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2018年3月5日月曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月26日

2005年7月26日(火)

この旅、一番の感動かもしれない。

 





スペースシャトル発射!!
遠かったが、貴重な体験だ。

 5時45分起床。なぜこんなに早いかというと、前々から日記にも書いてあった通り、スペースシャトルの打ち上げを見るためである。6時にはもう準備が出来、出発。前回ケネディー宇宙センターへ行ったときと同じく192号線を西へ向かい、4号線に乗り、オーランド市内から50号線に降りて、そのまままっすぐというルートだ。

 出発時の空は真っ暗で、ヘルメットのシールドを上げて、走行。ガソリンがないので、入れようと思ったのだが、入れようと思ったGSが閉まっていた。頭の中に「ガス欠」という単語が浮かんできて、どきどきしながら走り、やっと見つけた。今回は3ドル分とサンドイッチ、ゲーターレードを購入。全部で5.44ドル。

 日の出前ということで、かなり寒かった。シアトルで買ったマリナーズトレーナーが久しぶりに役に立った。

 高速4号線はそんなに込んでいなかったが、50号線は込んではいないものの、前回とは違い交通量が多かった。ところが、ケネディー宇宙センターに到着するくらいには、かなりの渋滞。こりゃ、抜けるのにだいぶかかるなと覚悟を決めて、渋滞の中に突入。誰もすり抜けをやっていないし、警察も結構多かったので、すり抜けはやらなかった。

 渋滞の中を1時間くらい待ったであろうか。あることに気がついた。この渋滞は宇宙センター内へ行くためで、僕は関係ないと。今日は打ち上げのため、許可書の持っている人のみ宇宙センターに入れるのだ。許可書の無い僕が並んでも仕方ない。路肩を走り、目的の国道1号線に入る。国道1号線は思ったより込んでなく、すぐに発射台が見られる海岸線にバイクを停め、場所探し。ちゃんと舗装されている場所はもう既に場所を取られていて、入り込む余地無し。

 幸い、岩場で普通に座れそうな所が空いていたので、岩場に席を取る。打ち上げは10時39分との事なので、それまで2時間半もある。朝買ったサンドイッチを食べながら、ボーっと過ごす。日差しが強くなり、汗もかき始めて、時計を見たらあと1時間。携帯電話の中のゲームをして、時間を潰す。10時20分くらいから、ビデオカメラの位置を再確認して、10時25分、撮影開始。

 発射台からかなり離れているものの、肉眼で発射台が見える距離だ。ただ雲が多く、若干かすんでいた。ビデオをズームにすると、かろうじて発射台にシャトルらしいものが見えるくらいだ。

 10時39分。いよいよ発射の時間。発射台がパァーっと明るくなり、煙が左右に広がる。後ろの観客が歓声を上げ、シャトルは無事に浮上。それからシャトルは雲の中に入り、しばらく見えなくなる。だが、雲の上から再びシャトルと炎が姿を現す。その頃に、発射の時の音が「ゴゴゴーー」っと聞こえ始める。その間もシャトルはグングンと空高く進み、あっという間に見えなくなる。

 賞味5分。Kissimmeeでの滞在を2泊延長し、今朝6時前に起きた甲斐があった。もしこれでまた打ち上げ延期にでもなっていたら、日ごろの行いが悪いと思うしかない。ああ、こんな貴重な体験が出来るのは、本当にラッキーだと思う。
  しかも今回の打ち上げはコロンビア号事故以来の打ち上げで、且つ日本人宇宙飛行士の野口聡一さんが乗っている打ち上げである。同じ日本人として非常にうれしいことである。

 打ち上げを見終えたら、バイクにまたがったササッと宿へ帰る。
 宿に着き、部屋に戻るとMassimoとCarloが寝ていた。あれ?ディズニーへ行くんじゃなかったのかな?起こすのはマズイなあと思い、静かに荷物を置いて、スーパーへ向かう。スーパーでミラービール6本と明日の水を買う。500ccのビール6本で3ドル。安い!

 それから自分自身も昼寝。日が昇る6時前に起きたのだから眠いのは当然だ。

 夜はまたMassimoがパスタを作る。今日はサルサソースを使ったパスタ。パスタのゆで方がちょっと変わっていた。僕の場合、茹で上がるまで強火でガンガン茹でるのだが、彼の場合、ある程度まで強火で茹で、後は弱火で茹でるという方法だった。これは彼流なのか?それともシシリー流なのか?

  いずれにしても午前中に見たスペースシャトルの打ち上げの興奮が一生忘れられないものとなった1日であった。

本日の走行距離: 182マイル(291km)
総走行距離:6347マイル(10155km)

2018年2月22日木曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月25日

2005年7月25日(月)

 こんなに長く、ここKissimmeeにいるとは思わなかった。8時半起床。バナナを食べ、牛乳を飲む。胃の中ではバナナセーキになっているであろう。非常に健康的な朝食だ。だが、今日の昼はステーキ。あごが疲れるほど食べようと思っている。

 台湾人の家族が朝食にやってきて、明日のスペースシャトル打ち上げについて色々と情報交換。その家族は朝6時にケネディー宇宙センターへ行き、チケットを買うそうだ。どうやら、朝6時半から販売されるチケットを購入すれば間近で発射が見られるそうだが、僕にチケットを買う購買力はなく、おそらく国道1号線から無料で見ると思う。

 明日はいよいよ発射。このためだけにここKissimmeeにいる様なもんだ。

 10時に受付に郵便局の場所を聞く。歩いては行けない距離だが、僕にはバイクがある。バイクにまたがってエンジン始動。郵便局まで192号線をずっと東へ進む。郵便局は192号線からちょっと南に入ったOak Streetという所にある。アメリカで初めて入る郵便局。中に入ると色々と封筒が置いてあったが、どれを選んで良いかわからず、白地に青が入っている封筒を選び、ステッカーに差出人、宛先を書き、並ぶ。15分くらい待ってやっとカウンターに行くと、「これじゃ、日本へは送れませんよ」と言われる。まさか先日のロンドンでのテロの影響で郵便物まで規制がかかっているのか!!
  と思ったが、なんて事はない。白地に青が入っている封筒は国内用ので、海外用のは白地に灰色(薄い黒?)が入っている封筒を使わなければならないそうだ。

大きな郵便局だった

 で、その国際用の封筒にまた差出人と宛先を書き、中身を移す。お値段、なんと19ドル。高いなぁ。「地球の歩き方アメリカ版」は帰国前に捨ててしまおうと思う。お金がないので日本の古本屋で100円で買ったものなんだから。

