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2018年1月10日水曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月3日

2005年7月3日(日)

 朝7時に起床。夕べは特にすることがなかったので、8時間の睡眠時間。8時にユースを出発し、近くのATMでやっとカナダドルを手にする。

 カナダの高速1号線をひたすら東に向けて走っていると、見えました、見えました。高い山脈が。Hopeという町に近いところだから、ロッキー山脈ではないと思うが、それでも素晴らしい風景だ。ですが、写真は急いでいる身、撮りませんでした。


大自然の中を100km/h以上で駆け抜けていく

 そろそろオイル交換が必要な距離になってきた。だが、この近くにバイク屋が全然ない。それに日曜という事もあって、オイル交換が出来るガソリンスタンド(GS)でもメカニックが休み。途方に暮れていて、ちょっと小さなGSに入ったら、自分でやるならやってもいいよ、と許可が下りた。だが、オイルの処理をどうしたら良いやら、と店主に相談すると、店主が「この容器を使ったらどうだい?」と親切にもプラスチック容器をくれた。本当はこういう交換はいけないのだが、背に腹は換えられぬ。ドバッとオイルを抜き、使用済みのオイルが入ったその容器に紙を入れて、ゴミ箱に捨てた。地球さん、ごめんなさい。こんなやり方、よくないですよね。。。。ちなみに、ここの店主、中華系の顔をしていた。

 アメリカでは対向車線のライダーが手で合図してくるのだが、カナダに入ってそれがあまり無かった。だが、高速1号線も片道1車線、2車線道路になると、結構合図してくる。あのひたすら長い道のりで、何もすることのないライダーはこういう対向車線で頑張っている同胞に関心が行くのであろう。車であれば、音楽を聞いたり、はたまた同乗者がいる場合だってある。ライダーならではの習慣だと思う。

 走っていて問題が。虫がすごいぶつかってくる。なので、ヘルメットのシールドにべっとり虫がついてしまう。うっかり手で擦ったりすると大変。汚れが拡散してしまって、余計に見にくくなってしまう。1度は大きなクマンバチ級の虫が、シールドに直撃。あっという間に視界がなくなる。が、高速道路で止めることができない。そのまま我慢しながら走る。

写真だと分かりづらいが、バイザーに無数の虫がついている。

まだマイル表示は慣れない。

 4WDの車の後ろを走っていたとき、道路脇から狸のぬいぐるみのようなものが出てきて、その4WDに当たって、ぽ~んと空中を1回転。しかしそれはぬいぐるみではなかった。本物の動物。。。あまりにもあっけなかったけど、鳥肌が立ってしまった。でもあと2秒くらいあとに飛び出てきたのであれば、僕のバイクにぶつかっていて、僕も転んだかもしれない。不幸中の幸いというべきであろうか。

 15時頃、遅い昼食。朝はスニッカーズを食べたものの、やはりバイクに乗っていると想像以上にお腹が減ってくる。Salmon Armという町で給油を済ませ、マクドナルドへ向かう。ここにはMacXtraというハンバーガーがあったので、セットで頼む。5.87ドル。カナダドルが一体いくらなのか全然知らないが、とりあえず500円くらいなんだと自分に言い聞かせる。マックに入ったついでに洗面所でシールドも洗う。落とすのが結構大変だった。



 バンフまで4kmという看板を見たときには、どっと疲れが出てきた。だが、ここで油断は禁物。 「到着するまでが遠足」という小学生時代に聞いた言葉を思い出しながら気を引き締めスロットルをちょっとだけひねる。

 バンフには21時半に到着。しかし太陽はまだ出ている。バンクーバーとバンフの間には時差が1時間あるため、13時間半かかったが、実際に乗った時間は12時間半。

 フロントにはユースホステルを回る旅をしている日本人のおばちゃんがいて、Jasperはよかったと言っていた。このおばちゃん、明日はカルガリーへ行くそうだ。こういう所で日本語が使えるとほっとする。 完全に言葉をマスターしていれば、そう思わないかもしれないが、片言の語学で旅するのは面白い反面、脳が非常に疲れる。

バンフの宿の前

13時間半、恐らくこの旅で一番長時間の乗車時間になるであろう。

本日の走行距離: 564マイル(902km)
総走行距離:980マイル(1568km)

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月2日

2005年7月2日(土)

 7時半起床。朝食はパンとオレンジとコーヒー。リンゴは昼に食べるので、食べずにカバンの中に入れた。窓を見ると、雨。初長距離ツーリングだと言うのに、雨だと気が滅入る。結局シアトルに5泊6日したが、雲の多い日ばかりだった。

