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2021年2月13日土曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月31日

2005年7月31日(日)

 7時50分起床。簡単に身支度を整えて2階のダイニングルームへ向かう。マフィンはチョコレート味で意外においしかった。昨日、一昨日のよりは断然おいしい。コーヒー飲み放題は2杯だけにしておいた。あんまりがぶがぶ飲んで胃が悪くなっても馬鹿みたいだし。

 チェックアウト時のフロントは結構忙しそうだった。しかもチェックアウトする人、している人が6人以上フロントの前にいたのに、スタッフは1人のみ。さっさ、さっさっと事務処理をこなしてくれればいいのだが、そんな事を要求するのは無駄なのかもしれない。5分以上待たされて、チェックアウト。ようやく9時出発。

 ワシントンDCの道はすぐに抜けられた。高速もすぐに見つけられ、一気にボルチモアまで行く。ボルチモアで海底トンネルをくぐる。普通の道を走ってもいいのだが、この海底トンネルを利用すると距離が縮められる。料金は2ドル。背に腹は換えられぬ。


 ボルチモアを過ぎ、今度は大きな川を渡らなければならないのだが、ここもまた有料。今まで走ってきた95号線を一旦下りて、一般道を走る。地図では無料だからだ。
 ところが、橋にさしかかろうとしたら料金所が・・・・・。ゲゲッ、しかも5ドル。なんて高いんだ。こんなに高いなら95号線下りずに走った方が良かったのかも。後悔しても仕方ない。一般道でも料金を取られるという事を学んだ学費だと思えば良いさ。


 フィラデルフィアで昼食。Wendy'sだ。ハンバーガーにポテトと言うのも良いのだが、今日はポテトをシーザーサラダにチェンジ。お値段が4ドルくらいが5ドル強とお高くなっているものの、野菜が食べられるのであれば、出し惜しむわけにはいかない。天然の繊維、ビタミンを摂取でき、体が軽くなったように思うのは気の持ちようだと思う。

 今日の宿泊先はK氏(今の妻である)の親戚のC氏邸になった。海外で不自由しているのだから、こういうコネはなるべくあった方が良いに決まっている。多少気を遣うかもしれないが、貧乏旅行なので、ありがたい。

 次の宿泊代が無料の所はロサンゼルスかもしれない。中国(大陸)人の友人が「来い、来い」と言うので、行くしかないでしょう。

 フィラデルフィアを過ぎ、次の大都市はもうNY。一応ニューアークとかあるのだが、距離的にはもうフィラデルフィア~ニューヨーク間なんて隣のようなもんだ。しかし、実質的には結構時間がかかるものだというのが、すぐにわかった。

 Holland Tunnel手前で大渋滞。またしてもすり抜けをしているバイクがなかったので、1時間くらいかけてやっと料金所にたどり着く。6ドルと書いてあったので、6ドル渡すと1ドル返ってきた。どうやら、バイクはちょっとだけ安いみたいだ。
 料金所を抜けて、飛ばせるかと思ったら、トンネルの中も渋滞。ここはノロノロ運転。2、3分かかって通過。この2、3分のために、1時間も並び、5ドルもかかったのである。もうバイクでニューヨークなんかに来ないぞ。

 マンハッタン島に入ったら、道路の状況が悪くなった。デコボコ道が多すぎるのである。ちょっとでもスピードを出すと、飛び跳ねてしまう。かと言って、ゆっくり走れない。周りがガンガンスピードを出すからだ。
 飛び跳ねながら、やっと本日の宿泊先に到着。C氏に電話をして、無料の駐車場所を教えてもらう。そこには2、3台バイクが停まっていた。そのバイクの近くに駐車。ニューヨークの駐車代はとんでもなく高いそうだ。確かに街中で見たのは「3時間12ドル」とか「1時間5ドル」とかいう看板だ。

 C氏邸はまるでホテルのような感じの「超」をつけても良いくらいの高級マンション。1階のセキュリティに本日宿泊の旨を伝え、エレベーターであがる。思ったとおり、部屋の中も、映画に出てくるような素晴らしい眺めの部屋であった。こんな高級なところに、貧乏人が宿泊するのは何だか、気が引ける。身分不相応だ。

 シャワーを浴びさせてもらい、一人でセントラルパークへ向かう。中学の時の英語の教科書に載っていた「ストロベリー・フィールズ」へ行くためだ。今でも覚えているのは「When spring come, Nancy visits strawberry fields. It is in Central park in New York City.・・・・」というくだりだ。あれからもう10年以上経って、やっと今日訪れることができたわけである。
 ただ記念碑自体はひっそりとしていたが、教科書で学んだものが自分の目で見られたことに、喜ぶ。



