしない。リヤブレーキの感覚だけがちょっと敏感になったくらいか。とりあえず明日は様子見だから、ゆっくり走ろう。いきなり高速走行して、問題があって、転倒でもしたら、死ぬのは誰だ?僕なのだ。おそらく問題ないとは思うが・・・・・。

 腰が痛いのを堪えながら、やっと今まで溜まっていた日記が書き終わる。書き終わったが、日本に帰国して詳細情報等を追加しようと思っている。

本日の走行距離: 1マイル(1.6km)
総走行距離:7,963マイル(12,740km)

2021年4月2日金曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年8月1日

2005年8月1日(月)

  8時起床。C氏は会社に出かけるので、これでお別れ。部屋の鍵は1階にいるドアマンに渡せばよいとの事。

 9時出発。マンハッタン島を出る(正確にはHudson川を渡る)には昨日通ったHolland TunnelかLincoln Tunnelか、ワシントン橋の3つうちどれかを選ばなければならない。トンネルは風景が何も見られないので、 一番北に位置しているジョージ・ワシントン橋を選ぶ。だがニューヨーク、大都市だけあって、ここにたどり着くまでに結構な時間をかけてしまった。

大都会ニューヨークをバイクで走るのもなかなかいいものである。
だが、油断は出来ないほど道路の凹凸が激しい

 橋を渡ったあとも久しぶりに道を間違えてしまった。間違えたと言っても5、6マイルだけなのだが、方向感覚に自信を持っているだけにちょっと凹んだ。

ジョージ・ワシントン橋からの風景
(なぜかこの橋のStreet Viewが存在していない)

 正しいコースに戻ってからは至って順調。途中、ガス欠になるんじゃないかと思った事があったが、ノートラブルでナイアガラ付近まで来る。14時くらいに宿に電話するも、誰も出ず。ガイドブックによると16時からとの事なので、16時半にもう一度電話。しかしまた誰も出ず。もしかして閉まっているのかと思い、ナイアガラの滝付近に宿をとるんじゃなくて、バッファローというちょっと離れた所にしようかと思って、もう一度電話をかけると、出るではないですか。そんな込んでなさそうな電話対応であった。
 満員で断られるのを心配していたのが、馬鹿みたいだ。だが、夏はオンシーズン。早めに予約するべきだと思う。


私はこのバイク旅行でアライのRX-7のヘルメットを使っていました


 宿が確保できたが、問題がもうひとつ。電話をかけたのが18時ごろ。電話した場所から宿までは40マイル以上ある。暗闇の中を走りたくないから、多少の出費は我慢して、有料高速を走ることにした。
 ゲートで日本の高速みたいにチケットをもらい、走るのだが、他の車は無料の高速道路よりスピードを出すように思える。僕も全開で75mph走行。もうこんな走りはしばらくはしないと思う。

 終点近くになると渋滞し始める。10ドルくらい取られると思って20ドル札を用意したのだが、料金はたったの1.2ドル。財布から取り出すのも面倒だったので、20ドル札を渡す。

 料金所で注意が必要だ。オイル漏れを起こしている車が多いのか、料金所の地面はツルツルだ。昨日のマンハッタンに入る料金所でもそうだったし、今日もそうだ。ライダーの皆さん、お気をつけて。


 19時過ぎ、やっとチェックイン。普通の一軒家を宿にしたようなユースホステルだ。スタッフはアジア人のおばちゃん一人。バイクで来たと言ったら驚いていた。アメリカ人やカナダ人だったら、バイク旅行しているのを見たことがあるが、外国人では初めてだそうだ。

 腹が減ったので、食事を兼ねながらダウンタウンへバイクで行く。ダウンタウンについてまずしたのが駐車スペースの確保。すぐに見つかり、駐車。先に停めてあったカワサキ、ハーレーの隣だ。大排気量の隣に置くと、なんとも小さく見える。