 8時15分、エンジンキーを差込み、エンジン始動。キュルキュル~~ッ、とセルが回るもエンジンがかからない。もっと回すが、全然かからない。確かに肌寒いからエンジンが冷えちゃったのかなと思い、チョークを引っ張りながらかけても、やはりかからない。まさか「 新車のくせに故障?」と頭の中をよぎったが、なんて事はない。キル・スイッチ(バイク屋の人は「Emergency Switchと言っていたなぁ)に入っていた。どおりでかからないはずだ。 ちなみに僕は今までの所有車にキルスイッチが装備されていたものはないので、気づくのにだいぶかかった。

 こんな初歩的ミスを仕出かし、6日間いたシアトル市内を抜けて、高速5号線に入り、ひたすら北上。アクセル全開には出来ないので、時速60マイル(約100km/h)で走行。しかし他の車はそれ以上のスピードでガンガン走っていく。途中対向車線にライダーが来ると、みんな左手を軽くあげて、挨拶。う~~ん、こういうのアメリカならではの感じなんでしょうね。

 雨は高速に入ったら止んで、濡れた路面の恐怖心もなくなった。途中、高速道路沿いにあるショッピングモールの駐車場で休憩。バイクの横に座っていると、一台の車がやってくる。ガラガラの駐車場で、しかも一番端にいるのに、どうして来るんだろうと思ったら

「Do you need help?」

と。「助けが必要かい?」とおじさんが話しかけてきてくれた。恐らく僕がマシントラブルで駐車場に止まっていると思ったのであろう。本当に親切な人がいて、助かる。ありがとう。ここでブーツカバーを脱いで、グローブも雨用から普段用に替える。

 このショッピングモールを出て20分もしないうちに、おいおい、急に雨が降って来た。しかも結構本格的に。幸いガソリンも入れ時だったので、ガソリンを入れ、ついでにブーツカバーも装着。ちなみに僕のバイクは満タンで170マイル(270キロ)は走れるのだが(多分)、この広い北米大陸。ガス欠になるのだけは避けたいので、早めの給油。しかもこの僕の買ったバイク「Rebel」、燃料計がついてないので、走行距離を見て、給油を判断しなければならない。

 全身雨用装備になって、高速を10分くらい走ると、また雨が止んだ。でも雲行きが怪しかったので、晴れ間が見えても、雨用装備で走行。しかし、国境近くなると、雨が降る気配などなくなっていた。

 いよいよ国境越え。しかし、国境手前ですごい渋滞。ブーツカバーを外そうと思ったが、渋滞の中じゃ、さすがに外せない。しかもこの渋滞、たった1kmくらいを通り過ぎるのに、1時間もかかった。国境近くで自転車に乗っている人が車の間をスイスイ抜けて行った。自転車で国境越えができるのであれば、50ccでもできるかな。今回は250ccだが、次回は50ccで挑戦してみたい。まぁ、次回は無いでしょうが・・・・。

いよいよ国境越え。ドキドキ
(当時は工事現場はなかった)

 ああ、今日は7月2日の土曜日。4日は独立記念日で金曜か火曜に有給を取れば、4連休になるから、こんなに込んでいたのであろう。週末の国境越えは次からは避けようと思う。

 普通先進国への入国と言えば厳しいものであるが、カナダの入国審査官はそう思えないほど優しかった。そして国境はあっけなく過ぎていた。国境を過ぎるとすぐに案内所があり、ここでバンクーバーの地図をもらう。ここのスタッフもとてもフレンドリーで、僕のヘルメットを見て、「どんなバイクに乗ってるの?」とか聞いてくる。

 カナダ国境からバンクーバーへの道は広い田園の中をずっと走ることになる。田園の中を走るだけあって、途中「田舎の香水」の匂いがしてきた。「田舎の香水」って分かりますか?牛とかの「糞」の匂いのことで、台湾でも日本でも田舎に行くと匂ってくるあれのことです。

 バンクーバー市内へ到着。早速市内にあるユースホステルに行く。バンクーバーには3つのユースがあり、ひとつは要予約で、あとの2つは予約した方が良いというユースである。で、予約はしてなかったので、Granville Streetにあるユースを訪ねると、満員。でも受付が別のユースに電話をつないでくれた。それからは自分で空きの有無を聞いたりしたのだが、結局市内じゃなくて、ちょっと郊外にあるJericho Beachというユースに泊まることにした。普通の旅行者ならこんな遠い所は重い荷物を持っているのであれば、行かないと思うのだが、幸い僕はバイクと言う素晴らしい足を持っている。迷わずここに決めた。

 バンクーバー市内を走っていて思ったことは、「ここは白人の多いアジアか?」ということ。聞いた話なのだが、香港が中国に返還される前に多くの香港人がカナダへ移住したそうだ。だからここはアジア人が多いのかな。ただ顔を見ただけで、香港人なのか中国人なのか、はたまた台湾人なのか分かるはずもない。

