2005年7月29日(金)
7時50分起床。シャワーを浴び、朝食を取るために宿の2階へ。朝食は小さいマフィンとオレンジジュース、そして飲み放題のアメリカンコーヒーだ。これだけだと昼前にお腹が空きそうなくらいの量だ。
本日の走行距離: 0マイル(0㎞) 9時15分、スミソニアン博物館へ向けて出発。11番街をプラプラと歩く。早足で歩けば20分くらいで着くそうだが、ゆっくり歩いたので、30分かかった。開館まであと15分ほどある。入り口前の階段で座って開くのを待つ。
10時前になると入り口前に列が出来ており、チビッ子たちが開館を今か今かと待っている様子だった。10時になり、僕も並ぶ。ワシントンの殆どの場所で、セキュリティーがあり、ここ航空宇宙博物館もご多分に漏れず。セキュリティゲートをくぐり、今度はバッグの中を開けて、警備員に見せる。ケネディー宇宙センターほど厳しくなかった。だが、国会議事堂とかはもっと厳しいんだろうなぁ。
まず最初の展示物は、入り口に近すぎて、みんな見逃している月の石。例によって、スリスリ触ってみる。ケネディー宇宙センターで触ったものと変わらない。まぁ、でも特別な感触でもないかあ。
それから天井に吊り下げられている各航空機を見る。特別興味をそそられるようなものは無かったが、でも間近で見られて嬉しい。
まず最初に見たのはライト兄弟が発明した飛行機。彼らが発明してから100年くらいしか経っていないのに、こんなにも進化した飛行機。人類の知恵はすごいと思ったが、進化した裏には戦争という事実があるのも確かだ。戦争があったから技術が進歩したと言っても良いであろう。
次はそんな戦争に関する展示へ足を運ぶ。まず目の前に飛び込んできたのが、
日本人なら誰でも知っているゼロ戦。非常に高性能で操縦性に優れているという高い評価があったものの、結局敗戦。残った機体も数機しかないであろう。僕の心を捉えて離さないゼロ戦を1時間ほどじっくり見る。こんなにゼロ戦を見続けた観光客はなかなかいないであろう。もしお金があるのであれば、ゼロ戦のレプリカでも作って飛びたいものである。
しかし、不思議なものだ。世の中にはゼロ戦より高性能な戦闘機なんて山ほどあるけど、一番お気に入りはやっぱりゼロ戦。戦艦も大和。当時の日本人が最高の技術を集めて作ったからであろうか。本当になぜ好きなのか、わからない。
日本に帰国したら靖国神社に行って、模型を見ようっと。
残念ながら広島に原爆を落としたB-29戦闘爆撃機「エノラ・ゲイ」は2003年にダレス国際空港の横に出来た別館の方に移されてしまった。
次はアメリカ海軍に関する展示。空母エンタープライズの模型を見る。こんなデカイ空母がある国に島国日本が勝てるわけがない。
アニメ「ジパング」にハマっている僕には、海軍と言ったら見逃せないものがある。ドーントレスだ。ミッドウェー海戦の時に、飛龍、赤城、蒼龍、加賀に群がった急降下爆撃機だ。この爆撃機を間近に見ることができた。ああ、日本へ帰ったら、漫画のジパングを買い揃えよう。
海軍には他にもCIWSの実物や、シースパローの説明やイージス艦についての説明、そして第二次大戦の詳細があった。日本で知られている詳細とこちらで紹介している詳細には多少の誤差があった。蒼龍沈没が日本では6時15分。しかしここの説明では7時15分。サマータイムの関係なのかな?
他にも「運命の7時23分」に関しては何にも書いてなかった。だが、アメリカも日本もこのミッドウェーがターニングポイントになったという考えでは同じのようだ。
戦争物を見たあとは今度は宇宙関係。ケネディー宇宙センターで見たのと同じような物が展示されているが、全然飽きない。JFK宇宙センターとここスミソニアンの違うところはロシアの宇宙関係のものについても展示されているということだ。日本人初の宇宙飛行士秋山さんが乗ったソユーズも展示してあった。ちなみに説明では秋山さんは世界で初めて”お金を払って”宇宙へ行った民間人として紹介されていた。その額なんと1200万ドル。13億円と言ったところか。バブル経済の頃だから、このくらいのお金は大したことなかったんでしょうね、TBSにとっては。
他にも色々なロケットや人工衛星などを見ているともう17時半に。警備の人が、「早く1階へ下りて、出口へ進んでください」と言っていた。もうちょっと見たかったが、閉館時間なのでもう見られない。IMAXもまだ見ていないし。
19時前にはもう宿に戻り、夕食の準備。準備と言っても、スーパーへ行って、昨日おいしそうだと思った冷凍食品を買ってきて、電子レンジに入れただけだ。
ビールを飲みながら、夕食とは何とも贅沢な。別に世界三大珍味を食べなくても、こんな安い食材で幸せだと思うのは、悟りの境地に一歩近づいてきたのかな。
総走行距離:7,256マイル(11,609㎞)