 12時に肉を焼き始める。そんなに厚い肉ではないので、すぐに火が通り、完成。1パウンド(452g)も食べるとやっぱりアゴが疲れる。もし、これが神戸牛や松坂牛であればペロリと平らげるのであろうが、僕が買ったのは安い肉。でも昼間っからビール片手に食べるステーキは美味。こんな贅沢、仕事をしていたら出来ない。

 昼飯を食べ終わり、ワシントンにあるユースホステルに電話をかける。28日から3泊の予約である。本当は4、5泊したかったのであるが、スペースシャトルを優先したため、スケジュール変更。スミソニアン博物館やFBIの見学はいつでもお金を出せば見られるが、スペースシャトルはお金を出せば見れるというものではない。そう考えると今回の決断は正しかったのかと思う。まぁ、何億円というお金をNASAとかに寄付すれば、間近で発射が見られるのかもしれないが、そんなお金僕が稼げるわけもない。

 ワシントンDCの宿は確保できた。このワシントンDCのユースホステルは予約時に必ずクレジットカード番号が必要である。クレジットがない場合は数週間前に予約金を郵送しなければならないらしい。クレジットカード社会を象徴していると思った。

 ちなみにワシントンDCのユースホステル、全米の中でもトップを争うくらいの人気ホステルらしい。まぁ、日本人の感覚とアメリカ人の感覚が違うところがあるし、どこの国の人であれ、個人個人の価値観によっても評価方法が違うから、一概に今回予約を取ったワシントンDCのユースホステルが良いとは言えないのかもしれない。過度な期待をしないようにしよう。

 オーランドからワシントンDCまでの距離約890マイル(約1424km)を27日チェックアウトから28日の夕方くらいまでに走らなければならない。1日700km以上の長旅だ。ここKissimmeeで十分体を休めて、万全の体調で望もうと思う。

 昼食を食べ、ベッドでワシントンDCでの予定を立てていたら、いつのまにか寝ていた。目を覚ますと西欧人2人組みがちょうどチェックインが終わって、僕の部屋に来た。イタリア人学生で、MassimoとCarloだ。非常にフレンドリーで、僕のバイクの話を聞いて、驚いていた。あまり英語が上手とは言えないが、物怖じせずに話す姿勢はすごいと思う。僕なんかは英語ダメだから、単語だけで答えてしまうのに・・・・・。

 で、このイタリア人2人組みと一緒に宿の中にあるプールで泳ぐ。3時間くらいは泳いだであろうか。そろそろお腹がすいてきたので、ご飯を食べようとの事。Massimoが「パスタ」を作るというので、僕もいただくことになった。さっそく食材を買いにスーパーへ行く。買ったのはパスタとツナ缶だけ。これだけで作れるパスタって。。。。

 でも完成したものを食べると、結構いける。へ~、僕の貧乏料理レシピに追加だな。

 その後もこのイタリア人2人組みと話し、楽しい夜を過ごす。ホステルのいい所は、安い上に、こういう交流の場があるということだ。

 寝る前に、Massimoが別の西欧人(アイルランド人とイスラエル人)に「この日本人はクレイジーなんだぜ」と紹介していた。そしたら、そこにいた西欧人、みんな驚いていた。そんな驚くほどのものではないと思うけどなぁ・・・・。ただ好きでやっているだけだから。

本日の走行距離: 12マイル(19km)
総走行距離:6165マイル(9864km)

2018年2月9日金曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月24日

2005年7月24日(日)

 今日は特に何をするでもなくずっと宿にいた。7時40分に起きて、ルームメイトの日本人Ohyama氏にバイクを貸す。このまま持ち逃げされると困るので、一応航空券を預かり、キーを渡す。今日はこのことだけが非常に頭にあり、なかなかリラックスできなかった。信用しても良いのであろうが結局は他人。利益20ドルが出たが、心配な気持ちにもなるのであるから、結局マイナスと考えても良いのであろう。もう他人にバイクを貸すのは一切止めようと思う。昨日はビールを飲みすぎで、思考能力が落ちていて、「貸す」などと言ってしまったのであろう。

 オオヤマ氏が出発した後、ダイニングルームで牛乳を飲む。飲んでいると台湾人の家族がやってきた。恐る恐る「台湾人ですか?」と中国語で話しかけると、「ええ?あなたも台湾人?」と嬉しそうな顔をしながら返事が返ってきた。やはり異国の地での同胞、嬉しいものなのであろうか。でも残念。私は台湾人でない旨を伝えると若干驚いていた。だが、その後は普通に会話。どうやらこの家族は今日はディズニーへ行き、火曜日にスペースシャトルの打ち上げを見たいと言っていた。だが、どこで見られるのかとか、許可がなくても見られるのか、とかいった情報がないらしく、困っている様子だった。だが、僕もあまり情報を知らないので、教えてあげられるのは「予約しなくても見られる場所がある」ということだけだった。

 まぁ、僕が明日出発の予定を27日出発に変えた理由もスペースシャトルであるから、家族の気持ちがわかる。スペースシャトルもあと数年?十数年で役目を終えて引退するそうなので、こんなチャンス滅多にないと思う。なぜならスペースシャトルは打ち上げが大体1年に1回くらいで、あと残っているチャンスは多くて20回であろう。その中の1回が数日滞在を延長しただけで見られるかもしれないというのは、運命なのであろうか。キーウェストのユースのデポジットが郵送される宛先もここKissimmeeのユースだ。これは打ち上げを見ろという暗示なのだと自分にかけている。

 10時くらいに何もすることがないので、ベッドで地球の歩き方を見ていたらいつの間にか寝ていた。起きたら13時過ぎ。今晩は寝られないぞ。

 昼は冷凍食品の「Hungry Man」というフライドチキンとマッシュポテトが入った600g以上あるボリュームのあるのを食べる。さすがにXLサイズだったので、後半お腹が張ってきたが、何とか完食。これで5ドル弱なのだから、非常にお得だと思う。電子レンジがあれば、アメリカでの食事は本当に便利だと思う。最近は日本でも冷凍食品はすごいが、安いのは少ないと思う。いや、僕がただ安いのを知らないだけなのかもしれない。

 昼食後、ダイニングルームでボーっとしているとDavidというシアトルから来たアメリカ人が話しかけてきた。彼もまた27日に行われる発射を見るために、Kissimmeeの宿に泊まっていて、今日何もすることがないそうだ。彼に見えるポイントを教えてもらった。国道1号線なら大体どこでも見えるそうだ。彼の場合、車での移動らしい。僕のバイクの旅に関して、非常に驚きつつも、興味を持ってくれた。
 ちなみに発射時間は26日10時37分だそうだ。ここを7時か8時に出れば見られると思う。本当にこんなチャンス滅多にない。感動すること間違いなしだが、打ち上げがキャンセルになる場合もあるから、あまり期待しないように自分に言い聞かせている。