 ユースには15時前に到着。カナダドルが1ドルもなかったので、両替したく受付で聞くと、土曜でも銀行がやっているが、営業時間が何時までかは知らないとの事。急ぎ足で受付で聞いた銀行へ行くも、到着したのが15時5分。5分前に閉まってしまっていた。残念そうにしていると、ATMのところにいたおばあちゃんが「営業時間は16時までにすべきよね」と話しかけてきた。このおばあちゃんも数分前に来たのであろう。

素晴らしい環境の中に建っている。

ドミトリー(相部屋)はこんな感じ

バックパッカーにしてみたら、綺麗な方の宿だと思う。

 結局両替できずに、ユースへ戻る。特にすることがないので、地図で明日のルートを考え、シャワーを浴び、昨日インスタント麺を食す。お金があれば、恐らく外で何か食べたと思うのだが、1カナダドルもないのだから、仕方ない。でも、今日食べた「日清Top Ramen Oriental Flavor」という味、今まで食べた「Top Ramen」の中で一番イケると思った。

 ベッドで横になりながら地図を見ていると、同室の人が話しかけてきた。シンガポールから来たレスリーという人で、会社の研修で1週間、遊びで1週間カナダに来ていて、僕と同じく今日カナダに着いたそうだ。彼もシンガポールでカジバのバイクに乗っており、僕のバイク旅行に興味を持ってくれた。彼もアメリカ横断したいと言っていたが、時間もチャンスもないと言っていた。そりゃそうだもんなぁ、僕も仕事を辞めたから出来たようなもんだからな。。。不景気の中、仕事を辞めるリスクを考えると、こんな旅行をするにも勇気が必要だと思う。

 21時頃、今までとても静かだった部屋が騒がしくなってきた。みんなダウンタウンへ行って夜遊びする予定なのだろうか。ここの宿泊者は西洋人が多い。

 明日はバンフ(Banff)へ行く。早朝出発で、恐らく夕方到着すると思う。結構な長旅だ。なので、バンフには2泊する予定。

本日の走行距離: 144マイル(231.7km)
総走行距離:416マイル(669.5km)

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月1日

2005年7月1日(金)

 今日は「イチローはすごい」の一言だけだ。



かっこいいぞ、イチロー

 7時半起床。無料の朝食を適当に食べて、8時半に出発。今日こそはブルース・リーの墓を見つけるぞ。と思ってバイクで墓地に入ると、あらら、1分もしないで見つかった。昨日は歩いて1つ1つ見て歩いたというのに。。。。昨日探していない場所だった。。。。こんなにあっけなく見つかると拍子抜けである。

写真があるのが李小龍、
黒い墓石が息子のブランドン・リーの墓


お墓の近くまでバイクで入れる。


この辺は大きな変化は無い。

  それから520号線の橋が珍しい、とのことなので、走ってみる。こりゃ、まるで湖の水面を走っているような感覚だったが、よそ見をするわけにはいかない。結構な交通量で、風景に見とれていると事故に遭ってしまう。なんせ、この橋では100km/h位が平均速度だからだ。自分が運転しないのであれば、綺麗な風景なのかもしれないが、運転に集中している僕にとっては、あまり目に入らない。F1のモナコGPで、ドライバーの目にはモナコの美しい風景が一切目に入らないというのもちょっと分かるような気がした。


写真よりも実際の目で見たほうが水面を走っている感じである。

 橋を見終わり、周辺を走っていると結構大き目の本屋を発見。一昨日シアトルのダウンタウンにある紀伊国屋で見た地図よりも使いやすそうなのが一冊。お値段は高いが、バイクタンクのバッグにすっぽり入る大きさ。道に迷うことは無いだろうが、かなり詳細な部分まで載っているので思わず買ってしまった。お値段約20ドル。一昨日は要らないと思って買わなかったが、結局買ってしまった。まぁ、僕自身地図好きであるから、後悔はしないであろう。

Google Mapが出るまでは、
このような紙媒体の地図が必需品であった。
今は本当に便利になったと思う。

 宿に帰ってくるとお昼を過ぎていて、昨日買ったインスタント麺を食す。だが、問題発生。パッケージを開けると、スープの素が入っていないじゃあーりませんか。まぁ、1個25セントなのだから、我慢しなくっちゃ。仕方なく、別の味を開け、1杯分のスープで2杯分の麺を入れる。

 それから買おう買おうとずっと街中を見て歩いてたけど見つからなかった携帯電話のSIMカードを探しに行く。そうすると中華街に携帯を扱っている店を発見。最初は英語で話していたのだが、途中からいつのまにか中国語で話していた。やっぱり中国語の方が楽だ。

