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2018年1月10日水曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月5日

2005年7月5日(火)

7時半起床。とは言っても、実際に起きたのは6時半くらい。それからウトウトとベッドの中でまどろんでいたら、目覚ましが鳴った。荷物は昨日ある程度準備してあったので、歯を磨いて顔洗ったらもう準備完了。もう一度バンフ市街地から国道1号線への行き方を確認し、頭に叩き込む。

 8時にチャックアウトし、チェーン、ブレーキ、エンジン音等をチェックして、いざ出発。太陽が顔を出していなかったので、寒いと予想していたが、意外にもそんなことはなかった。

 まず最初に向かったのはルイーズ湖(Lake Louise)である。ここに着くまでに、日本人団体客を乗せたバスに追い抜かれたが、そのとき、彼らは僕に向かって手を振ってくれた。彼らはまさか日本人が乗っているとは思ってもいないであろう。。。。。抜かれたにもかかわらず、ルイーズ湖付近で追いつく。高校生の修学旅行っぽい団体さんがぞろぞろと降りてきた。修学旅行でカナダか、、、時代は変わったものだ。

 ここのルイーズ湖も言葉で表現するよりも実際に見たほうが素晴らしい。すぐにここを後にして、次はエメラルド湖。ここまで行くのに少々距離があるし、Jasperへ行く道から外れてしまう。距離にして片道約40km。しかし30分もしないで到着。ここにはまだ観光客が多くなく、非常に静かに風景が楽しめた。ここで昨日買ったフランスパンをまるかじり。美しい風景を見ながらの食事は、パンだけとは言え、格別だ。

 エメラルド湖を見た後は今度はJasperへ向けて93号線をひたすら北上。無料の道路かと思ったら、Lake Louiseの市外を過ぎた付近で、料金所があった。道路自体は無料なのだが、この料金所から先が国立公園のため、入園料のようなものだそうだ。8ドル。予定にない出費だが、8ドルくらいなら平気かな。

 ボー湖からの眺めも素晴らしい。なんかこういう風景を見ていると自分の形容する言葉の少なさに悲しくなってくる。ただただ「素晴らしい」の一言だからだ。

 ボー湖で風景を見ていると日本人の団体の人が「おお、バイクで来とるなぁ」と言っていたので話しかけてみる。一人はツアーガイドでこちらに住んでいるっぽい人で、カナダの東部のことについて教えてくれた。で、ツアーガイドさんと話していると、団体さん。僕が日本人だと分かったようで、近づいてきて、「このバイク、どうしたの?」とか「何cc?」「これからどこ行くの?」などと色々と話しかけてきた。恐らく日本語が通じるから、おじさんおばさんたち、僕に話しかけてきたのだと思うが、もし英語であれば、遠くから見ているだけであろう。やっぱり言葉が通じるって良い事ですね。

 ボー湖から50kmくらい更に北へ行くと、たぶんこの国立公園一番の目玉Columbia Icefieldという氷河の上を歩けるところに着く。ここは氷上車に乗ると36ドルくらい取られるのだが、そんなお金はない。徒歩でもある程度までは行けるので、重い荷物を背負って、ひたすら山道を登る。標高2000mくらいの所なので、息苦しく感じるが、恐らくこれは運動不足によるものだと思う。

 苦しいと思ったときは「旧日本軍の兵隊さんは数十キロの荷物を背負って何十キロと移動できたのだから、同じ日本人。できないわけがない。」と自分を励ましながら進んだ。確かにあの当時の食事は貧相なものだったのにも関わらず、そんなことが出来たのだから、本当にすごいと思う。根性なしの僕にはとても出来ない。

ロッキー山脈の中をひたすら進む


大自然の中をバイクで走るのは最高!