 20時くらいにオオヤマ氏が帰ってきた。バイクも無事で何より。彼もケネディー宇宙センターが見られて満足そうな顔をしていた。オオヤマ氏も車好きで、一緒にバーガーキングに行き、色々と車や旅行の話をしながらバーガーを頬張った。

 ここの宿は20時から23時までの3時間、無線インターネットが無料で利用できる。いつもは2、3人しか利用しないのだが、今日は5、6人の利用。これだけ大人数がネットをすると回線速度がダイアルアップ以下になってしまう。どんなシステムで運用しているかわからない。非常に不便だが、使えないよりはマシだ。

 晩御飯用に買ってきたステーキ肉は明日の昼に食べようと思う。まぁ、ここの宿にはあと3泊予定なのだから。

本日の走行距離: 151マイル(241km)
総走行距離:6153マイル(9844km)

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月23日

2005年7月23日(土)

  7時20分起床。8時前にチェックアウトしようとしたら、オフィスが開くのがなんと9時から。このままではデポジットで払った5ドルが返ってこない。中庭に座っている西洋人のルームメイトにどうしたらいいかを聞いたら、「Early Check Out」のシステムを教えてくれた。紙に住所を書けば、5ドルを郵送してくれるそうだ。まぁ、あまり期待していないが、5ドル返ってきたらちょっとしたご馳走でも食べようと思う。

 8時過ぎに走る車はそんなには多くなく、非常に快適に走れた。昨日チェーンに油を差したからか、走り出しも順調だ。

 周りを海に囲まれたFlorida Keysをいよいよ離れていく。だが、ガソリンがなくなり、給油。しかしKey Westでは今まで走ったところで最高値のガソリンであった。普通は1ガロン、2.2~2.3ドルくらいなのだが、Key Westは2.49ドルが平均だ。まぁ、日本でも観光地のガソリンは結構高いので、それはアメリカでも同じという事かな。

 フロリダ市に差し掛かったときにマイアミ方面の95号線で行くか、はたまたEverglades方面から行くかの分かれ道で、同じ道を通るのはつまらないので、Everglades方面に進路を変える。

 片道1車線ずつの狭い道だが、かなりの田舎道で、交通量が少ないので、スイスイと進める。しかも信号も少ないので、込んでる高速道路より速いかもしれない。

 Belle Gladeという町で、昼食。マクドナルドだ。いつものようにビッグマックを頼み、席に着く。隣に白髪のおばあさんとおじさんがいた。ギルバートさんとチェリーさん?で、色々と話しかけてきた。オハイオ州に住んでいるらしく、僕のライダースーツに興味津々。色々話し、「17、8歳に見えるけど、何歳?」なんて言われた。25、6歳と言われた事はあるが、10代に見られたのはこれが初めてだ。アメリカではこういう何気ない所での会話が楽しい。英語が出来ればもっと楽しいのであろう。

 ギルバートさんたちに挨拶をし、マクドナルドを出て、また国道を走る。この国道が途中で閉鎖されており、回り道をしなければならない事態になってしまった。右か左か選択する時に、なぜか右を選んでしまった。結局選択してから地図を見るとどちらでも行けることがわかった。だが左を選んでいれば距離が若干短くなっていたはず。でも右を選んだおかげで、360度見渡す限りトウモロコシ畑の中を走れてよかった。しかも地図には載っていないような道だ。そんな道でもちゃんと舗装されているアメリカの道路ってすごいなぁと思う。

 宿の近くに差し掛かった所で、軽い渋滞。工事をしているためである。結局夕方16時半に到着。宿に着くと、マネージャーらしき韓国系の人が「バイクが停めてあったから、また来たんだとわかったよ」と僕の事を覚えていてくれた。割り当てられた部屋は前回と同じ部屋。だが、若干メンバーは変わっていた。

 元々は2泊しかしない予定ではあったが、結局4泊することにした。なぜならスペースシャトルの打ち上げが27日火曜日にあるからだ。それまで何もすることがないが、今までずっと走ってきて、疲れている体を休めるチャンスだと思って、お金を払った。幸いここの宿は一泊18ドル08セント(税込み)なので、経済的負担をあまり大きくない。

 夕食は久しぶりに野菜を食べた。スーパーでサラダを売っていたからだ。結構な量があって2ドルちょっと。それプラスご飯が食べたかったので冷凍食品のリゾットを食べるが、これはただ腹を満たすものだけでしかなかった。

 喉がかなり渇いていたので、Milwaukee's Best ICEがかなりおいしく感じた。Key Westでは一滴もアルコールを飲んでいなかったからという理由もあるであろう。

 買い物の内訳 ビール16oz×6=2.99ドル、サラダ 2.54ドル、ドレッシング 0.29ドル、バナナ6本 0.74ドル、冷凍食品 1.67ドル プラス税金0.21ドル 計8.44ドル

 バイクに乗っていて時々グローブを外して運転するのだが、そのせいで手が日本人離れしたくらい黒くなってしまった。


本日の走行距離: 386マイル(617km)
総走行距離:6002マイル(9603km)

2018年2月7日水曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月22日

2005年7月22日(金)

 8時過ぎに起床。9時にはもう出発。目指すはセブンマイル橋近くの海岸。今日はノーヘル、ランニング、海水パンツの格好で走る。(あとで聞いたのだが、保険がない人はヘルメット着用が義務づけられている。僕は海外旅行保険があるので、ノーヘルでも大丈夫だと思ったのだが、どうやら海外旅行保険ではあまり良くないらしい)

 来る時に結構いいビーチを見たので、そこに行こうとおもったが、なかなかたどり着けない。結局30マイルくらいKey Westから離れた所のセブンマイル橋のすぐ横のビーチで日焼けを楽しむことにした。人気(ひとけ)が少なく、海水も非常に澄んでいる美しいビーチで、3時間くらい過ごす。

  お腹が減ってきたので、またKey Westに戻る。今日は何を食べようか考え、地球の歩き方オススメのPepe's Cafeに行って、店に入るも、一人じゃ入れない雰囲気だったので、すぐにドアを開け出る。
 お腹がだいぶ空いていたのだが、迷いに迷い、今まで食べてこなかったファーストフードのWendy’sで食べることにした。非常に空腹だったので、ビッグサイズを注文。たらふくフライドポテトを食べ、いい感じにお腹がいっぱいになった。