 結局一番安い15ドルのカードを買い、無事に携帯が使えるようになったのだが、どうやら、安いだけあって、通話受信時にも高めの料金がかかりそうだ。まぁ、この携帯は緊急用だから、別に良いか。番号は+1-206-388-XXXXです。受信にもお金がかかるので、いたずら電話はお断りです(笑)。

 中華街から戻るともう16時半だった。緯度が高いところでは太陽を基準に行動してはいかんな。バスに乗ってセイフィコ・フィールドへ向かう。途中までは無料なので、無料の区間の終わりで降り、そこから歩く。19時05分からのゲーム開始だというのに、17時の時点でも結構人が球場に向かっていた。Team Shopに入って、トレーナーを買う。これからカナダのロッキー越えがあるのだから、トレーナーは必要経費かな。寒い中バイクに乗るのだけは勘弁してほしい。

 球場に入ると、Texas Rangersの練習が始まっていた。子供たちが大勢一番前の席に来ていて、「ボールちょーだい!」と叫んでいた。ちなみに僕の席は前から2番目。イチローのポジションはすぐそこだ。

 いよいよゲーム開始。どうやらマリナーズの練習は僕が来る前に終わったのであろう。次はもっと早く来よう。イチローの第一打席は四球。ちなみにピッチャーは元LAドジャースの韓国人投手パク・チャンホである。どおりでTeam Shopに日本人だけじゃなくて、韓国人も多かった訳だ。

 
サービスデーだったようで、帽子が無料でもらえた

 野球の試合のほうは6対2でマリナーズが負けてしまったが、2時間強という時間があっという間に過ぎてしまう程、楽しませてもらった。大リーグではファールボールでも自由に持って帰れるのか、みんなグローブ持参で来る人が多かった。地域密着型の野球。本当に良い事だと思う。

 今日のイチローは4打数2安打で5割だった。さすがイチロー。野球が特別好きって訳じゃないけど、イチローの試合だったら、また来ようと思う。24ドルの席だったが、決して無駄ではない金額だと思う。24ドル以上のものを得たのだから。

 今日は予算オーバー。でも地図と携帯は一日で使い切るものでもないので、オーバーとも言えない。でもいずれにせよ、節約せねば。リッチな旅は年をとってからやればいいさ。

 明日はいよいよ、国境越え。バンクーバーへ向かう。

本日の走行距離: 60マイル(96.5km)
総走行距離:272マイル(437.7km)

2018年1月8日月曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年6月30日

2005年6月30日(木)

 昨日は深夜2時まで話していたので、起床はちょっと遅めの8時半。とは言え、何もない時に8時半に起きるのは早いかな。もう年をとってしまったということではなかろうか?いや、そんなはずはない。

 朝食は昨日と違って、パンがちゃんとあった。昨日は恐らく出発時間が早すぎて、朝食の準備が間に合わなかったのであろう。今日はゆで卵とトースト2枚、バナナを食べておいた。リンゴとかをバッグに入れようかと思ったが、はしたないと思い、そのまま通り過ぎた。だが、ある西洋人は人目をはばからずに、堂々とかばんの中にリンゴやらパン等を入れていた。う~ん、あれくらいの精神力があれば、生き延びていけると思う。

 朝9時半に出発。今度は州道99号線を南下。航空博物館に行くためだ。この航空博物館では、普段写真をあまり撮らない自分が、珍しく写真を30枚くらい撮った。

 ここには多くの飛行機があって、中島飛行機のHayabusaが展示してあった。ドーントレス(Dauntless)もあるかと思ったら、なかった。この中で一番印象に残っているのはやはり「エアフォース・ワン」であろうか。大統領専用機のことで、設備が充実しているのに驚き、こんな大切なものを公開して良いのか?と、懐の広いアメリカにも驚いた。


住所:9404 E Marginal Way S, Seattle, WA 98108

入館の際には、チケットを購入したことを証明?
するようなものを手に巻き付ける

中島飛行機の隼

エアフォースワン

F14 Tomcat

 宿に戻り、今度はシアトル北東にあるブルース・リーの墓へ歩いて行く。宿から墓地まで恐らく距離にして片道5,6キロあったと思う。到着したころにはクタクタになっており、探すのも一苦労。しかも散々歩いて探したにもかかわらず、どこにあるか分からず、結局無駄足を運んでしまった。明日はまた紀伊国屋に行って、ガイドブックの立ち読みをしようと思ってる。さすがに明日も歩く元気はないので、バイクで行くつもりだ。

 墓地を歩いていると、後ろから「ババババーッ」と物凄い排気音。ハレーが墓地内に入ってきた。じっとバイクを見ていると、そのライダー、僕に向かって挨拶。ホント、こういうのって、ほのぼのとなりますよね。僕が逆の立場だったら、果たして、あのアメリカ人のようにできるのかというのは疑問である。