 夕食はC氏と一緒にSOHOにある雰囲気の良いレストランなのだが、今日はお客がかなり少なく、C氏は気まずそうな顔をしていた。いえいえ、そんな顔しないでください。連れて行ってくれるだけでもありがたいのですから。しかもご馳走にまでなって・・・・。ありがとうございます。

 帰りは地下鉄に乗って帰る。22時過ぎに到着。

 23時にベッドに横になり日記を書いていたのだが、いつの間にか寝ていた。確かに昨日は3時に寝て、今朝8時前に起きたのだから、眠いはずである。

本日の走行距離: 252マイル(403km)
総走行距離:7,517マイル(12,027km)

当時走行したルートと異なる可能性があります

2021年2月6日土曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月30日

2005年7月30日(土)

  8時10分起床。2階のダイニングルームへ下りる。顔見知りがいなかったので、一人でもぐもぐマフィンを食べ、コーヒーをすする。やっぱりこのマフィンだけじゃ足りないが、かと言ってほかに何か食べる気にもならない。9時に出発。今日はポトマック川を渡り、アーリントン記念墓地の北に位置する「Iwo Jima Memorial(硫黄島記念碑)」へ行く。だが、いつも使っているAtlasの地図を持たず、無料で配られている地図を持ったが、載っている範囲が狭すぎて、行き方がわからない。Atlasに書かれていた道を思い出しながら、西へバイクを進める。
 ポトマック川が見えてきたので、その道路から一番近い橋を渡ると、ばっちり硫黄島記念碑にたどり着けた。

 さて、硫黄島のすり鉢山で旗を立てているアメリカ兵の写真を撮るかと思った瞬間、大切なことを忘れていた。ビデオカメラの画面に「カードがありません」との表示。あちゃ~、昨日撮った写真をPCに移した後、抜き取るのを忘れた。仕方ないので、テープに収める。このまま、ケネディー元大統領の墓などを見ても、写真に収められないと思い、宿に戻ることに決めた。墓地は何十年後もここに今と同じままで存在しているはずなのだから、また来ればいいさ。

 宿に戻り、バイクを駐車。どうやら、土曜日は無料なのか、お金が入れてあるパーキングメーターはなかった。じゃ、僕も遠慮なく路駐させてもらいます。宿にすぐ近くに停め、ヘルメットを置き、今度は歩いてスミソニアン自然歴史博物館へ行く。

 自然博物館で、見ようと思っているのはホープダイヤ(Hope Diamond)だけのはずだったのだが、これ以外に何気に興味をそそるものがあり、2時間半もいた。中でもテラノザウルス(通称T-Rex)の化石には圧倒された。

ホープダイヤはちらっと見ただけ


 その後、腹が減ったので、博物館を出て、マクドナルドで食事。昨日チャイナタウンにあるマクドナルドで見た価格と今日食べたところのマクドナルドの価格が違う。博物館の中にあるマクドナルドやその付近にあるのが高いのは観光地価格だと思えば、理解できるが、同じワシントンDCなのに、こうも値段が違うとは。

 マクドナルドの店員は愛想が悪かった。ここで食べるか、持ち帰りかも聞かず、紙袋に入れたものをくれた。くそっ、なんて態度だ。英語が流暢だったら、文句のひとつでも言っているかも知れないが、何も言わずに受け取った。ああ、日本語で文句を言えばよかったか。

 食べ終わり、今度はアメリカ歴史博物館へ足を運ぶ。ここがなかなか楽しめた。まずはアメリカの戦争の歴史。南北戦争、市民戦争等については全然わからないので、簡単に見るだけ。第二次大戦の展示になると、見所が一気に増える。まずはパールハーバー。日本時間では12月8日だが、アメリカは7日。ルーズベルトの呼びかけにより戦争が始まる。やはりアメリカの博物館だけあって、アメリカが経済封鎖をしてたとか、そういう説明はなかった。日本が一方的に奇襲したように感じる展示の仕方だった。まぁ、仕方ないかな。自国を美化するのはどこの国も一緒なのだから。





 パールハーバーの後は、ミッドウェー、ガダルカナル、フィリピン、硫黄島、沖縄、そして広島・長崎と流れていく。

 ワシントンDCでの滞在は結局足りなかった。航空宇宙博物館ではIMAXを一切見ないで丸一日が潰れたし、アメリカ歴史博物館や自然博物館も思ったより見るところが多かったし、印刷局は、平日しか見られないそうだし。まぁ、これらは次回来るときにも見られるものであるから、残念がる必要はない。また来れば良いだけのこと。来られるように、一生懸命働いてお金を貯めよう。

 夕食はまた冷凍食品。Kissimmeeで食べた「Hungry Man」という商品名で、量が多いものである。今回はパスタとミートボール。これがなかなかの美味。ほかの人は、「何じゃこりゃ?」という味かもしれないが、僕はこういうジャンクな食べ物、大好きだ。