ルイーズ湖

エメラルド湖畔にて


Columbia Icefield
夏なのに一面氷だけ

バックパックを背負いながらひいこら
言いながら登った

 ツアー旅行では上のような写真は撮れないでしょう。これぞ、個人旅行の醍醐味。宿の不安があるものの、自由気ままに写真を撮ったり、休憩したりできる。

 今日はバイクとすれ違う事が多かった。だが、合図が煩わしいと思ったことはなかった。こんなに天気も良く、暑くもない心地よい状況で、一人黙々と走るのは勿体無い。同じバイク同士、挨拶くらいはしておきたいものだ。

 Jasperには16時頃到着。あと10kmくらいの頃から眠くなってきたが、歌を歌って眠気を覚ます。歌ったのはTHE虎舞竜の「ロード」。歌詞とかよく覚えていないが、 鼻歌でフンフ~ンと・・・・・。今日は色々な風景を見ながら来たので200km強の道のりなのに、8時間もかかってしまった。でも8ドルの入園料を払った甲斐があった。本当に綺麗な風景の中を風になれたので、よかった。

 ユースホステルはJasperの町から結構離れていて、重い荷物を背負って歩きで来るにはちと遠い。バイクがあって、感謝感謝。宿は夏のピーク時なので22ドル。さらにベッドシーツ等を持っていないので、1ドルプラス。


今日のトラブル。KFC(ケンタッキー)で、Hot Wings(手羽先)セットを頼もうとして「10番のをください」と言ったら、店員はどうやら勘違いして、僕が手羽先10個欲しいのだと思い、手羽先が10個出てきた。どおりで高いと思った。だって12ドルですよ。。。値段だけは、かなり豪華な食事になってしまった。5ドル、6ドルで贅沢な食事だと思うのに・・・・・・。仕方が無いか。


宿で面白い事を発見。どこの人か分からないが、スパゲティをナイフでまず切ってから、フォークで食べる姿を見かけた。1人だけならともかく、2、3人そういう食べ方をしていた。おお?これはカナダ式?日本人ならそんな食べ方はまずしないであろう。

 Banffに泊まっていた東洋人。ここJasperでも見かけた。見た感じ香港人みたいだ。英語で話しかけようかと思ったが、とりあえず様子を見てみたら、その東洋人、なんと流暢な日本語で別の日本人と会話しているではないですか。ネイティブの人に、「流暢」なんて失礼か。アクセントから見て、恐らく関西か、西日本の人と思われる。まぁ、さすがに次の目的地は違うようなので、会うことはないか。でも本当に香港人だと思ってた。

 それにしても今まで泊まってきたユース、欧米人ばかりで、東洋人の姿があまり見かけられない。ここは欧米人の地元、当たり前と言ったら当たり前か。日本のユースだって、日本人やアジア人が多いのであろうから。ちなみに台湾人にはまだ一人も出会っていない。まぁ、そのうち会うだろう。

 この日記はユースホステルのラウンジ(雑談室みたいな所)で書いているのだが、目の前に座っている西欧人カップル、人目をはばからず、チュッチュ、チュッチュ、キスをしている。あのー、すみません、ここはユースホステル、 ドイツ人のリヒャルト・シルマン氏が青少年に安価で安全な宿を提供しようという理念で始めた「青少年育成の場」ですよ!(笑)

 なんと、部屋に戻ってみると、今度はドイツ人らしきカップルがいちゃついている。ここのユースは女性専用部屋と男女共同部屋の2タイプがあり、下着姿の女性を見ることができるが、別に大した事はない。そりゃ、モデルさんみたいな人が着替えていたなら、ムラムラするかもしれないが、至って普通の欧米人女性。本当に大した事はない。

 次はEdmontonというAlbertaで2番目に大きい町へ行く予定だ。ちなみにEdmontonのユースホステルに電話で予約したら、受付の人が「わぁ、私の友達と同じ苗字だわ」って。。フレンドリーに接してくれた。どんな所なんだろう、Edmonton。

本日の走行距離: 251マイル(401km)
総走行距離:1249マイル(1998km) 

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月4日

2005年7月4日(月)

 起床は10時半。寝たのが1時頃だったので、9時間半。よく寝た。疲れがかなり取れたような気がする。

 それから優雅にベッドの上でネットサーフィン。ここは無線LANが使えて本当にラッキー。

宿泊したホステルの看板


 最近の様子。左側の木がなくなっている。

徒歩で中心部まで行く。心地よいくらいの気温で散歩には最適だ。でもたぶん乗車となると寒いんだろうな。

バンフの街並み

車もあまり走っていない

大自然の中の都市

時間がゆっくり流れている気がした

 中心部に有名ブランドが入っているショッピングセンターの地下で遅い昼食。ピザとフライドポテトとコーラのセットで6.8カナダドル。安いんだか、高いんだか分からない。

 贅沢を言えば、ポテトがもうちょっとカリカリだったら嬉しかった。
だが、ピザの量はなかなかのものだった。

 大学の時からの悪友Hiranobo氏が以前働いていたお土産屋OKショップに足を運ぶ。ここは日本の芸能人の「大橋巨泉」がオーナー(彼のイニシャルがO.Kである)で、店に入るとすぐに巨泉氏直筆の案内が飾ってあった。日本人相手に商売しているだけあって、店内は日本語の説明がたくさんあることもさることながら、店員も日本人が多いような気がした。