ブルース・リーのお墓がある「Lake View Cementery」

 宿に戻る途中のスーパーでインスタントラーメンを購入。日清の「Top Ramen」というもので、4袋でたった1ドル。安かったので8パックも買ってしまった。早速宿のキッチンに入り、作る。味はまずまず。今日は昼飯を食べてなかったので、最初おいしく感じたが、最後の方になるとおいしさはなくなってきた。まぁ、25セントの食事だと思えば、全然問題ない。

 栄養は明日の朝食のリンゴで摂ろうと思う。

本日の走行距離: 36マイル(58km)
総走行距離:212マイル(341.2km)

北米大陸オートバイ旅行-2005年6月29日

2005年6月29日(水)

  5時半起床。昨日の夜中2、3時であろうか、向かいのベッドにいた西洋人2人組みがガサゴソと荷物を整理し、チェックアウトしていった。これが相部屋のデメリットであろうが、僕は気にならない。

 朝食は6時からだということで、6時に朝食をとろうとするも、朝食が入っているかごにはリンゴとオレンジと生卵しか入ってなかった。時間もなかったので、リンゴだけかぶりついて出発。今日は前日の教訓を生かし、レインウェアをジャケットの下に着て移動。これがなかなかの効果だ。寒いことは寒いが、我慢できるくらいだ。

 高速道路に乗って一気に北上。初高速である。なるほど、確かに給油や宿の案内標識が走っていると見られる。無料だから降りて、そういう場所に行くんだなぁ。日本のPAが一般道につながっているような感じと言えば良いのであろうか。まぁ、これは本当に独特の雰囲気のものだと思う。

 途中、高速道路でガス欠。でもすぐにリザーブにして、復旧。怖いな。高速でガス欠なんて。でもこれで1ガロンで70マイル走ることが分かった。 本日も給油。タンクに3.9ガロン入ると思っていたため、レジに行って、「3ガロンください」と言ったら、店員「3ガロン入るかどうかわからないから、満タンになったら支払って」と言われた。で、実際に入れてみれば、2ガロンしか入らない。僕の記憶違いであった。ちなみに1ガロンで70マイル走ることができる。

 ボーイング工場はエベレットというシアトルより更に北にあるところだ。高速5号線を降りて、別の高速に入って、3.5マイル行くと、右手に大きな建物が見えてきた。よく見ると「BOEING」と書いてある。本当に大きい。工場の数値とかはまた後ほど書くにして、「Tour Center」という出口を出て、案内どおりに進むと、到着だ。9時からのツアーで、7時45分についてしまった。


Tour Center入口

 ツアーは1時間10分だが、飛行機好きにはたまらないところである。写真撮影が禁止されているので、写真は一切撮れないが、僕の脳裏に焼きついたのは確かだ。写真が撮れないから、一生懸命記憶しようとしたおかげであろう。もし写真撮影が許可されているのであれば、ここまで焼きついていないと思う。

 帰りは高速を使わず、州道99号線をひたすら南下。途中でタコスのお店がいくつかあったので、「Taco Time」というチェーン店だと思うファースト・フードでタコスを食す。味は、思ったよりおいしくなかった。まぁ、本場メキシコに行ったら、もっとおいしいのが、安く食べられるんでしょうね。楽しみだ。

初タコスであったが、それほどではなかった

 シアトル市内に入り、宿に戻る。すると登山しにアラスカまで行った日本人と同室になる。この人から色々と節約のアドバイスをもらった。 例えば、登山家は荷物や食費を減らすためにインスタントヌードルを食べるというのだが、それだけでは栄養が足りなくなってしまうのでビタミン剤等を服用するとよいとのこと。こういう交流があるからドミトリーは良いなと思う。それからチャイナタウンとかがある市街地の南の方へ歩いて行ってみる。今日はもうバイクには乗らないつもりだ。

 ウワジマヤというスーパーに紀伊国屋があり、そこでちょっと立ち読み。アメリカ全土が載っている詳細地図が11ドルくらいで売っていて、買うか買うまいか考えた末に、結局買わないことにした。昨日もらったAAAの地図で十分だろうと思ったからだ。迷ったら、聞けば良いんだし、無駄金は使わないようにしたい。それにサイズがA3くらいのサイズで、持ち運びに不便だと思ったからだ。


日本食材だけでなくアジア食材も豊富。

 夕食は宿が無料で提供してくれるものだったが、まぁ、無料でしょ?と期待していないでコモンルームで待っていたら、なんかすごい良い匂い。なんとスパゲティーにラザニア、サラダなどが出ているではないですか。タダ飯はたくさん食べるに限る。
ピントがぼけてしまっていますが、
これが無料の晩御飯。
貧乏旅行者にとってはありがたいサービス。