 昨日知り合ったマコト氏、今朝シャワーを浴びているときに、クレジットカードをパクられたそうだ。しかも財布は無事で、クレジットカードだけという巧妙な手口。マコト氏は普段財布を後ろに入れているが、カードを取られた後は前のポケットに入っていたため、すぐに気がついたそうだ。もし後ろのポケットに戻されていたら、たぶん気づかず、被害にあってから気がつくパターンになっていただろうとの事。う~~ん、恐ろしや。
 これから肌身離さず財布を持っておこう。寝るときにもだ。

 深夜、イリノイ州で勉強しているマコト氏と話す。20代前半なのに、非常にしっかりした考えを持っており、感心した。今時の若者という感じではない。
 色々なことを話しているうちに、年上である僕が、「なるほど、なるほど」と色々なことを学んだ。本当にためになった。本来年上であるはずの僕が、マコト氏にアドバイスとかするのが一般的かもしれないが、僕から学ぶことが無い上に、マコト氏がしっかりしているから、このように逆の現象になった。
 マコト氏とまた会う約束をして、3時就寝。

 この旅が終わったら、日本語教師以外の仕事を探そうなんて思っていたけど、3割、4割くらいの割合で日本語教師も良いかなと思うようになってきた。台中で働くのかぁ?まぁ、それはそれで良い。

本日の走行距離: 9マイル(14㎞)
総走行距離:7,265マイル(11,624km)
当時走行したルートと異なる可能性があります

2021年1月30日土曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月29日

2005年7月29日(金)

  7時50分起床。シャワーを浴び、朝食を取るために宿の2階へ。朝食は小さいマフィンとオレンジジュース、そして飲み放題のアメリカンコーヒーだ。これだけだと昼前にお腹が空きそうなくらいの量だ。

 9時15分、スミソニアン博物館へ向けて出発。11番街をプラプラと歩く。早足で歩けば20分くらいで着くそうだが、ゆっくり歩いたので、30分かかった。開館まであと15分ほどある。入り口前の階段で座って開くのを待つ。
 10時前になると入り口前に列が出来ており、チビッ子たちが開館を今か今かと待っている様子だった。10時になり、僕も並ぶ。ワシントンの殆どの場所で、セキュリティーがあり、ここ航空宇宙博物館もご多分に漏れず。セキュリティゲートをくぐり、今度はバッグの中を開けて、警備員に見せる。ケネディー宇宙センターほど厳しくなかった。だが、国会議事堂とかはもっと厳しいんだろうなぁ。

 まず最初の展示物は、入り口に近すぎて、みんな見逃している月の石。例によって、スリスリ触ってみる。ケネディー宇宙センターで触ったものと変わらない。まぁ、でも特別な感触でもないかあ。

 それから天井に吊り下げられている各航空機を見る。特別興味をそそられるようなものは無かったが、でも間近で見られて嬉しい。

 まず最初に見たのはライト兄弟が発明した飛行機。彼らが発明してから100年くらいしか経っていないのに、こんなにも進化した飛行機。人類の知恵はすごいと思ったが、進化した裏には戦争という事実があるのも確かだ。戦争があったから技術が進歩したと言っても良いであろう。

 次はそんな戦争に関する展示へ足を運ぶ。まず目の前に飛び込んできたのが、

三菱零式艦上戦闘機


ラバウルの魔王と呼ばれた西沢広義氏の写真もあった

 日本人なら誰でも知っているゼロ戦。非常に高性能で操縦性に優れているという高い評価があったものの、結局敗戦。残った機体も数機しかないであろう。僕の心を捉えて離さないゼロ戦を1時間ほどじっくり見る。こんなにゼロ戦を見続けた観光客はなかなかいないであろう。もしお金があるのであれば、ゼロ戦のレプリカでも作って飛びたいものである。
 しかし、不思議なものだ。世の中にはゼロ戦より高性能な戦闘機なんて山ほどあるけど、一番お気に入りはやっぱりゼロ戦。戦艦も大和。当時の日本人が最高の技術を集めて作ったからであろうか。本当になぜ好きなのか、わからない。
 日本に帰国したら靖国神社に行って、模型を見ようっと。 

 残念ながら広島に原爆を落としたB-29戦闘爆撃機「エノラ・ゲイ」は2003年にダレス国際空港の横に出来た別館の方に移されてしまった。

 次はアメリカ海軍に関する展示。空母エンタープライズの模型を見る。こんなデカイ空母がある国に島国日本が勝てるわけがない。
 アニメ「ジパング」にハマっている僕には、海軍と言ったら見逃せないものがある。ドーントレスだ。ミッドウェー海戦の時に、飛龍、赤城、蒼龍、加賀に群がった急降下爆撃機だ。この爆撃機を間近に見ることができた。ああ、日本へ帰ったら、漫画のジパングを買い揃えよう。
 海軍には他にもCIWSの実物や、シースパローの説明やイージス艦についての説明、そして第二次大戦の詳細があった。日本で知られている詳細とこちらで紹介している詳細には多少の誤差があった。蒼龍沈没が日本では6時15分。しかしここの説明では7時15分。サマータイムの関係なのかな?
 他にも「運命の7時23分」に関しては何にも書いてなかった。だが、アメリカも日本もこのミッドウェーがターニングポイントになったという考えでは同じのようだ。


副長、みらいからトマホークが!