 節約のため、大きいフランスパンを購入。明日から昼間、これをかぶりつきながら腹を満たそうと思う。 大学時代に行ったヨーロッパ旅行も貧乏旅行であり、よくフランスパンを買って食費を浮かしていたことを思い出した。

当時はSafewayというスーパーでした。

 午後、ちょっとだけツーリング。Banff付近にあるMinnewanka湖へ行く。ここの風景は言葉で書くより実際に見たほうが美しさが伝わると思う。
遠くに雪を被った山々があり、綺麗でした

こんな道を走っています

 上のような道を走っていると道路脇にエルクという鹿みたいな動物がいたりする。が、ちらほら見かけたので、写真を撮らずに通過。

 Banffは安全なところだそうだが、夜出歩くのは気が引けるので、これからのルートを考える。恐らくカナダにあと3、4日滞在し、アメリカ中部に入り、南下しようと思っている。

 今日BMWに乗っているカナダ人ライダーと同室になった。色々とオススメのルートとか聞いたが、彼は大型バイク。参考になる部分とならない部分があった。が、やはりアメリカ西海岸の高速じゃなくて海沿いの道はオススメだそうだ。一番最後にこの海岸沿いの道を走るのだから、アメリカ旅行、良い思い出になると思う。

 明日はJasperという所へ行く予定だ。これから先、インターネットにつなげられるか分からないので、更新は不定期になるであろう。


本日の走行距離: 18マイル(28.8km)
総走行距離:998マイル(1596km) 

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月3日

2005年7月3日(日)

 朝7時に起床。夕べは特にすることがなかったので、8時間の睡眠時間。8時にユースを出発し、近くのATMでやっとカナダドルを手にする。

 カナダの高速1号線をひたすら東に向けて走っていると、見えました、見えました。高い山脈が。Hopeという町に近いところだから、ロッキー山脈ではないと思うが、それでも素晴らしい風景だ。ですが、写真は急いでいる身、撮りませんでした。


大自然の中を100km/h以上で駆け抜けていく

 そろそろオイル交換が必要な距離になってきた。だが、この近くにバイク屋が全然ない。それに日曜という事もあって、オイル交換が出来るガソリンスタンド(GS)でもメカニックが休み。途方に暮れていて、ちょっと小さなGSに入ったら、自分でやるならやってもいいよ、と許可が下りた。だが、オイルの処理をどうしたら良いやら、と店主に相談すると、店主が「この容器を使ったらどうだい?」と親切にもプラスチック容器をくれた。本当はこういう交換はいけないのだが、背に腹は換えられぬ。ドバッとオイルを抜き、使用済みのオイルが入ったその容器に紙を入れて、ゴミ箱に捨てた。地球さん、ごめんなさい。こんなやり方、よくないですよね。。。。ちなみに、ここの店主、中華系の顔をしていた。

 アメリカでは対向車線のライダーが手で合図してくるのだが、カナダに入ってそれがあまり無かった。だが、高速1号線も片道1車線、2車線道路になると、結構合図してくる。あのひたすら長い道のりで、何もすることのないライダーはこういう対向車線で頑張っている同胞に関心が行くのであろう。車であれば、音楽を聞いたり、はたまた同乗者がいる場合だってある。ライダーならではの習慣だと思う。

 走っていて問題が。虫がすごいぶつかってくる。なので、ヘルメットのシールドにべっとり虫がついてしまう。うっかり手で擦ったりすると大変。汚れが拡散してしまって、余計に見にくくなってしまう。1度は大きなクマンバチ級の虫が、シールドに直撃。あっという間に視界がなくなる。が、高速道路で止めることができない。そのまま我慢しながら走る。

写真だと分かりづらいが、バイザーに無数の虫がついている。

まだマイル表示は慣れない。

 4WDの車の後ろを走っていたとき、道路脇から狸のぬいぐるみのようなものが出てきて、その4WDに当たって、ぽ~んと空中を1回転。しかしそれはぬいぐるみではなかった。本物の動物。。。あまりにもあっけなかったけど、鳥肌が立ってしまった。でもあと2秒くらいあとに飛び出てきたのであれば、僕のバイクにぶつかっていて、僕も転んだかもしれない。不幸中の幸いというべきであろうか。