 夕食後、椅子に座りながらボーっとしていたら韓国の女性が「Are you Japanese?」と話しかけてきた。ソウル大学に通う李さんという人で、とても頭がよさそうな人だ。それに申さんという日本に住んだことがある男性も加わり、韓国語、日本語、英語で会話をする。

 結局寝たのが2時過ぎ。よかった、明日は別に早起きしなくてもいいのだから。



本日の走行距離: 113.5マイル(182.6km)
総走行距離:176マイル(283.2km)

北米大陸オートバイ旅行-2005年6月28日

2005年6月28日(火)

朝7時過ぎに起床。まず天気予報専門チャンネルを見る。しかしアメリカは華氏を使うのでいまいち温度が把握できない。たとえば、今日のシアトルの最高気温は68度。ん?68度ってどのくらい?20度くらいであるそうだ。

 シャワーを浴び、荷物の整理して、今日のルートを決める。そして、ユースホステルに電話し、空きがあるかどうかを確認。ついでにバイクを置けるかどうかも聞いたが、近くに有料の駐車場があるとの事。1日12ドルだが、仕方ないか。

 宿から99号線をひたすら北上。途中で、なんとガス欠。交差点でエンジンが止まってしまったが、すぐにリザーブにして、再発動。航空博物館前を過ぎ、しばらくするとガソリンスタンドがあった。セルフ式のガソリンスタンドは日本でも最近定着しているが、アメリカのは初めて。やり方がわからないので、店員に聞くと、ここは先払い方式のGSで、「いくら分、入れるの?」と聞かれた。急に聞かれたので、「ああ、1ガロンでいいです」って答え、2.39ドル払った。

 で、給油。これがいくらレバーを握っても出てこない。おかしいな、もしかして英語が悪くて頼んだレギュラーガソリンをプレミアムガソリンと勘違いされちゃったのかな?と思い、プレミアムの方のノズルも試してみるがダメ。あれれ、と思っていると店員さんがやってきて、ノズルを収める所のレバーを上げてからじゃないとダメだよ、って教えてくれた。

 ああ、なるほど。で、給油はもう日本でもやっているので、慣れたものだ。給油が終わり、キャップを閉め、距離メーターをゼロに戻し、出発。なんとか初給油も無事終わった。次は確実にやるぞ。

 しばらくするとシアトルの高層ビル群が見え始める。距離にして10km以内かな。引き続き走ると、セイフィコ・フィールドが目の前に現れた。セイフィコ・フィールドとはイチローのいるシアトル・マリナーズの本拠地である。これを見たとき、「おお、シアトルに来たぞ」と実感した。昨日までは特に何もない普通のアメリカの風景だったため、この感動はなかなか忘れられない。

右にセイフィコ・フィールド、
左にシアトル市街の高層ビル群が見える。

 99号線を走っているといよいよ市街地へ。99号線は高速道路なのか「市内への出口」との案内標識を見かける。適当なところで出口を降りて、地図を確認。今日の宿はすぐそこだった。

 宿に着いてチェックイン。1泊23ドル(クレジットの場合24ドル)。かぎの保証金が20ドルで、税込み、朝食付でこのお値段はまずまずだろう。
  チェックインしたもののベッドメイクはまだだったので、荷物だけを置いて、また出かける。北上し、有名な水門(Chittenden Locks)まで行こうとするが、地図が、いかんせん無料のため、今どこにいるのか分からなかったが、なんとか大きい道まで出て、無事にたどり着けた。

 ここは北海道より緯度が高いため、走っていると肌寒いを通り越して、「寒い」と思うようになる。しかも昨日は結構暖かかったが、今日は冷え込んでいる。こりゃ、カナダのロッキー越えなんて、もっと寒くなるんだろうな。。長袖買うかな?

 で、なんとか水門に到着。ここは水位が違うため、パナマ運河みたいな構造になっている。口で説明するのが難しいので、知りたい人は「パナマ運河」というキーワードで調べてください。

 またここの水門はニジマス・鮭が産卵のため海から上がってくるのだが、水門があるため、普通じゃ上れる訳もない。しかしここには魚のための階段があり、上ることができるようになっている。でも僕から言わせると、こんなに急な階段なのに、上れるのか?と思うが、上れるって書いてあるんだから上れるんだろうなぁ。
パナマ運河みたいな舟を別の水位へ運ぶ運河

Chittende Locks
噴出されている所から産卵が終わった魚を放流する仕組みになっている。
鮭がここを登っていく

登っている鮭を横から見ることができる

 水門を見終わると、太陽が出てきた。今まで寒いと思ったけど、太陽が出ているときに歩くとちょっと汗ばむくらいの陽気だ。しかし、こんな陽気もバイクに乗ってしまえば、すぐさま寒くなる。困ったもんだ。とりあえず、マクドナルドに行って、遅いブランチ。でもあまり食欲がなかったので、ビッグマックの単品だけにする。でも注文時に「Mealにするか、Sandwichにするか?」と聞かれた。Sandwichって何だよ。って思っていたら、どうやらバーガーの単品の事らしい。味はまぁ、日本のものと同じだ。特別にすごいというわけじゃないが、食べているのが本場アメリカだということで、何か違うような気がした。