 戦争物を見たあとは今度は宇宙関係。ケネディー宇宙センターで見たのと同じような物が展示されているが、全然飽きない。JFK宇宙センターとここスミソニアンの違うところはロシアの宇宙関係のものについても展示されているということだ。日本人初の宇宙飛行士秋山さんが乗ったソユーズも展示してあった。ちなみに説明では秋山さんは世界で初めて”お金を払って”宇宙へ行った民間人として紹介されていた。その額なんと1200万ドル。13億円と言ったところか。バブル経済の頃だから、このくらいのお金は大したことなかったんでしょうね、TBSにとっては。

 他にも色々なロケットや人工衛星などを見ているともう17時半に。警備の人が、「早く1階へ下りて、出口へ進んでください」と言っていた。もうちょっと見たかったが、閉館時間なのでもう見られない。IMAXもまだ見ていないし。

 19時前にはもう宿に戻り、夕食の準備。準備と言っても、スーパーへ行って、昨日おいしそうだと思った冷凍食品を買ってきて、電子レンジに入れただけだ。

 ビールを飲みながら、夕食とは何とも贅沢な。別に世界三大珍味を食べなくても、こんな安い食材で幸せだと思うのは、悟りの境地に一歩近づいてきたのかな。

本日の走行距離: 0マイル(0㎞)
総走行距離:7,256マイル(11,609㎞)

2021年1月23日土曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月28日

2005年7月28日(木)

  8時起床。身なりを簡単に整え、フロントの隣にあるレストランで朝食。今日はスクランブルエッグとハッシュブラウン、そしてトーストとまあまあ豪華な食事だ。これが宿代に込みであるのであれば、38ドルは高くはない。コーヒーは飲み放題だったが、1杯で終わりにする。普段コーヒーなんて飲まないから。

 朝食が終わり、シャワータイム。今日は去年の夏に買って以来、一度も洗っていなかったグローブをシャワーを浴びながら洗う。グローブをはめたまま、石鹸をつけ擦ると、黒い液体が流れてくる。ああ、1年分の汚れが黒い液体となって流れているのであろう。逆にグローブは白くなった。全然洗っていなくて、真っ黒になっていたので、原色を忘れてしまっていた。そういえばそんな色だったか。

 9時前にチェックアウトを済まし、出発。グローブは濡れたまま装着。風で乾くだろうという計算だ。だが、昨日に比べると高速を走っていて、暑いとは思わない。太陽光線があまり強くないのだ。グローブは乾くであろうか。
 心配とは裏腹に、グローブは1時間ほどですっかり乾いていた。

 朝食を宿で済ませられたのに、11時過ぎにはお腹が減ってきた。何を食べようか迷ったが、結局Taco Bellを食べる。だが、食べた時間は14時過ぎ。探しているうちに、3時間も過ぎていた。
 Taco Bellでペプシを飲み、タコスが出てくるのを待っていたが、ペプシをがぶ飲みしたため、タコスが出来上がった頃にはお腹がふくれていた。

 16時ちょっと前にワシントンDC近くまで来たのだが、それから渋滞。1台すり抜けをしているバイクを見て、僕もすり抜けたい気分になったが、そんな気持ちを抑える。ひたすらローギアで、クラッチを離したりつなげたりする作業をこなすだけ。そんな渋滞も30分くらいで抜ける。渋滞はDC中心部に向かうものではなく、郊外へ行く車が原因だったようだ。DC中心部に入ると、また混雑し始める。これは信号による混雑だ。国道1号線を北上し、K Streetを右折。目指す宿は11st Aveにある。ワシントンの住所は国会議事堂を中心にできてる。国会議事堂に近い通りほど、若い数字かアルファベット。慣れれば非常に簡単な仕組みだ。

 16時半頃にチェックイン。一泊税込み29ドルと安くは無いが、朝食込みなので、まずまずだと思う。部屋に行くと、まだ誰も使っていない様子で、ガラーンとしていた。荷物を置き、ジャケットを脱ぎ、ロッカーに入れたら、今度は駐車場探しだ。一応宿に人に聞くと18時からは無料と事だが、あと1時間ちょっとある。変な所に停めて罰金になっても困る。ヘルメットを持ち、外出。