 お腹がいっぱいになったら、今度は近くにあるスーパーへ行き、チェーンオイルを購入。ジョージア州辺りからチェーンの音がシャラシャラするので、気になっていた。5000マイルも走っているからチェーンが伸び始めてきたのかな?と思ってチェックしても、あまり伸びていない。たぶんインディアナ州にいる時の豪雨で、チェーンオイルが流れてしまったのであろう。
  そうそう使うものではないので、一番小さいサイズのチェーンオイルを購入。税金込みで3ドルだ。まぁ、次また使う機会があるであろうから、高くはないと思う。

 宿近くの浜辺へまた行く。ここのビーチに人は思ったほどおらず、木の下で2時間ほど睡眠を取る。波があまりないので、「ザブーン」という波の音は聞こえないが、ジェットスキーのエンジン音はどこからとなく聞こえてきていた。ここでの睡眠、非常によかった。今度は、本でも読みながら過ごしたいものだ。

 宿に戻り、バイクをちょっとだけ洗車。久しぶりの洗車にRebelもうれしそうだ。だが、汚れが意外にも頑固で、そんなにきれいにならなかった。やっぱりタオルがあったほうが洗車しやすい。洗車のついでにチェーンに油も注す。やっぱりチェーンのオイル切れの音だった。油を注したら全然音がしなくなった。ああ、もう少し早い段階で注すべきだったのであろう。

 オイルを注した後、アメリカ本土の最南端Southernmost Pointへバイクで行く。ここで写真を数枚撮るが、バイクが入った写真を撮りたくて、バイクを停めて、パシャリ、パシャリと撮り、足早にその場を離れ、カメラをケースに収納。

  と、ここで後ろを振り向くと、白地の車が僕のバイクにぴったりとくっついているではないか。パトカーだ。中にいる警官はただ車内の機械をいじっているだけで、僕に停まれだの、バイクを降りろだの言ってこない。確かに、僕が写真を撮った場所は駐車禁止ではあるものの、停車に関してはOKの場所だ。(縁石の黄色い線は駐車禁止の意味。)だから、切符は切られないはず。だとしたら、もしかしてノーヘルに関してか?いよいよ心配になってくる。

 恐る恐るバイクを発進させるも、パトカーは動かない。このまま進んで距離がだいぶ離れた所になってもパトカーは動いた気配はない。さて、どうなることやら。もしかしたら最南端で撮った写真が1枚数百ドルの写真になってしまうかもしれない。

後ろに見えるのが最南端の目印

 最南端の場所から一旦バイクを置き、今度は国道1号線最南端へ行く。ここが1号線の終着点である。

標識が0マイル
一番上に「END」と書いてある。
 起点でもあり終着点でもある。

 昨日からここKey Westに訪れて気がついたのだが、僕が日本で使っているスクーターの「Scoopy」。なんとここでも見ることができる。レンタル用に貸し出されているものが殆どであるが、なんだか親しみのあるスクーターである。アメリカでは「Metropolitan」という名前で発売されており、若干デザインが違う。
Metropoitan という名前らしい。

 
過去に私自身が乗っていた赤のスクーピーを発見

市街地はこんな感じ。

郵便ポストが可愛かった。

 宿に戻り、バックパックの中に3週間も入りっぱなしのインスタントラーメンを宿の台所で作る。作っている間、ずっとアメリカ人のおじさんが日本を訪れたことについて、話しかけてきた。日本はいいところだを連呼していた。よっぽど気に入ったのであろう。まぁ、僕も日本や台湾でアメリカ人にあったらアメリカはいい所だと言うであろう。

 また別のアメリカ人は「神戸牛は最高だ。アメリカでは味わえない味だ」とえらく感動していた様子。しかも食べたのが20年くらい前の話だが、今でも食べたがっている。よっぽど気に入ったのであろう。

 宿の中庭で飯を食っていると日本人らしき人がカップラーメンを作って別のベンチで食べ始めた。勇気を持って「日本の方ですか?」と話しかけるとやっぱりそうだ。イトウさんという小さな新聞社で働いている人だった。6週間の長期休暇をとってバス旅行をしているそうだ。僕と反対のルートで、シアトルから入り、サンフランシスコ、LAなどへ行き、今中間点のKey Westにいるそうだ。これからはワシントンDCに行って、NY、ナイアガラ、シカゴ、そしてシアトルへ戻るそうだ。若干僕のスケジュールと重なる。もしかしたら、ワシントンDCのユースホステルでまた会うかもしれない。

 23時くらいに別の日本人女性が話しかけてきて、スペースシャトルの発射が今度の火曜日26日に行われるそうだ。スペースシャトルの打ち上げなんて、なかなか見られないので、Kissimmeeに火曜まで滞在しようか今非常に迷っている。

 結局24時前に明日二人とも早いということで、話をお開き。さっきの日本人女性はどこかへ出かけたようだ。

本日の走行距離: 96マイル(153km)
総走行距離:5616マイル(8985km)

2018年1月21日日曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月21日

2005年7月21日(木)

 なんと昨日、宿の中庭で西洋人たちとビールを飲みながら話していたのだが、24時半くらいにどこの誰だか知らないが、「もう遅いから終わりにしてくれ」と言われ解散。ある者は部屋に戻り、ある者はビーチへ行った。僕は前者で部屋に戻ったのだが、ビーチに行ったルームメイトのアルバートは今朝

「昨日ビーチに行ったら、あのイギリス人女性、服を脱いだんだよね」

 と言うではないか。あのイギリス人女性って、結構グラマーだったからなぁ。。。。アルバートの喜び様を見れば、おいしい思いをしたことが、すぐに伝わる。ああ、本当に残念!行ってれば、見られたっていうことでしょ。。。ああ、本当に悔しい。やっぱり見たくなるさ、僕だって。

 アルバートとマットが出発してからすぐに僕も部屋を出る。シーツ等をフロントに返し、デポジットを返してもらいチェックアウト終了。それからバイク置き場に行き、エンジン始動。

 9時10分に出発。治安が悪いと言われているマイアミ市を通らなければならなかったが、通ったところが治安が最も悪いダウンタウンではなかったので、何事もなくとおりすぎた。

 バーガーキングのワッパーを食べる。10時過ぎでお腹があまり減っていないせいなのか、フライドポテトを食べ、ハンバーガーを半分くらい口にしただけでお腹がいっぱいになったしまった。食べ物を残せない性分なので、無理してお腹に詰める。