 15時頃、遅い昼食。朝はスニッカーズを食べたものの、やはりバイクに乗っていると想像以上にお腹が減ってくる。Salmon Armという町で給油を済ませ、マクドナルドへ向かう。ここにはMacXtraというハンバーガーがあったので、セットで頼む。5.87ドル。カナダドルが一体いくらなのか全然知らないが、とりあえず500円くらいなんだと自分に言い聞かせる。マックに入ったついでに洗面所でシールドも洗う。落とすのが結構大変だった。



 バンフまで4kmという看板を見たときには、どっと疲れが出てきた。だが、ここで油断は禁物。 「到着するまでが遠足」という小学生時代に聞いた言葉を思い出しながら気を引き締めスロットルをちょっとだけひねる。

 バンフには21時半に到着。しかし太陽はまだ出ている。バンクーバーとバンフの間には時差が1時間あるため、13時間半かかったが、実際に乗った時間は12時間半。

 フロントにはユースホステルを回る旅をしている日本人のおばちゃんがいて、Jasperはよかったと言っていた。このおばちゃん、明日はカルガリーへ行くそうだ。こういう所で日本語が使えるとほっとする。 完全に言葉をマスターしていれば、そう思わないかもしれないが、片言の語学で旅するのは面白い反面、脳が非常に疲れる。

バンフの宿の前

13時間半、恐らくこの旅で一番長時間の乗車時間になるであろう。

本日の走行距離: 564マイル(902km)
総走行距離:980マイル(1568km)

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月2日

2005年7月2日(土)

 7時半起床。朝食はパンとオレンジとコーヒー。リンゴは昼に食べるので、食べずにカバンの中に入れた。窓を見ると、雨。初長距離ツーリングだと言うのに、雨だと気が滅入る。結局シアトルに5泊6日したが、雲の多い日ばかりだった。

 8時15分、エンジンキーを差込み、エンジン始動。キュルキュル~~ッ、とセルが回るもエンジンがかからない。もっと回すが、全然かからない。確かに肌寒いからエンジンが冷えちゃったのかなと思い、チョークを引っ張りながらかけても、やはりかからない。まさか「 新車のくせに故障?」と頭の中をよぎったが、なんて事はない。キル・スイッチ(バイク屋の人は「Emergency Switchと言っていたなぁ)に入っていた。どおりでかからないはずだ。 ちなみに僕は今までの所有車にキルスイッチが装備されていたものはないので、気づくのにだいぶかかった。

 こんな初歩的ミスを仕出かし、6日間いたシアトル市内を抜けて、高速5号線に入り、ひたすら北上。アクセル全開には出来ないので、時速60マイル(約100km/h)で走行。しかし他の車はそれ以上のスピードでガンガン走っていく。途中対向車線にライダーが来ると、みんな左手を軽くあげて、挨拶。う~~ん、こういうのアメリカならではの感じなんでしょうね。

 雨は高速に入ったら止んで、濡れた路面の恐怖心もなくなった。途中、高速道路沿いにあるショッピングモールの駐車場で休憩。バイクの横に座っていると、一台の車がやってくる。ガラガラの駐車場で、しかも一番端にいるのに、どうして来るんだろうと思ったら

「Do you need help?」

と。「助けが必要かい?」とおじさんが話しかけてきてくれた。恐らく僕がマシントラブルで駐車場に止まっていると思ったのであろう。本当に親切な人がいて、助かる。ありがとう。ここでブーツカバーを脱いで、グローブも雨用から普段用に替える。

 このショッピングモールを出て20分もしないうちに、おいおい、急に雨が降って来た。しかも結構本格的に。幸いガソリンも入れ時だったので、ガソリンを入れ、ついでにブーツカバーも装着。ちなみに僕のバイクは満タンで170マイル(270キロ)は走れるのだが(多分)、この広い北米大陸。ガス欠になるのだけは避けたいので、早めの給油。しかもこの僕の買ったバイク「Rebel」、燃料計がついてないので、走行距離を見て、給油を判断しなければならない。