 ダウンタウンをブラブラ歩き、ホテルの駐車場で今、日記を書いているノートパソコンを立ち上げる。無線インターネットが使えるホテルだからだ。しかし、ユーザー名とパスワードが必要だったので、接続できず。
 その他のホテルで、同じことをするも、状況変わらず。諦めて夕食にする。屋台の「チキンカレー」。インド人らしき人がやっていて、味もなかなか。これで6ドル。安くはないけど、観光地価格の中では安い方だと思う。

 バイクで宿に戻り、通りを見ると、街灯がないので、真っ暗な通り。こんな道怖くて歩けない。

 夜、コモンルームで、中国語の新聞を読む。世界時報という新聞だ。読んでいると、スタッフのおばちゃんが、「中国語読めるの?」と英語で話しかけてきて、Yesと答えると、中国語で話しかけてきた。
 ああ、やっぱり。上海出身らしく、こちらで中国語を教えているそうだ。中国語で他愛もないことを話す。だが、話す内容で日本人と違うのは「給料はいくらだ?」という質問があること。お金に関してやっぱりがめついと言うか、しっかりしていると言うか。

 7月下旬の日記が溜まっていたので、いくらか書いた。だが、それでもまだ足りない。明日また書かねば。 

本日の走行距離:445マイル(712km)
総走行距離:7,962マイル(12,739km)

当時走行したルートと異なる可能性があります

2021年2月13日土曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月31日

2005年7月31日(日)

 7時50分起床。簡単に身支度を整えて2階のダイニングルームへ向かう。マフィンはチョコレート味で意外においしかった。昨日、一昨日のよりは断然おいしい。コーヒー飲み放題は2杯だけにしておいた。あんまりがぶがぶ飲んで胃が悪くなっても馬鹿みたいだし。

 チェックアウト時のフロントは結構忙しそうだった。しかもチェックアウトする人、している人が6人以上フロントの前にいたのに、スタッフは1人のみ。さっさ、さっさっと事務処理をこなしてくれればいいのだが、そんな事を要求するのは無駄なのかもしれない。5分以上待たされて、チェックアウト。ようやく9時出発。

 ワシントンDCの道はすぐに抜けられた。高速もすぐに見つけられ、一気にボルチモアまで行く。ボルチモアで海底トンネルをくぐる。普通の道を走ってもいいのだが、この海底トンネルを利用すると距離が縮められる。料金は2ドル。背に腹は換えられぬ。


 ボルチモアを過ぎ、今度は大きな川を渡らなければならないのだが、ここもまた有料。今まで走ってきた95号線を一旦下りて、一般道を走る。地図では無料だからだ。
 ところが、橋にさしかかろうとしたら料金所が・・・・・。ゲゲッ、しかも5ドル。なんて高いんだ。こんなに高いなら95号線下りずに走った方が良かったのかも。後悔しても仕方ない。一般道でも料金を取られるという事を学んだ学費だと思えば良いさ。


 フィラデルフィアで昼食。Wendy'sだ。ハンバーガーにポテトと言うのも良いのだが、今日はポテトをシーザーサラダにチェンジ。お値段が4ドルくらいが5ドル強とお高くなっているものの、野菜が食べられるのであれば、出し惜しむわけにはいかない。天然の繊維、ビタミンを摂取でき、体が軽くなったように思うのは気の持ちようだと思う。

 今日の宿泊先はK氏(今の妻である)の親戚のC氏邸になった。海外で不自由しているのだから、こういうコネはなるべくあった方が良いに決まっている。多少気を遣うかもしれないが、貧乏旅行なので、ありがたい。

 次の宿泊代が無料の所はロサンゼルスかもしれない。中国(大陸)人の友人が「来い、来い」と言うので、行くしかないでしょう。

 フィラデルフィアを過ぎ、次の大都市はもうNY。一応ニューアークとかあるのだが、距離的にはもうフィラデルフィア~ニューヨーク間なんて隣のようなもんだ。しかし、実質的には結構時間がかかるものだというのが、すぐにわかった。