 宿の周りを回ったが、適当な場所が見つけられなかった。K Streetのある一角にバイク数台が停まっているのを発見。そこに置くことにする。 

 バイクを置き、南に向かって歩くとホワイトハウスへ行く道へぶつかった。どれどれ、ホワイトハウスはどんな感じなんだろう。柵の外から見るホワイトハウスは意外に小さく見えた。あそこで数々のドラマが作られたのかぁ。モニカ・ルインスキーのこともチラリと脳裏をよぎる。

 ホワイトハウスを去ろうとしたときに、警備員がホワイトハウス前から人を退去させていた。どうやらお偉いさんがホワイトハウス前を通過するようだ。15分くらい待ったであろうか、やっと黒塗りの車が出てきて、サーッと目の前を通り過ぎていった。ちらっと見た感じ普通の女性だったが、観光客を退去させるという事はやはりお偉いさんなのであろう。もし日本でも有名な長官とかだったら、もっと警備が厳しいだろう。

 それからワシントン記念塔へ行く。確かに上3分の2と下3分の1の色が違う。建設中断の跡だ。記念塔からリンカーン記念堂を見るとフォレスト・ガンプで見た四角い池が望める。良い風景だ。

 宿に戻り、夕食。だが、近くに食べる所がなさそうなので、スーパーに行き、食料調達。タイ式のインスタント麺と日清カップヌードル、ドリトス、ビールを購入。

 宿に泊まっている日本人に声をかけ情報を得る。やはり今、ホワイトハウス見学はないそうで、ほかの所のセキュリティチェックも厳しいらしい。

 宿にてKey Westで会ったイトウさんにまた出会う。かなり黒くなっていて、一瞬見違えるほどであった。

 それからこちらで大学に通っている日本の方とも話をした。こちらの大学の学費って本当に高いもんですね。奨学金がなかったら、僕は行けないであろう。いや、その前に英語力が無いか。。。

 結局、10人部屋に僕一人。怖いような、ラッキーなような。

本日の走行距離: 329マイル(526.4㎞)
総走行距離:7,256マイル(11,609㎞)

2021年1月16日土曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月27日

2005年7月27日(水)

  7時半、Massimoに起こされる。目覚ましは7時50分にセットしてあったが、早めに起きようと思っていたので、別に腹は立たない。ラテン系というのは朝からハイテンションだよなぁ、と思う。Carloは割と大人しめの人だ。


 着替えて、顔洗い、歯磨きをして、荷造り。荷造りが終わったら今度は、キッチンに行って、冷やしてあった水をバックパック用タンクに入れ、準備完了。シーツとタオルとカードキーをフロントに返却し、チェックアウトも完了。8時10分、いよいよ出発である。Carlo、Massimoとラテン流に抱擁し、バイクにまたがり、ギアをローに入れ出発。Massimo、Carloもディズニーに向けて、バス停まで歩いていた。

典型的なイタリア人のMassimo氏

 さて、久しぶりの長距離だ。飛ばしても、飛ばさなくても、そんなに走れる距離は大して変わらないのはわかっている。マシーンをいたわる走りこそ、長距離ツーリングに大切な走り方だと思う。

 朝マックを頂く。久しぶりにホットケーキ。中学校の英語の時間に「英語ではホットケーキは Pan Cakeと言います」と習った記憶があるのだが、マクドナルドのメニューには「Hot Cakes」となっている。で、メニューどおりに「ホットケーキ ウィズ ソーセージ プリーズ」と言ったら通じた。そりゃ、メニューにそう書いてあるんだから、通じないわけがない。日本の英語教育でよくない所は、これはダメ、あれはダメと学生の英語の間違え探しばかりして、学生に話す楽しさを教えていないところだと思う。多少間違えたって、通じるんだし、試験は試験用の勉強をすればいいのだから、授業は話させる授業をするべきだと思う。

 フロリダを過ぎ、10日くらい前にいたジョージア州も過ぎ、いよいよサウスカロライナ。サウスカロライナに入って、まず目に入ったのが、ロトの広告。51ミリオン(5100万ドル)の当選金という広告だ。宝くじ好きの僕として、買おうと思ったが、フロリダのロトで失敗。今回は当たる気がしなかったので、パス。

 高速でバイクを走らせていると、普通は水を飲めないが、僕はバックパック用タンクをバックパックに入れ、そのタンクからチューブが出ていて、背負ったら、チューブを口につけるだけで飲めるという便利なものを持っている。今日はそれが役に立ったが、ただの水を飲むのはやっぱりそんなにおいしくない。なぜなら、太陽光がガンガン照りつける中では水がぬるま湯に変わってしまうからだ。
 そんなわけでガソリンスタンドで給油のついでに、1リットルのゲーターレードも買う。こちらでスポーツ飲料と言ったら、ゲーターレードかパワーエイドだ。冷えたゲーターレードをグビグビ半分くらい一気に飲む。水500cc飲むのは結構つらいが、これなら全然問題ない。もちろんビールの500ccも全然問題ないが、運転中は飲むわけにはいかない。