 全身雨用装備になって、高速を10分くらい走ると、また雨が止んだ。でも雲行きが怪しかったので、晴れ間が見えても、雨用装備で走行。しかし、国境近くなると、雨が降る気配などなくなっていた。

 いよいよ国境越え。しかし、国境手前ですごい渋滞。ブーツカバーを外そうと思ったが、渋滞の中じゃ、さすがに外せない。しかもこの渋滞、たった1kmくらいを通り過ぎるのに、1時間もかかった。国境近くで自転車に乗っている人が車の間をスイスイ抜けて行った。自転車で国境越えができるのであれば、50ccでもできるかな。今回は250ccだが、次回は50ccで挑戦してみたい。まぁ、次回は無いでしょうが・・・・。

いよいよ国境越え。ドキドキ
(当時は工事現場はなかった)

 ああ、今日は7月2日の土曜日。4日は独立記念日で金曜か火曜に有給を取れば、4連休になるから、こんなに込んでいたのであろう。週末の国境越えは次からは避けようと思う。

 普通先進国への入国と言えば厳しいものであるが、カナダの入国審査官はそう思えないほど優しかった。そして国境はあっけなく過ぎていた。国境を過ぎるとすぐに案内所があり、ここでバンクーバーの地図をもらう。ここのスタッフもとてもフレンドリーで、僕のヘルメットを見て、「どんなバイクに乗ってるの?」とか聞いてくる。

 カナダ国境からバンクーバーへの道は広い田園の中をずっと走ることになる。田園の中を走るだけあって、途中「田舎の香水」の匂いがしてきた。「田舎の香水」って分かりますか?牛とかの「糞」の匂いのことで、台湾でも日本でも田舎に行くと匂ってくるあれのことです。

 バンクーバー市内へ到着。早速市内にあるユースホステルに行く。バンクーバーには3つのユースがあり、ひとつは要予約で、あとの2つは予約した方が良いというユースである。で、予約はしてなかったので、Granville Streetにあるユースを訪ねると、満員。でも受付が別のユースに電話をつないでくれた。それからは自分で空きの有無を聞いたりしたのだが、結局市内じゃなくて、ちょっと郊外にあるJericho Beachというユースに泊まることにした。普通の旅行者ならこんな遠い所は重い荷物を持っているのであれば、行かないと思うのだが、幸い僕はバイクと言う素晴らしい足を持っている。迷わずここに決めた。

 バンクーバー市内を走っていて思ったことは、「ここは白人の多いアジアか?」ということ。聞いた話なのだが、香港が中国に返還される前に多くの香港人がカナダへ移住したそうだ。だからここはアジア人が多いのかな。ただ顔を見ただけで、香港人なのか中国人なのか、はたまた台湾人なのか分かるはずもない。

 ユースには15時前に到着。カナダドルが1ドルもなかったので、両替したく受付で聞くと、土曜でも銀行がやっているが、営業時間が何時までかは知らないとの事。急ぎ足で受付で聞いた銀行へ行くも、到着したのが15時5分。5分前に閉まってしまっていた。残念そうにしていると、ATMのところにいたおばあちゃんが「営業時間は16時までにすべきよね」と話しかけてきた。このおばあちゃんも数分前に来たのであろう。

素晴らしい環境の中に建っている。

ドミトリー(相部屋)はこんな感じ

バックパッカーにしてみたら、綺麗な方の宿だと思う。

 結局両替できずに、ユースへ戻る。特にすることがないので、地図で明日のルートを考え、シャワーを浴び、昨日インスタント麺を食す。お金があれば、恐らく外で何か食べたと思うのだが、1カナダドルもないのだから、仕方ない。でも、今日食べた「日清Top Ramen Oriental Flavor」という味、今まで食べた「Top Ramen」の中で一番イケると思った。

 ベッドで横になりながら地図を見ていると、同室の人が話しかけてきた。シンガポールから来たレスリーという人で、会社の研修で1週間、遊びで1週間カナダに来ていて、僕と同じく今日カナダに着いたそうだ。彼もシンガポールでカジバのバイクに乗っており、僕のバイク旅行に興味を持ってくれた。彼もアメリカ横断したいと言っていたが、時間もチャンスもないと言っていた。そりゃそうだもんなぁ、僕も仕事を辞めたから出来たようなもんだからな。。。不景気の中、仕事を辞めるリスクを考えると、こんな旅行をするにも勇気が必要だと思う。