 食事してからしばらく走ると、いよいよ標識に「Key West」の文字が見え始めてきた。
フロリダの綺麗な海を背景に撮影。

100マイル以上あるが、長い橋を自分で運転できるのであれば、100マイルという距離は非常に短いものになるだろうと思っていた。
  しかし、いくら走っても、短い橋はいくつかあれど、長い橋にはなかなかたどり着けない。MarathonというKey Westとフロリダ半島の中間くらいに位置する空港がある島にたどり着いても一向に長い橋が見えない。

 おかしい、おかしいと思っていると、ついに見えました。長い橋が!
セブンマイル橋
海の中を走る感じ

右に見えるのが鉄道に使っていた橋
 時速約60マイル(時速96km)で走行中に撮影

 思ったほど橋の区間が短くがっかりした。期待しすぎていたのかもしれない。確かに7マイル(11km)もずっと海の上を走るというのはすごい事だ。

 あっという間に橋の区間が終わり、小さい橋と島の道路の連続だ。だが、セブンマイル橋を過ぎたらKey Westにいつの間にか着いていた。「なんかこの島、結構栄えてるな」と思ったら、そこがKey Westだった。

 早速宿を目指す。ユースホステルで「ガラガラだから予約しなくてもいいですよ。」と言われていたので、もちろん予約もない。South Stを走り宿らしいものを探すが見つからず。一旦停止して、かばんの中からガイドブックを取り出し、住所を確認。なんと一旦停止した20メートル手前が宿であった。なんだ、ここだったのか、と思った瞬間、ガイドブックがドスッ、ボチャンと水溜りに落ちる。あっという間にガイドブックがフニャフニャになってしまった。ああ、みそぼらしい。

 宿は意外に高く28ドルプラス税金。まぁ、仕方ない。出来れば3、4泊したかったが、2泊のみにする。

こちらも名前が変わっている。

 荷物を置き、眠かったので少し寝る。この睡眠がなんとも言えない幸せなのだ。起きると、早速町を散策。南国の町らしく椰子の木が茂り、時間もゆったりと過ぎている。繁華街は西欧人が多く、アジア人は殆ど見かけなかった。

 日の入りを見ようと「マロリースクエア(Mallory Square)」へ行くも、雲が多くて普通の日の入りだった。だが、ここの広場には多くのパフォーマーがおり、時間を潰すにはいいかも知れないが、僕には興味ないものにしか映らない。

 夜、部屋に戻り、オーランドで書かなかった日記を記す。

 明日は浜辺に行って日焼け、水泳を楽しむぞ。 

本日の走行距離: 184マイル(294km)
総走行距離:5520マイル(8832km)

2018年1月20日土曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月20日

2005年7月20日(水)
 
 8時40分起床。起床してすぐにレモネードを飲む。一昨日買った奴で、オイル交換の廃油の為に買った。だが、量が結構多くて、100ccくらいは捨ててしまった。まぁ、99セントだから良いっか。

 オイル交換は何だかんだで、うまくいかなかった。ボルトを外した瞬間、レモネードのパックに入るべきオイルがパックに入らず、路面に垂れてしまったり、パックを倒してしまったりと。要らない新聞紙で一応こぼした部分を拭いておいたが、若干残っているので、滑りやすくなってしまった。

 オイル交換後、チェックアウトし、192号線を東に向けて進路を取る。昨日150マイル走ったので、給油。

 14時過ぎやっと昼食。Taco BellというKFC系列のタコスが食べられるファーストフード店である。だからコーラがコカコーラではなくペプシになる。今日はホットソースを多めにかけて、おいしく頂く。
 Taco Bellを出て大通りに入ってしばらく走ると、あれ、おかしい。どこかで見たような光景ではないか。しばらく走ってやっと気がついた。来た道を走っていたのだ。いつも僕は給油にせよ、食事にせよ、反対車線側にある店は利用しない。だから出発時には店を出てすぐの車線を走れば良いわけで、今日もその癖で逆走してしまったのだ。

 正しい方向の1号線を走っていると高速I-95号線の看板が見えてきたので左折。70号線という道だが、しばらく走るとすぐにI-95号線と交わり、高速へ入る。

この交差点を右折

 今まで時速80kmくらいで快適に走っていたのを110kmくらいに速度を上げる。速いのは良い事だけど、エンジンの音が非常に大きく、まるでエンジンが大変で息遣いが荒くなっているように聞こえる。人間や動物が全力疾走した後に「ハーハー」いうのに似ている。

 高速に入ってすぐに給油。ここの店員さん、エキゾチックな女性2人いたのだが、2人ともとてもフレンドリー。バックパックを背負っている僕を見て「重い?」とか聞いてくる。僕がシアトルからバイクで来たんだと言ったら、白人の方が「Crazy!」と言った。はい、そうです。私はクレイジーですね。でも何だか変な意味のクレイジーではないように思えてきた。
 もう一人のヒスパニック系の子の笑顔がとてもかわいかった。久しぶりに「おお、あの笑顔は僕ためにしてくれてるんだな。」と勘違いを起こし始めていた。ポジティブ思考って良い事だ。こんな勘違いがあるからこそ、バイクに乗っている疲労が吹っ飛んでいく。

恐らくここのガソリンスタンド。

 パームビーチという所を過ぎた辺りから高速がだんだんと込み始める。マイアミビーチまであと15、6マイルとなった頃には酷い渋滞で、徐行運転しなければならなかった。徐行運転を40分くらいしていると急に渋滞が解消された。みんなマイアミ市の方へ行くようで、マイアミビーチ方面への車はそんなにはいなかった。

 なるほど、こういう渋滞があるからフロリダには有料の高速道路があるわけだ。 

 宿には17時半到着。結構込んでいるユースで、ちらっと部屋割りみたいな帳簿を見たのだが、空きが無さそうな感じだった。よかった、予約が取れて。宿は21ドルと良心的な価格。デポジットで10ドル取られるが、返してもらえるので、全然問題ない。

強い日差しが印象に残っている。

 部屋は12Bという所で、部屋に入るとイギリスから来たマットという結構甘いマスクの青年が上半身裸でベッドに横になっていた。軽く挨拶して、また僕は外へ行く。バイクを停める場所探しだ。宿の人が13th通りなら、停めやすいというので、そこへ行くが、工事中で停められそうになかった。13th通りに程近い車の駐車場の隣に停めた。停めてすぐ部屋に戻りシャワーを浴びる。もうマットはどこかへ出かけていた。

 18時過ぎ、Savannahでシュさんからもらったインスタント麺を作る。韓国の「辛拉麺(シンラミョン)」である。とりあえず荷物を減らさなければならないので食べたのだが、おいしくて、また食べたくなってしまった。帰国便で韓国に寄ったときに食べようと思う。