 宿に戻り、今度はAAA(全米自動車協会)の場所を聞きに観光案内所へ。ここにいたスタッフがなんと日本人。Yuki Ebiharaさんという人で、とても親切にしてもらった。ありがたや、ありがたや。で、ここでボーイングの工場見学の予約を入れてもらった。市内から出ているツアーを利用すると38ドルかかるのだが、僕はバイクを持っているので、直接工場に行くことにした。この場合、料金は10ドルだけになる。

 だが、だが、「だが」である。予約しないで直接並べばなんと5ドルだそうだ。くそ、なんか損した気分。

 色々と情報を教えていただいた後に、南京錠を買いに、色々と大きいショッピングモールをあたってみるが、全然ない。諦めかけて、宿の近くのスーパーに入ったらばっちり売っていた。灯台下暗しとはまさにこのこと。

 街を歩いていると、若い白人女性が微笑みながら、僕に向かって「その服装、まるでマイケルジャクソンみたいだわ」って声をかけた。確かに着ていたものは赤いライダースーツに肩と肘のプロテクターを入れているものだったので、「スリラー」の時のような格好になっている。知らない人に、こう気さくに声をかけられるアメリカ人、いいなぁ~と思う。

 それから案内所で教えてもらったAAA(こちらではトリプルAというそうだ)へ行き、全米の地図をもらった。地図好きの僕にとって、これじゃちょっと物足りないような気がする。後日本屋で詳細な地図を値段と相談して買おうと思っている。


現在の様子

 地図をもらった帰り、数台のライダーと対向車線ですれ違うが、そのとき、皆会釈のような形で挨拶をしてくれる。日本じゃこんな光景、あまり見たことがないが、アメリカではどうやら極普通のことなのであろう。私の知り合いが以前、Mini Cooperに乗っていたとき、Mini Cooperのドライバー同士で挨拶をするという事を聞いたが、恐らくそれに近いものなのであろう。自動車社会の中で、極少数のオートバイ。だから、共同意識みたいなものがあるのであろう。いずれにしても悪い気は全然しない。

 アメリカでのバイク事情の一面を感じながら、セイフィコ・フィールドへ行き、Area51がよく見える席を予約する。この「Area51」とはアメリカの秘密基地「Area51」とイチローの背番号をかけて作られた英語であり、イチローの守備範囲の広さを形容している。つまりArea51とはライト側の外野席のことだ。24ドルとちょっと高値だが、イチローが近くで見れるなら、買うに値すると思う。ちなみに一番安い席はセンター外野席で、7ドル。とりあえず選手はどうでもいいけど、大リーグが見たいという人にオススメなのかもしれない。ちなみに試合は7月1日(金)。


チケット売り場は休場の南側。

 チケット購入して宿に戻るともう18時。部屋で明日のボーイング工場までのルートを調べるも、詳細な地図じゃないため、役に立たず。まぁ、なんとかなるさ的考えで、ベッドに横なったらいつのまにか寝ていた。起きてみると外はまだ明るい。恐らく30分くらい経ったのだろうと時計を見ると、なんと21時。しかし、外はまだ明るい。北緯の高さを実感。で、腹があまり減ってなかったので、下のスーパーでコーラを買い、コモンルーム(雑談室のようなところ)で飲む。部屋は飲食禁止だ。そうするとルームメイトのアジア系の男性も入ってきて、雑談する。彼はキム・ジウと言い、今ニューヨークで英語を勉強している韓国人だ。ジウ氏となんだかんだで24時過ぎまで話し、就寝。韓国語で話そうとしたが、恥ずかしかったので結局英語で話した。


駐車は宿の裏側。


本日の走行距離: 62.5マイル(100.6km)
総走行距離:89マイル(143.2km)

北米大陸オートバイ旅行-2005年6月27日

2005年6月27日(月)

5時起床。成田空港へは埼玉県の某市駅から、直通バスが出ている。本来は予約制なのだが、当日でも空きがあれば、乗れる。バタバタしていて、予約を取るのを忘れてしまい、結局当日乗り場へ向かった。「もし空きがなかったらどうしよう」と考えたが、無駄な杞憂だった。
 さて、首都高が混んでいて、到着予定時刻8時30だったのだが、15分くらい伸びた。でもたった15分か。