 21時頃、今までとても静かだった部屋が騒がしくなってきた。みんなダウンタウンへ行って夜遊びする予定なのだろうか。ここの宿泊者は西洋人が多い。

 明日はバンフ(Banff)へ行く。早朝出発で、恐らく夕方到着すると思う。結構な長旅だ。なので、バンフには2泊する予定。

本日の走行距離: 144マイル(231.7km)
総走行距離:416マイル(669.5km)

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月1日

2005年7月1日(金)

 今日は「イチローはすごい」の一言だけだ。



かっこいいぞ、イチロー

 7時半起床。無料の朝食を適当に食べて、8時半に出発。今日こそはブルース・リーの墓を見つけるぞ。と思ってバイクで墓地に入ると、あらら、1分もしないで見つかった。昨日は歩いて1つ1つ見て歩いたというのに。。。。昨日探していない場所だった。。。。こんなにあっけなく見つかると拍子抜けである。

写真があるのが李小龍、
黒い墓石が息子のブランドン・リーの墓


お墓の近くまでバイクで入れる。


この辺は大きな変化は無い。

  それから520号線の橋が珍しい、とのことなので、走ってみる。こりゃ、まるで湖の水面を走っているような感覚だったが、よそ見をするわけにはいかない。結構な交通量で、風景に見とれていると事故に遭ってしまう。なんせ、この橋では100km/h位が平均速度だからだ。自分が運転しないのであれば、綺麗な風景なのかもしれないが、運転に集中している僕にとっては、あまり目に入らない。F1のモナコGPで、ドライバーの目にはモナコの美しい風景が一切目に入らないというのもちょっと分かるような気がした。


写真よりも実際の目で見たほうが水面を走っている感じである。

 橋を見終わり、周辺を走っていると結構大き目の本屋を発見。一昨日シアトルのダウンタウンにある紀伊国屋で見た地図よりも使いやすそうなのが一冊。お値段は高いが、バイクタンクのバッグにすっぽり入る大きさ。道に迷うことは無いだろうが、かなり詳細な部分まで載っているので思わず買ってしまった。お値段約20ドル。一昨日は要らないと思って買わなかったが、結局買ってしまった。まぁ、僕自身地図好きであるから、後悔はしないであろう。

Google Mapが出るまでは、
このような紙媒体の地図が必需品であった。
今は本当に便利になったと思う。

 宿に帰ってくるとお昼を過ぎていて、昨日買ったインスタント麺を食す。だが、問題発生。パッケージを開けると、スープの素が入っていないじゃあーりませんか。まぁ、1個25セントなのだから、我慢しなくっちゃ。仕方なく、別の味を開け、1杯分のスープで2杯分の麺を入れる。

 それから買おう買おうとずっと街中を見て歩いてたけど見つからなかった携帯電話のSIMカードを探しに行く。そうすると中華街に携帯を扱っている店を発見。最初は英語で話していたのだが、途中からいつのまにか中国語で話していた。やっぱり中国語の方が楽だ。

 結局一番安い15ドルのカードを買い、無事に携帯が使えるようになったのだが、どうやら、安いだけあって、通話受信時にも高めの料金がかかりそうだ。まぁ、この携帯は緊急用だから、別に良いか。番号は+1-206-388-XXXXです。受信にもお金がかかるので、いたずら電話はお断りです(笑)。

 中華街から戻るともう16時半だった。緯度が高いところでは太陽を基準に行動してはいかんな。バスに乗ってセイフィコ・フィールドへ向かう。途中までは無料なので、無料の区間の終わりで降り、そこから歩く。19時05分からのゲーム開始だというのに、17時の時点でも結構人が球場に向かっていた。Team Shopに入って、トレーナーを買う。これからカナダのロッキー越えがあるのだから、トレーナーは必要経費かな。寒い中バイクに乗るのだけは勘弁してほしい。

 球場に入ると、Texas Rangersの練習が始まっていた。子供たちが大勢一番前の席に来ていて、「ボールちょーだい!」と叫んでいた。ちなみに僕の席は前から2番目。イチローのポジションはすぐそこだ。

 いよいよゲーム開始。どうやらマリナーズの練習は僕が来る前に終わったのであろう。次はもっと早く来よう。イチローの第一打席は四球。ちなみにピッチャーは元LAドジャースの韓国人投手パク・チャンホである。どおりでTeam Shopに日本人だけじゃなくて、韓国人も多かった訳だ。