 Florence手前のRest Areaでノースカロライナ州のモーテル クーポンを手にする。で、今日の宿を2、3箇所に絞り込む。時間と残った体力を考えるとFayettevilleという町の付近に宿を取るのが望ましいと思った。
 大体のことが決まればあとは走るのみ。走る前に先ほど買ったゲーターレードの残りを飲み干す。あっという間になくなった。あと1リットルは飲めたなぁ~。

 19時20分、やっとチェックイン。フロリダ州から、ジョージア州、サウスカロライナ州、そしてノースカロライナ州と、4州も通ったことになる。宿はノースカロライナのFayettevilleの近くにあるWadeという小さな町にあるDays Innというチェーン店のMotelだ。
 チェックインの際、一人はCrystalというかわいい女性、もう一人はアメリカ人らしい太った女性。僕の担当は、残念ながら太った方だった。

Days Innは既に「Econo Lodge」という名前に変わっている

 Lima Bean?何の豆だろう?しかし食べた。夕食で、フライドチキンを食べたのだが、そのサイドディッシュとして選んだのが、コーンとこのLima Bean。結局は普通の豆だった。
 今日の宿は非常に辺鄙な所にあり、回りにレストランはもちろん、ファーストフードすらなかったが、幸い宿の中にレストランがあった。今日はこのレストランで夕食を食べることにした。昼飯は結局食べなかった。食べようと思った頃にはもう14時過ぎ。あと少し、あと少し、と進んでいるうちにサウスカロライナ州を走っており、「ああ、今、食べたら、夜中、腹減るから、昼食と夕食を一緒にしちゃおう」と決めたからだ。
 チキンはなかなかの美味。ただ下ごしらえとかあまりやっていないんだろうなぁ。太った黒人の女性が調理しているのが席から見えた。暇そうなレストランである。週末は若干込むのかな?とか思っていると、黒人男性がコーラを持ってくる。ああ、ビールがあれば、最高なのだが、ここにはビールはない。近くにコンビニでもあればいいのだが、なさそうだし、あってもビールを売っているとは限らない。コーラで我慢しながら、チキンを食べる。

 さて、チップだ。ここは安いレストランなのか、最初に支払をしていた客はレジでチップを渡していた。2番目の客はテーブルにチップを置いていた。さて、僕はどうしようか。皇太子氏からアドバイスを頂いたにも関わらず、結局テーブルに2ドル、置いた。ああ、チップって払うのはサービスの対価だから別に構わないんだけど、払い方が面倒だ。もっとスマートに払えるようになりたい。

※「皇太子氏」とは現在の今上天皇陛下に似ている元同僚のあだ名である

 夜、話す相手もいないので、日記を書く。ユースホステルに泊まると、安く済み、しかも色々な国の人と交流が持てるのは良いのだが、日記を記す時間が少なくなってしまう。Motelは逆で日記を時間は余るほどあるが、一人でつまらない。一長一短と言ったところか。

 27日かぁ。今日でアメリカに来てちょうど1ヶ月になる。未だにわからない部分もあるが、わかってきた部分もある。1ヶ月の旅行をしたことはあるが、2、3ヶ月の旅行というのは今回が初めて。でもまだ「ああ、日本食が食べたい」とは思わない。あと1、2週間したらそう思うのだろうか。でも吉野家の牛丼は食べたいと思う。

 結局、今日が一番の長距離を移動したことになる。928km。11時間半ずっと高速道路に乗りっぱなしだったからなぁ。気温も35度くらいあったし、時速100km以上で走っていたので、僕のオートバイ Honda Rebel、悲鳴を上げながら走っていただろう。持ち主が僕じゃなかったら、こんな過酷な走りはしないだろうに、僕が買ったために、こんな過酷なことさせられるRebel。もっと大切にしてやらなきゃな。

本日の走行距離: 580マイル(928km)
総走行距離:6827マイル(11083km)

2018年3月5日月曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月26日

2005年7月26日(火)

この旅、一番の感動かもしれない。

 





スペースシャトル発射!!
遠かったが、貴重な体験だ。

 5時45分起床。なぜこんなに早いかというと、前々から日記にも書いてあった通り、スペースシャトルの打ち上げを見るためである。6時にはもう準備が出来、出発。前回ケネディー宇宙センターへ行ったときと同じく192号線を西へ向かい、4号線に乗り、オーランド市内から50号線に降りて、そのまままっすぐというルートだ。