 今日乗るアシアナ航空101便は13時半出発。受付が始まるまでかなり時間があったので、空港内を重い荷物を背負いながらブラブラする。とりあえず空港で海外旅行保険に加入したが、疲れたので、椅子に座って、ボーっと過ごす。

 受付時間が始まったが、何もすることがないので、出国手続き等を済まし、搭乗ゲート付近で、飛行機を見ていた。そうしたら、キムさんという韓国人女性が、英語で話しかけてきた。

 とてもフレンドリーで、色々と雑談したり、アメリカのアドバイスをもらったりした。メールアドレスをもらい、ソウル空港(仁川国際空港)で、別れる。

 キムさん曰く、僕はとても優しそうな顔をしていて、西洋人に好まれる顔、だそうだ。う~~ん、そうとは思わないけどなぁ~。そうだと良いのだが。

Junkoma、初渡米。ソウルからSeattleまでの飛行は約9時間。機内では、特に何もせずにひたすら時間が過ぎるのを待った。

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空港の案内所で地図をもらい、予約したMotelまで歩いて行く。約30分の運動。時々すれ違う人が、「Hi」とか声をかけてくれたり、微笑んでくれたりするのを見て、「ああ、これがアメリカかぁ」と実感が湧き始めた。
シアトル・タコマ国際空港

 Motelの受付は太った女性で、印象がよくないと思ったが、仕事モードに切り替わったら、結構愛想がいい人になった。Motelの部屋はちょっとかび臭い部屋だったが、まぁ、1日だけの我慢。シャワーを浴びて洗濯して、すぐに受付でタクシーを呼んでもらう。

Motel6。
心配だったので、日本出発前に予約をしておいた。

 バイクの販売店にタクシーで向かう。この運転手がレゲエ的な人で、思ったより陽気ではないが、なかなか面白い人だった。でもさぁ、運転手なんだから、道を覚えておこうよ。地図を見ながらに移動にはいささか首を傾げざるを得ない。まぁ、その運転手はシアトル方面が得意で、僕が行こうとしたのはRentonという町だから、仕方ないと言えば、仕方ないか。これがアメリカでの最初で最後のタクシーになるであろう。

 ディーラーに到着。しかし担当してくれていたWolfgang氏は今日は休みとの事。替わりにJeffという人が来たが、あまり良い印象ではなかった。最初に提示された価格は4000ドル。まあ、これが言い値なんでしょうね。それから安くしろだの何だのと交渉して、精神的に疲れてしまったが、何とか納得のいく乗り出し価格3464.26ドルで購入。新車で諸費用等入れてこの価格なのだから、まずまずだと思う。

 それから今度は書類関係の処理のため、Danという人の所へ行くが、このDan氏、とても気さくで、以前大学のルームメイトが日本人だったということで、非常に親日家っぽかったし、話も結構盛り上がった。この人が担当だったらよかったのに・・・・・。

 で、いよいよ、仮のナンバーをもらい、もう公道で走れるようになる。最後にJeff氏と握手して、販売店を去る。ガソリンはタンクの半分入っているから、給油はまだ必要ない。嬉しくて嬉しくて、シアトル市内まで行こうとしたが、風が冷たくて、Motelに帰る。半袖で乗っていたためだ。

当時購入したRenton Motorcylesは閉業している。
住所:3701 E Valley Rd, Renton, WA 98057 

 部屋からジャケットを取り出し、また近郊をぶらつく。

これが買ったHonda Rebel。
解像度がかなり低くてすみません。

こいつがこれから2ヶ月強、僕と共に旅をする相棒だ。最初の印象は乗りやすいが、今まで乗ってきたバイク(原付やSYMの野狼と比べて)曲がりにくい。コーナーが大回りになってしまうのはホイールベースが長いからであろうか。でも日本の細い路地のようにクネクネ曲がっている道はアメリカには少ないであろうから、気にすることはない。

 いやいや、だめだ、こりゃ。台湾に住み始めてから頭の中が完全に中国語モードになっており、「OK」とか「That's Right」とか言う場面で、「好」とか「対」とかいつのまにか口に出てしまっている。これからゆっくり切り替わっていくんだろうなぁ。

 Motelへ帰る途中でファーストフード店のSubwayを見つけたので、お持ち帰りにして、隣のセブンイレブンで見たことのない「Red Dog」という700ccのビールを1.62ドルで買い、部屋で夕食をとる。が、眠かったため、食事の途中でうとうと寝てしまった。たぶんすごい疲れていたのであろう。

ガソリンはまだあるので、
とりあえず晩御飯のSubwayのサンドウィッチを購入

REDDOGなんてビールは日本で見たことがない。

 明日の計画は明日の朝考えるか。

本日の走行距離:26.5マイル(42.65km)
総走行距離:26.5マイル(42.65km)


当時のルートではなく、訪れた所をGoogleのルート検索でつなげただけです。