 受付がある建物の2階で地図を見て、明日のルートを決める。有料高速は使わずひたすら1号線を走ろうと思う。決めたら部屋に戻る。なぜなら、この2階、結構暑くて、汗がダラダラ出てくるからだ。せっかくシャワーを浴びたのにまた汗だらけになっては、気持ち悪い。
 部屋に戻ると、マットではなくアルバートというコロンビアから来た身長206センチもある人が上段のベッドで横になっていた。ベッドは彼にとって小さいので、僕が使おうとした下の段と交換してほしいとの事。僕は別にどちらでも構わないので、承諾。交換して、僕は町を散策。

 宿の近くはレストラン街で、アールデコ風のメキシコのような建物のレストランが結構並んでいて、しかも呼び込みのお兄さんお姉さんが結構いる。そんな中を抜けて町をブラブラと歩く。マイアミ ビーチは南国であるから、バイクが結構多かった。南国でノーヘルで走るのは気持ちがいいものだ。だから南国ではバイクが結構走っているのかなぁ。マイアミ ビーチで見たバイクはほとんどがスクーター。50~100ccくらいのスクーターだ。

 宿に戻ろうとした時に、宿の近くの裏通りにバイクが数台停めてあった。その瞬間、「ここに停め直そう」と思い、13th通りからバイクを持ってくる。この場所なら宿からさほど離れておらず、しかも安全そうだ。これで安心して停められる。

 また部屋に戻り、アルバートと話す。話しているとマットも帰ってきて、みんなで宿の中庭でビールでも飲もうという事になる。宿の近くの酒屋へ行き、バドワイザー半ケースとコロナビール6本とライムを買う。3人で割ると一人6.3ドルだ。これだけの量が飲めて、6ドルちょいなら安い。バーで飲んだらいくらになるのやら。

 中庭で飲んでいると、金髪の目がぱっちりしているちょっときれいな女の人が話しかけてきた。「おお?いよいよ、僕も逆ナンされたか?」と思ったが、なんてことはない。おとといKissimmeeに泊まっていたイギリス人女性3人のうちの一人だ。どおりでどこかで会ったような顔だと思った。

 それからその女性3人とさらにイギリス人のトム、フランス人のトーマスとアルバート、マットと一緒に飲む。フランスの飲みのゲームを楽しむ。サイコロを振って、出た数によって誰が飲むかとかが決まるというゲームだ。こういう飲みの時のゲームは世界各国どこにでもあるんだなぁと思った。

 ゲームしながらイギリス人トムとトーマスと色々英語で話す。あんまり話せなくても何とかコミュニケーションはとれるものだなぁ。

 24時半を過ぎたころに、どこからかおじさんがやってきて、無言で「おい、もう遅いんだからお開きにしたらどうだ」とメッセージを送る。いったん静まるものの、おじさんが部屋に戻ったらまた騒ぎ出す。
 今度は宿の人なのか近隣の人なのか強い口調で「あと5分で終わりにしてください」と言ってきた。さすがにこれで、西欧人メンバーも静かになり解散となった。飲み足りない人は近くのビーチへ行き、眠い人は部屋に戻る。
 部屋に戻る前にちょっとドイツから来た2人組みの男の人と話すが、彼ら曰く「初めて英語が話せる日本人に会った」と言われた。この程度の英語で「話せる」と言われると恥ずかしくなってしまう。

 部屋に戻るとまた別のルームメイトがいた。彼はトルコから来ており、こちらで働く予定だそうだ。彼も僕と同じであまり英語が得意ではないが、色々と日本について聞いてきた。トルコには非常に親日家が多いそうで、彼も日本にとても興味があるとの事。う~~ん、トルコも行きたくなってきた。

 何時に就寝したか覚えてないが、マットはすぐ部屋に帰ってきて、アルバートは部屋に帰ってきていないのだけ覚えている。今日は飲んだ飲んだ。これだけ飲んで、英語の練習もできて6ドルちょっととは、安いものだ。

本日の走行距離: 264マイル(422km)
総走行距離:5336マイル(8537km)

2018年1月19日金曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月19日

2005年7月19日(火)

 7時20分に目覚ましが鳴るも、起きられず。7時45分に、「やばっ!」と飛び起きる。すぐに顔を洗って、歯を磨き、水筒に水を入れて準備完了。8時過ぎにやっと出発。だが、ガソリンの量がかなり少なくなっているので、給油をしなければならない。前回の給油地点から150マイル走っているのに、まだリザーブを使わなくて良い。かなり節約出来てる走り方だけど、どうしてなんだろう。あるときは満タンで130マイルしか走らないし、今回は150マイル以上。20マイル(32km)の差が出るのであれば、節約した走りをしたいが、何が一番の原因なんだろう。速度とストップ&ゴーの回数なのかもしれない。

 今日のメインは「ケネディー宇宙センター」。オーランドから高速使って45分かかる、フロリダの東側に位置するところだ。だがこの45分ってのは、最短時間の事で、実際には2時間もかかってしまった。しかも通った道がオーランド市内の高速道路を取るルート。渋滞に巻き込まれたのも原因かもしれない。

 10時前に到着。2時間弱かかったことになる。到着寸前の橋を渡ると、左手にシャトル格納庫が見えるではないですか。2時間弱かかったことも忘れて、スロットルを多めに開ける。
  で、駐車場に到着し、停めようとした時に、カートに乗っている係員が「そこじゃなくて、こっちに来なさい」と声をかけてきた。オートバイ専用の駐車場に案内され、バイクを停める。停めたら係員が「駐車場内ではゆっくり走行してくださいね。多額のお金を払わなくちゃいけないですよ」と。あらら、スピード出していた所、見られてたんですね。。。すみません。
  係員は「持ち物にペンチやスパナなど持っていないですか?」と尋ねてきたが、何回も全然聞き取れず、係員が現物を見せてくれて、言っていることが理解できた。

 外国語を聞く時、ある程度相手が言うであろう単語を頭の中で推測し準備しながら聞いているのだと思う。だから準備した単語以外の事を言われると、非常に簡単な事でも全然わからないのであろう。

 ケネディー宇宙センターの入場料は37ドル。だが3.5ドル引きの割引券を持っていたので、得をした。この割引券は宿のパンフレット置き場に山のように置いてあった。たった3.5ドルとはいえ、券を持つだけでビール数本分が得をするのだから、使わない手はない。