 
サービスデーだったようで、帽子が無料でもらえた

 野球の試合のほうは6対2でマリナーズが負けてしまったが、2時間強という時間があっという間に過ぎてしまう程、楽しませてもらった。大リーグではファールボールでも自由に持って帰れるのか、みんなグローブ持参で来る人が多かった。地域密着型の野球。本当に良い事だと思う。

 今日のイチローは4打数2安打で5割だった。さすがイチロー。野球が特別好きって訳じゃないけど、イチローの試合だったら、また来ようと思う。24ドルの席だったが、決して無駄ではない金額だと思う。24ドル以上のものを得たのだから。

 今日は予算オーバー。でも地図と携帯は一日で使い切るものでもないので、オーバーとも言えない。でもいずれにせよ、節約せねば。リッチな旅は年をとってからやればいいさ。

 明日はいよいよ、国境越え。バンクーバーへ向かう。

本日の走行距離: 60マイル(96.5km)
総走行距離:272マイル(437.7km)

2018年1月8日月曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年6月30日

2005年6月30日(木)

 昨日は深夜2時まで話していたので、起床はちょっと遅めの8時半。とは言え、何もない時に8時半に起きるのは早いかな。もう年をとってしまったということではなかろうか?いや、そんなはずはない。

 朝食は昨日と違って、パンがちゃんとあった。昨日は恐らく出発時間が早すぎて、朝食の準備が間に合わなかったのであろう。今日はゆで卵とトースト2枚、バナナを食べておいた。リンゴとかをバッグに入れようかと思ったが、はしたないと思い、そのまま通り過ぎた。だが、ある西洋人は人目をはばからずに、堂々とかばんの中にリンゴやらパン等を入れていた。う~ん、あれくらいの精神力があれば、生き延びていけると思う。

 朝9時半に出発。今度は州道99号線を南下。航空博物館に行くためだ。この航空博物館では、普段写真をあまり撮らない自分が、珍しく写真を30枚くらい撮った。

 ここには多くの飛行機があって、中島飛行機のHayabusaが展示してあった。ドーントレス(Dauntless)もあるかと思ったら、なかった。この中で一番印象に残っているのはやはり「エアフォース・ワン」であろうか。大統領専用機のことで、設備が充実しているのに驚き、こんな大切なものを公開して良いのか?と、懐の広いアメリカにも驚いた。


住所:9404 E Marginal Way S, Seattle, WA 98108

入館の際には、チケットを購入したことを証明?
するようなものを手に巻き付ける

中島飛行機の隼

エアフォースワン

F14 Tomcat

 宿に戻り、今度はシアトル北東にあるブルース・リーの墓へ歩いて行く。宿から墓地まで恐らく距離にして片道5,6キロあったと思う。到着したころにはクタクタになっており、探すのも一苦労。しかも散々歩いて探したにもかかわらず、どこにあるか分からず、結局無駄足を運んでしまった。明日はまた紀伊国屋に行って、ガイドブックの立ち読みをしようと思ってる。さすがに明日も歩く元気はないので、バイクで行くつもりだ。

 墓地を歩いていると、後ろから「ババババーッ」と物凄い排気音。ハレーが墓地内に入ってきた。じっとバイクを見ていると、そのライダー、僕に向かって挨拶。ホント、こういうのって、ほのぼのとなりますよね。僕が逆の立場だったら、果たして、あのアメリカ人のようにできるのかというのは疑問である。


ブルース・リーのお墓がある「Lake View Cementery」

 宿に戻る途中のスーパーでインスタントラーメンを購入。日清の「Top Ramen」というもので、4袋でたった1ドル。安かったので8パックも買ってしまった。早速宿のキッチンに入り、作る。味はまずまず。今日は昼飯を食べてなかったので、最初おいしく感じたが、最後の方になるとおいしさはなくなってきた。まぁ、25セントの食事だと思えば、全然問題ない。

 栄養は明日の朝食のリンゴで摂ろうと思う。

本日の走行距離: 36マイル(58km)
総走行距離:212マイル(341.2km)

北米大陸オートバイ旅行-2005年6月29日

2005年6月29日(水)

  5時半起床。昨日の夜中2、3時であろうか、向かいのベッドにいた西洋人2人組みがガサゴソと荷物を整理し、チェックアウトしていった。これが相部屋のデメリットであろうが、僕は気にならない。