 Holland Tunnel手前で大渋滞。またしてもすり抜けをしているバイクがなかったので、1時間くらいかけてやっと料金所にたどり着く。6ドルと書いてあったので、6ドル渡すと1ドル返ってきた。どうやら、バイクはちょっとだけ安いみたいだ。
 料金所を抜けて、飛ばせるかと思ったら、トンネルの中も渋滞。ここはノロノロ運転。2、3分かかって通過。この2、3分のために、1時間も並び、5ドルもかかったのである。もうバイクでニューヨークなんかに来ないぞ。

 マンハッタン島に入ったら、道路の状況が悪くなった。デコボコ道が多すぎるのである。ちょっとでもスピードを出すと、飛び跳ねてしまう。かと言って、ゆっくり走れない。周りがガンガンスピードを出すからだ。
 飛び跳ねながら、やっと本日の宿泊先に到着。C氏に電話をして、無料の駐車場所を教えてもらう。そこには2、3台バイクが停まっていた。そのバイクの近くに駐車。ニューヨークの駐車代はとんでもなく高いそうだ。確かに街中で見たのは「3時間12ドル」とか「1時間5ドル」とかいう看板だ。

 C氏邸はまるでホテルのような感じの「超」をつけても良いくらいの高級マンション。1階のセキュリティに本日宿泊の旨を伝え、エレベーターであがる。思ったとおり、部屋の中も、映画に出てくるような素晴らしい眺めの部屋であった。こんな高級なところに、貧乏人が宿泊するのは何だか、気が引ける。身分不相応だ。

 シャワーを浴びさせてもらい、一人でセントラルパークへ向かう。中学の時の英語の教科書に載っていた「ストロベリー・フィールズ」へ行くためだ。今でも覚えているのは「When spring come, Nancy visits strawberry fields. It is in Central park in New York City.・・・・」というくだりだ。あれからもう10年以上経って、やっと今日訪れることができたわけである。
 ただ記念碑自体はひっそりとしていたが、教科書で学んだものが自分の目で見られたことに、喜ぶ。



 夕食はC氏と一緒にSOHOにある雰囲気の良いレストランなのだが、今日はお客がかなり少なく、C氏は気まずそうな顔をしていた。いえいえ、そんな顔しないでください。連れて行ってくれるだけでもありがたいのですから。しかもご馳走にまでなって・・・・。ありがとうございます。

 帰りは地下鉄に乗って帰る。22時過ぎに到着。

 23時にベッドに横になり日記を書いていたのだが、いつの間にか寝ていた。確かに昨日は3時に寝て、今朝8時前に起きたのだから、眠いはずである。

本日の走行距離: 252マイル(403km)
総走行距離:7,517マイル(12,027km)

当時走行したルートと異なる可能性があります

2021年2月6日土曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月30日

2005年7月30日(土)

  8時10分起床。2階のダイニングルームへ下りる。顔見知りがいなかったので、一人でもぐもぐマフィンを食べ、コーヒーをすする。やっぱりこのマフィンだけじゃ足りないが、かと言ってほかに何か食べる気にもならない。9時に出発。今日はポトマック川を渡り、アーリントン記念墓地の北に位置する「Iwo Jima Memorial(硫黄島記念碑)」へ行く。だが、いつも使っているAtlasの地図を持たず、無料で配られている地図を持ったが、載っている範囲が狭すぎて、行き方がわからない。Atlasに書かれていた道を思い出しながら、西へバイクを進める。
 ポトマック川が見えてきたので、その道路から一番近い橋を渡ると、ばっちり硫黄島記念碑にたどり着けた。

 さて、硫黄島のすり鉢山で旗を立てているアメリカ兵の写真を撮るかと思った瞬間、大切なことを忘れていた。ビデオカメラの画面に「カードがありません」との表示。あちゃ~、昨日撮った写真をPCに移した後、抜き取るのを忘れた。仕方ないので、テープに収める。このまま、ケネディー元大統領の墓などを見ても、写真に収められないと思い、宿に戻ることに決めた。墓地は何十年後もここに今と同じままで存在しているはずなのだから、また来ればいいさ。

 宿に戻り、バイクを駐車。どうやら、土曜日は無料なのか、お金が入れてあるパーキングメーターはなかった。じゃ、僕も遠慮なく路駐させてもらいます。宿にすぐ近くに停め、ヘルメットを置き、今度は歩いてスミソニアン自然歴史博物館へ行く。