 入場券を買い、早速中に入るとセキュリティーチェックが待っていた。セキュリティーチェックのおじさんは厳しいことは厳しいが、その厳しさの中にも優しさが感じられた。
  「このバックの中を開けてください、この水筒の中は水ですか?」とここまでは厳しいセキュリティーなのだが、このあと「おお、この水筒、使いやすそうで、いいね」と言う。日本のセキュリティーじゃ言わないだろう。

 まず最初に向かったのはバスツアー。ガイドブックによると、バスツアーは午後になると込むとの事なので、最初に行くことにした。発射台を結構間近で見たり、アポロ計画に関する資料を見たりと、退屈することはなかった。月の石にも触れたし、アポロ発射の瞬間も疑似体験できたし、満足満足。バスツアーは2時間から2.5時間かかるとパンフレットには書いてあったが、僕の場合4時間もかかった。

 中指で触っている黒い三角が月の石
ただの硬い石だった

 バスツアーが終わり、今度はIMAXシアターを見る。訪れる日本人が多いのか、日本語解説のイヤホンも無料で借りられた。英語に自信がない僕はもちろん借りた。残念ながら中国語は今のところないようです。

 15時頃、訪れた展示場に行ったら真っ暗。どうやら停電のようだ。いつ回復するかもわからず、1時間くらい別の展示場も見ながら行くが、どこも真っ暗。外にロケットが展示してある「ロケットガーデン」へ足を運んでいなかったので、暑い太陽光線の中、色々なロケットを見る。かなり汗をかいて、本来行こうとした展示場に行ったら、何事もなかったかのように、イベントが行われていた。なんだか損をした気分だ。

 お土産屋を見たが、特に欲しいものはなく、例によって手ぶらでお土産屋を出る。もし旅の後半だったら、いくつか買ったかもしれないが、旅の中盤、買うわけにはいかない。
  お土産屋の向かいには火星に関する展示場があり、ここで火星の石に触ることができた。触った感じは月の石と変わらない。ただ単に地球でもありそうな硬い石が貼り付けてあるだけだ。

 最後にIMAXシアターで3Dによる宇宙ステーションでの生活等を主題にした映画を見る。特殊眼鏡を掛けて見る映像は迫力があり、自分が本当に宇宙ステーションの中にいるみたいであった。映画は45分あり、非常に満足。だが、残念な事もあった。残念というより不覚な事といった方が良いのであろうか。上映してから30分くらい経った時に、睡魔が襲ってきて、1、2分寝てしまったのである。

 18時30分にKSCを出発。橋を渡った所にある「宇宙飛行士展示場」も見る。ここでは宇宙飛行士に関するものが展示されているが、一番の魅力は遠心力に耐える装置に乗れたり、月面歩行の感覚を体験できる装置があったり、火星探査車に乗った気分が味わえる装置に乗ったりできることだ。全部やりたかったのだが、時間の関係上、火星探査車しか体験できなかった。遠心力の奴やりたかったなぁ。。。。。並ぼうと思ったときにはもう19時半で、閉館時間30分前ということで、並ぶことすらできなかった。

 19時半に宇宙飛行士展示場を出発。日が落ちかけていて、闇夜が背後から迫ってくる。空がオレンジ色になるのを見ながら走ったが、問題が発生。まず第一に結構肌寒い。半袖で来て、高速走行なのだから、仕方がない。次の問題はオーランドの高速4号線に着いた頃には、すっかり日が落ちており、ヘルメットのシールドが使えないという事。いつも使っているシールドは太陽光線を遮るサングラスのような役目を果たしていて、日中なら効果発揮して快適に視界確保ができるのだが、夜になると今度は見えなくなってしまう諸刃の剣。夜は乗らないだろうと、この黒いシールドを使ったのが、いけなかった。仕方なくシールドを上げて、ピューピュー風を切るを聞きながら高速走行。21時過ぎに宿に到着。

 宿についた頃には腹が減って減って、フラフラになりそうだった。だから夕食はまたまたステーキ。昨日1lbない肉を食べて、腹7分目だったので、今日は1.3lb(おそらく500g以上)の肉を購入し、ステーキにする。4.41ドルだけの出費だ。あと来るときに乗ったアシアナ航空の機内食についていたコチュジャン(辛子味噌)も使った。これだけの肉を食べると、アゴが疲れる。でも昨日に続き非常に満足な夕食であった。

 明日はおそらくマイアミを訪れるであろう。 

本日の走行距離: 151マイル(241km)
総走行距離:5072マイル(8115km)

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月18日

2005年7月18日(月)

 9時15分、ドンドンとドアを叩く音で目覚める。部屋の清掃のためだ。

 トースト2切れにクリームチーズを塗って、オレンジジュースを注ぐ。結構豪華な朝食だ。それだけじゃ足りないというか勿体無いというか、貧乏性というか、コーンフレークも頂く。

 A1Aという道は非常に綺麗な道であった。海を眺めながらの走行。降り注ぐ太陽光線の中、半袖で走りたい気持ちを抑えて、ひたすらライダージャケットを着て走る。



こんな青い海を眺めながら走れるフロリダ
また来るぞ~!

 Daytona Beachには、見所がある。Daytona International Speedwayである。有名なDaytona USAのレース場である。今回は荷物があったので、外観を見るにとどめた。キーウェストから北上するときにおそらく訪れると思う。

Daytona International Speedwayにて

 Daytona Beachを過ぎてから今度は高速を走る。やはり風景が楽しめないので、つまらない。

 今回時速80kmくらいで走っていたら、燃費が非常に良かった。普通は満タンで140マイル走れば良いのだが、今日は150マイル走った。150マイル走った時点で、またリザーブも使っていなかったので、もうちょっといけたかも。

 宿に到着は16時頃。このユースは公共の交通機関がないので、非常に不便だが、今回僕はオートバイで旅しているので、そんなことはあまり関係ない。
  宿のマネージャーらしき人は韓国系アメリカ人。フレンドリーで結構親切。スタッフが良いと、そこのユース全体がよく見えるのは気のせいだろうか。ホスピタリティーというのは大切だと思う。

ここも何も変わっていない。

 晩飯はステーキ。宿の向かいに大きなスーパーがあり、そこで米国産牛を購入。単位がよく分からないが0.9lb(200gくらいなのかな?)でたったの2.8ドル。これをフライパンで調理。味付けは塩コショウだけだ。一応、宿にステーキソースがあったので、それをかけて、最後にアシアナ航空の機内でもらったコチュジャンをつける。ああ、非常に満足。