 出発時の空は真っ暗で、ヘルメットのシールドを上げて、走行。ガソリンがないので、入れようと思ったのだが、入れようと思ったGSが閉まっていた。頭の中に「ガス欠」という単語が浮かんできて、どきどきしながら走り、やっと見つけた。今回は3ドル分とサンドイッチ、ゲーターレードを購入。全部で5.44ドル。

 日の出前ということで、かなり寒かった。シアトルで買ったマリナーズトレーナーが久しぶりに役に立った。

 高速4号線はそんなに込んでいなかったが、50号線は込んではいないものの、前回とは違い交通量が多かった。ところが、ケネディー宇宙センターに到着するくらいには、かなりの渋滞。こりゃ、抜けるのにだいぶかかるなと覚悟を決めて、渋滞の中に突入。誰もすり抜けをやっていないし、警察も結構多かったので、すり抜けはやらなかった。

 渋滞の中を1時間くらい待ったであろうか。あることに気がついた。この渋滞は宇宙センター内へ行くためで、僕は関係ないと。今日は打ち上げのため、許可書の持っている人のみ宇宙センターに入れるのだ。許可書の無い僕が並んでも仕方ない。路肩を走り、目的の国道1号線に入る。国道1号線は思ったより込んでなく、すぐに発射台が見られる海岸線にバイクを停め、場所探し。ちゃんと舗装されている場所はもう既に場所を取られていて、入り込む余地無し。

 幸い、岩場で普通に座れそうな所が空いていたので、岩場に席を取る。打ち上げは10時39分との事なので、それまで2時間半もある。朝買ったサンドイッチを食べながら、ボーっと過ごす。日差しが強くなり、汗もかき始めて、時計を見たらあと1時間。携帯電話の中のゲームをして、時間を潰す。10時20分くらいから、ビデオカメラの位置を再確認して、10時25分、撮影開始。

 発射台からかなり離れているものの、肉眼で発射台が見える距離だ。ただ雲が多く、若干かすんでいた。ビデオをズームにすると、かろうじて発射台にシャトルらしいものが見えるくらいだ。

 10時39分。いよいよ発射の時間。発射台がパァーっと明るくなり、煙が左右に広がる。後ろの観客が歓声を上げ、シャトルは無事に浮上。それからシャトルは雲の中に入り、しばらく見えなくなる。だが、雲の上から再びシャトルと炎が姿を現す。その頃に、発射の時の音が「ゴゴゴーー」っと聞こえ始める。その間もシャトルはグングンと空高く進み、あっという間に見えなくなる。

 賞味5分。Kissimmeeでの滞在を2泊延長し、今朝6時前に起きた甲斐があった。もしこれでまた打ち上げ延期にでもなっていたら、日ごろの行いが悪いと思うしかない。ああ、こんな貴重な体験が出来るのは、本当にラッキーだと思う。
  しかも今回の打ち上げはコロンビア号事故以来の打ち上げで、且つ日本人宇宙飛行士の野口聡一さんが乗っている打ち上げである。同じ日本人として非常にうれしいことである。

 打ち上げを見終えたら、バイクにまたがったササッと宿へ帰る。
 宿に着き、部屋に戻るとMassimoとCarloが寝ていた。あれ?ディズニーへ行くんじゃなかったのかな?起こすのはマズイなあと思い、静かに荷物を置いて、スーパーへ向かう。スーパーでミラービール6本と明日の水を買う。500ccのビール6本で3ドル。安い!

 それから自分自身も昼寝。日が昇る6時前に起きたのだから眠いのは当然だ。

 夜はまたMassimoがパスタを作る。今日はサルサソースを使ったパスタ。パスタのゆで方がちょっと変わっていた。僕の場合、茹で上がるまで強火でガンガン茹でるのだが、彼の場合、ある程度まで強火で茹で、後は弱火で茹でるという方法だった。これは彼流なのか?それともシシリー流なのか?

  いずれにしても午前中に見たスペースシャトルの打ち上げの興奮が一生忘れられないものとなった1日であった。

本日の走行距離: 182マイル(291km)
総走行距離:6347マイル(10155km)

2018年2月22日木曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月25日

2005年7月25日(月)

 こんなに長く、ここKissimmeeにいるとは思わなかった。8時半起床。バナナを食べ、牛乳を飲む。胃の中ではバナナセーキになっているであろう。非常に健康的な朝食だ。だが、今日の昼はステーキ。あごが疲れるほど食べようと思っている。

 台湾人の家族が朝食にやってきて、明日のスペースシャトル打ち上げについて色々と情報交換。その家族は朝6時にケネディー宇宙センターへ行き、チケットを買うそうだ。どうやら、朝6時半から販売されるチケットを購入すれば間近で発射が見られるそうだが、僕にチケットを買う購買力はなく、おそらく国道1号線から無料で見ると思う。