 朝食は6時からだということで、6時に朝食をとろうとするも、朝食が入っているかごにはリンゴとオレンジと生卵しか入ってなかった。時間もなかったので、リンゴだけかぶりついて出発。今日は前日の教訓を生かし、レインウェアをジャケットの下に着て移動。これがなかなかの効果だ。寒いことは寒いが、我慢できるくらいだ。

 高速道路に乗って一気に北上。初高速である。なるほど、確かに給油や宿の案内標識が走っていると見られる。無料だから降りて、そういう場所に行くんだなぁ。日本のPAが一般道につながっているような感じと言えば良いのであろうか。まぁ、これは本当に独特の雰囲気のものだと思う。

 途中、高速道路でガス欠。でもすぐにリザーブにして、復旧。怖いな。高速でガス欠なんて。でもこれで1ガロンで70マイル走ることが分かった。 本日も給油。タンクに3.9ガロン入ると思っていたため、レジに行って、「3ガロンください」と言ったら、店員「3ガロン入るかどうかわからないから、満タンになったら支払って」と言われた。で、実際に入れてみれば、2ガロンしか入らない。僕の記憶違いであった。ちなみに1ガロンで70マイル走ることができる。

 ボーイング工場はエベレットというシアトルより更に北にあるところだ。高速5号線を降りて、別の高速に入って、3.5マイル行くと、右手に大きな建物が見えてきた。よく見ると「BOEING」と書いてある。本当に大きい。工場の数値とかはまた後ほど書くにして、「Tour Center」という出口を出て、案内どおりに進むと、到着だ。9時からのツアーで、7時45分についてしまった。


Tour Center入口

 ツアーは1時間10分だが、飛行機好きにはたまらないところである。写真撮影が禁止されているので、写真は一切撮れないが、僕の脳裏に焼きついたのは確かだ。写真が撮れないから、一生懸命記憶しようとしたおかげであろう。もし写真撮影が許可されているのであれば、ここまで焼きついていないと思う。

 帰りは高速を使わず、州道99号線をひたすら南下。途中でタコスのお店がいくつかあったので、「Taco Time」というチェーン店だと思うファースト・フードでタコスを食す。味は、思ったよりおいしくなかった。まぁ、本場メキシコに行ったら、もっとおいしいのが、安く食べられるんでしょうね。楽しみだ。

初タコスであったが、それほどではなかった

 シアトル市内に入り、宿に戻る。すると登山しにアラスカまで行った日本人と同室になる。この人から色々と節約のアドバイスをもらった。 例えば、登山家は荷物や食費を減らすためにインスタントヌードルを食べるというのだが、それだけでは栄養が足りなくなってしまうのでビタミン剤等を服用するとよいとのこと。こういう交流があるからドミトリーは良いなと思う。それからチャイナタウンとかがある市街地の南の方へ歩いて行ってみる。今日はもうバイクには乗らないつもりだ。

 ウワジマヤというスーパーに紀伊国屋があり、そこでちょっと立ち読み。アメリカ全土が載っている詳細地図が11ドルくらいで売っていて、買うか買うまいか考えた末に、結局買わないことにした。昨日もらったAAAの地図で十分だろうと思ったからだ。迷ったら、聞けば良いんだし、無駄金は使わないようにしたい。それにサイズがA3くらいのサイズで、持ち運びに不便だと思ったからだ。


日本食材だけでなくアジア食材も豊富。

 夕食は宿が無料で提供してくれるものだったが、まぁ、無料でしょ?と期待していないでコモンルームで待っていたら、なんかすごい良い匂い。なんとスパゲティーにラザニア、サラダなどが出ているではないですか。タダ飯はたくさん食べるに限る。
ピントがぼけてしまっていますが、
これが無料の晩御飯。
貧乏旅行者にとってはありがたいサービス。

 夕食後、椅子に座りながらボーっとしていたら韓国の女性が「Are you Japanese?」と話しかけてきた。ソウル大学に通う李さんという人で、とても頭がよさそうな人だ。それに申さんという日本に住んだことがある男性も加わり、韓国語、日本語、英語で会話をする。

 結局寝たのが2時過ぎ。よかった、明日は別に早起きしなくてもいいのだから。



本日の走行距離: 113.5マイル(182.6km)
総走行距離:176マイル(283.2km)