 自然博物館で、見ようと思っているのはホープダイヤ(Hope Diamond)だけのはずだったのだが、これ以外に何気に興味をそそるものがあり、2時間半もいた。中でもテラノザウルス(通称T-Rex)の化石には圧倒された。

ホープダイヤはちらっと見ただけ


 その後、腹が減ったので、博物館を出て、マクドナルドで食事。昨日チャイナタウンにあるマクドナルドで見た価格と今日食べたところのマクドナルドの価格が違う。博物館の中にあるマクドナルドやその付近にあるのが高いのは観光地価格だと思えば、理解できるが、同じワシントンDCなのに、こうも値段が違うとは。

 マクドナルドの店員は愛想が悪かった。ここで食べるか、持ち帰りかも聞かず、紙袋に入れたものをくれた。くそっ、なんて態度だ。英語が流暢だったら、文句のひとつでも言っているかも知れないが、何も言わずに受け取った。ああ、日本語で文句を言えばよかったか。

 食べ終わり、今度はアメリカ歴史博物館へ足を運ぶ。ここがなかなか楽しめた。まずはアメリカの戦争の歴史。南北戦争、市民戦争等については全然わからないので、簡単に見るだけ。第二次大戦の展示になると、見所が一気に増える。まずはパールハーバー。日本時間では12月8日だが、アメリカは7日。ルーズベルトの呼びかけにより戦争が始まる。やはりアメリカの博物館だけあって、アメリカが経済封鎖をしてたとか、そういう説明はなかった。日本が一方的に奇襲したように感じる展示の仕方だった。まぁ、仕方ないかな。自国を美化するのはどこの国も一緒なのだから。





 パールハーバーの後は、ミッドウェー、ガダルカナル、フィリピン、硫黄島、沖縄、そして広島・長崎と流れていく。

 ワシントンDCでの滞在は結局足りなかった。航空宇宙博物館ではIMAXを一切見ないで丸一日が潰れたし、アメリカ歴史博物館や自然博物館も思ったより見るところが多かったし、印刷局は、平日しか見られないそうだし。まぁ、これらは次回来るときにも見られるものであるから、残念がる必要はない。また来れば良いだけのこと。来られるように、一生懸命働いてお金を貯めよう。

 夕食はまた冷凍食品。Kissimmeeで食べた「Hungry Man」という商品名で、量が多いものである。今回はパスタとミートボール。これがなかなかの美味。ほかの人は、「何じゃこりゃ?」という味かもしれないが、僕はこういうジャンクな食べ物、大好きだ。

 昨日知り合ったマコト氏、今朝シャワーを浴びているときに、クレジットカードをパクられたそうだ。しかも財布は無事で、クレジットカードだけという巧妙な手口。マコト氏は普段財布を後ろに入れているが、カードを取られた後は前のポケットに入っていたため、すぐに気がついたそうだ。もし後ろのポケットに戻されていたら、たぶん気づかず、被害にあってから気がつくパターンになっていただろうとの事。う~~ん、恐ろしや。
 これから肌身離さず財布を持っておこう。寝るときにもだ。

 深夜、イリノイ州で勉強しているマコト氏と話す。20代前半なのに、非常にしっかりした考えを持っており、感心した。今時の若者という感じではない。
 色々なことを話しているうちに、年上である僕が、「なるほど、なるほど」と色々なことを学んだ。本当にためになった。本来年上であるはずの僕が、マコト氏にアドバイスとかするのが一般的かもしれないが、僕から学ぶことが無い上に、マコト氏がしっかりしているから、このように逆の現象になった。
 マコト氏とまた会う約束をして、3時就寝。

 この旅が終わったら、日本語教師以外の仕事を探そうなんて思っていたけど、3割、4割くらいの割合で日本語教師も良いかなと思うようになってきた。台中で働くのかぁ?まぁ、それはそれで良い。

本日の走行距離: 9マイル(14㎞)
総走行距離:7,265マイル(11,624km)
当時走行したルートと異なる可能性があります