 明日はいよいよ発射。このためだけにここKissimmeeにいる様なもんだ。

 10時に受付に郵便局の場所を聞く。歩いては行けない距離だが、僕にはバイクがある。バイクにまたがってエンジン始動。郵便局まで192号線をずっと東へ進む。郵便局は192号線からちょっと南に入ったOak Streetという所にある。アメリカで初めて入る郵便局。中に入ると色々と封筒が置いてあったが、どれを選んで良いかわからず、白地に青が入っている封筒を選び、ステッカーに差出人、宛先を書き、並ぶ。15分くらい待ってやっとカウンターに行くと、「これじゃ、日本へは送れませんよ」と言われる。まさか先日のロンドンでのテロの影響で郵便物まで規制がかかっているのか!!
  と思ったが、なんて事はない。白地に青が入っている封筒は国内用ので、海外用のは白地に灰色(薄い黒?)が入っている封筒を使わなければならないそうだ。

大きな郵便局だった

 で、その国際用の封筒にまた差出人と宛先を書き、中身を移す。お値段、なんと19ドル。高いなぁ。「地球の歩き方アメリカ版」は帰国前に捨ててしまおうと思う。お金がないので日本の古本屋で100円で買ったものなんだから。

 12時に肉を焼き始める。そんなに厚い肉ではないので、すぐに火が通り、完成。1パウンド(452g)も食べるとやっぱりアゴが疲れる。もし、これが神戸牛や松坂牛であればペロリと平らげるのであろうが、僕が買ったのは安い肉。でも昼間っからビール片手に食べるステーキは美味。こんな贅沢、仕事をしていたら出来ない。

 昼飯を食べ終わり、ワシントンにあるユースホステルに電話をかける。28日から3泊の予約である。本当は4、5泊したかったのであるが、スペースシャトルを優先したため、スケジュール変更。スミソニアン博物館やFBIの見学はいつでもお金を出せば見られるが、スペースシャトルはお金を出せば見れるというものではない。そう考えると今回の決断は正しかったのかと思う。まぁ、何億円というお金をNASAとかに寄付すれば、間近で発射が見られるのかもしれないが、そんなお金僕が稼げるわけもない。

 ワシントンDCの宿は確保できた。このワシントンDCのユースホステルは予約時に必ずクレジットカード番号が必要である。クレジットがない場合は数週間前に予約金を郵送しなければならないらしい。クレジットカード社会を象徴していると思った。

 ちなみにワシントンDCのユースホステル、全米の中でもトップを争うくらいの人気ホステルらしい。まぁ、日本人の感覚とアメリカ人の感覚が違うところがあるし、どこの国の人であれ、個人個人の価値観によっても評価方法が違うから、一概に今回予約を取ったワシントンDCのユースホステルが良いとは言えないのかもしれない。過度な期待をしないようにしよう。

 オーランドからワシントンDCまでの距離約890マイル(約1424km)を27日チェックアウトから28日の夕方くらいまでに走らなければならない。1日700km以上の長旅だ。ここKissimmeeで十分体を休めて、万全の体調で望もうと思う。

 昼食を食べ、ベッドでワシントンDCでの予定を立てていたら、いつのまにか寝ていた。目を覚ますと西欧人2人組みがちょうどチェックインが終わって、僕の部屋に来た。イタリア人学生で、MassimoとCarloだ。非常にフレンドリーで、僕のバイクの話を聞いて、驚いていた。あまり英語が上手とは言えないが、物怖じせずに話す姿勢はすごいと思う。僕なんかは英語ダメだから、単語だけで答えてしまうのに・・・・・。

 で、このイタリア人2人組みと一緒に宿の中にあるプールで泳ぐ。3時間くらいは泳いだであろうか。そろそろお腹がすいてきたので、ご飯を食べようとの事。Massimoが「パスタ」を作るというので、僕もいただくことになった。さっそく食材を買いにスーパーへ行く。買ったのはパスタとツナ缶だけ。これだけで作れるパスタって。。。。

 でも完成したものを食べると、結構いける。へ~、僕の貧乏料理レシピに追加だな。

 その後もこのイタリア人2人組みと話し、楽しい夜を過ごす。ホステルのいい所は、安い上に、こういう交流の場があるということだ。

 寝る前に、Massimoが別の西欧人(アイルランド人とイスラエル人)に「この日本人はクレイジーなんだぜ」と紹介していた。そしたら、そこにいた西欧人、みんな驚いていた。そんな驚くほどのものではないと思うけどなぁ・・・・。ただ好きでやっているだけだから。

本日の走行距離: 12マイル(19km)
総走行距離:6165マイル(9864km)