このおじさんのように宿から歩いてスーパーへ行く。

 夜、同室の人とダイニングで話す。なんと台湾人じゃないですか。初めて見たユースでの台湾人。本当にユースホステルを利用する台湾人というのは、日本人、韓国人に比べると圧倒的に少ないと思う。

宿の前で台湾人Jackyと撮影。

 明日はケネディー宇宙センターへ行くつもり。非常に楽しみだ。

本日の走行距離: 149マイル(238km)
総走行距離:4921マイル(7873km)

2018年1月18日木曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月17日

2005年7月17日(日)

 10時起床。南部だけあって、蒸し蒸しする暑さで目が覚めた。ヨウさんも起きたばかりのようで、暫くしてから朝食の準備に取り掛かりに行った。僕は荷物をまとめて、顔を洗っていた。アキラさんは既に不在であった。

 朝食はトーストにベーコン、目玉焼きを挟んだものにコーヒー、それにリンゴとブドウと久しぶりに豪勢な朝食だった。

 11時過ぎにサバンナ観光。ここは以前ジョージア州の州都だったようで、町並みが歴史のある建物ばかりだ。故に建物の建築・取り壊しに関しても、規制があるらしい。規制があるからこそ、このように古い町並みが今でも見ることができる。アジアの観光地というのはこうした規制が少ない、或いは全くない為、景観が壊されてしまっている場合が結構多くあると思う。例えば東京日本橋。あんなに有名な橋も、首都高の下で太陽の日も浴びずに残っている。首都高で得られた利益も大きいだろうが、失った利益も少しはあると思う。何の利益を優先させて、何の利益を切り捨てると言う線引きはとても難しいものであろう。

 13時半ごろ、サバンナのダウンタウンのメイン通りBroughton StにあるGOODWILLという古着屋さんに入る。日本で古着屋というと何でもないような洋服が、結構良い値段(←高いという意味)で売られている場合が多いが、このGOODWILLという店、ヨウさんの話ではお金持ちなどが要らなくなった洋服を寄付のような形でこの店にあげて、この店が洗濯をしてから、低所得者の人を対象に商売している店なのだとか。この店はフランチャイズのようで、サバンナだけでも4軒あるそうだ。店々を回っていると、時々掘り出し物があるそうだ。例えばビンテージ物のジーンズとか。僕は洋服のセンスが全然ないので、服を買うときの要因は「値段」のみ。多少大きくたって、安ければ買っちゃう。こういう店が日本にもあれば良いのに。。。。Book Offがあるのだから、洋服のBook Offみたいなものも商売になるのでは?と思ってしまった。いや、商売にならないかな、、、、貧富の格差があまり無く、外見を重視する日本人相手じゃ。

2007年当時のStreetView


現在(2017年8月時点)では、閉鎖されてしまったとのこと。

ここで、僕は海水パンツを購入。3.04ドル也。フロリダ南部で泳ごうと思っているので、安く済ますにはこういう所で買うのがいいであろう。恐らくビーチ付近やスーパーなどでも売っているとは思うが、こんなに安いものではないだろう。こんなに安いんだから、使わなくなったら、気兼ねなく捨てられるし。使い捨てと割り切って穿こうと思う。

 さらに映画撮影で使われた広場や公園に行く。1つはフォレスト・ガンプで、ガンプがベンチに座りながらチョコレートの箱を開けるシーン。そこの広場へ行く。なんとなく記憶に残っているが、正直あまりピンと来なかった。帰国時にもう一度見てみるか。あともう一つはクリント・イーストウッドが監督をした作品で、その作品の冒頭に出てくる公園を見た。この映画は聞いたことも見たこともないから、その公園を見ても何の感情も湧かない。だが、帰国してその映画を見て、「ああ、ここ、行った、行った」と思い出せるように、公園の景色をしっかり頭に叩き込んでおいた。

Forrest Gumpのガンプが座っていたベンチの撮影場所。
Google Street Viewと実際の映画のシーンを見比べても
正直、「ここだ!」とすぐにわかるものではなかった。

ちょっとポーズをとってみた。

Forsyth Parkでもポーズ。

Google Street Viewを見ると何も変わっていない。

 15時、短かったが、非常に充実したサバンナでの滞在もこれで終わり。ヨウさん、シュさんに見送られながら、バイクのギアを上げていく。市内の西側にある高速へ向かえば、あとは標識どおりに進むだけ。

 Interstate95号線に入って暫く走っていた。ここで、危うく事故るところだった。

 3車線あるうち、僕は遅いからいつも右側車線を走っている。右側から合流してきた自動車が僕の目の前に入り、更に左側の車線へと移動。

 その時だ。その自動車の右側から円盤のようなものが出てきて、ふわふわと宙に舞った後、僕が走っている車線の方へコロコロと転がってくるではないか。そう、円盤のようなものはホイールカバーで、恐らく急加速しながら車線変更したのと留め方が緩かったのが原因で外れたのであろう。
  僕の目の前5メートル先くらいに来たとき、右に避けようか左に避けようか瞬時に判断。右に避けながらカバーを通り越そうとした。だが、カバーはどんどん右側へ来て、ホイールカバーとバイクの 間隔があと30センチくらいという所で、僕のバイクがホイールカバーの横を通過した。あと1秒遅かったら恐らくホイールカバーに当たり、転倒していたであろう。

 そんな事を考えたら、心臓がバクバクと激しく打ち始めた。僕は本当にラッキーだと思う。金運面ではあまりラッキーな事などないが、こういう命がかかった場面では、意外に幸運ぶりを発揮している。長生きしろという思し召しなのか、はたまた天国で必要とされていない 存在のか。いずれにしても冷や汗の出る思い。今思い返しても恐ろしいことだ。

 暫くは前方車との車間距離を多めに取って走行。遅いと思われようが、自分の命が一番大切。守るのは自分自身なのだから。

こんなようなまっすぐな道を走っているところで
前方の車のホイールカバーが外れ、危うく激突するところだった。

 Euloniaという所で給油した時に、20台はあろうか、ハーレー・ダビッドソンの軍団がGSの脇で休憩をしていた。ハーレーの給油口はどうやら2つあるらしい。
  給油が終わり、お金を払い、さて、ヘルメットを被ろうとした時に、軍団のリーダーらしき人が、僕のほうへやってきた。「どのくらい距離乗ってるんだ?」と聞いてきたので「SavannahからJacksonvilleまで行くつもり」と答えた。リーダーらしき人は「おお、こんな小さなバイクで頑張ってるね。バックパック背負って走ってるんだろう?」と言い、僕が「ええ、これでシアトルから来たんですよ。」と言ったらかなり驚いていた。
  「Good Trip」と手を差し出してきたので、彼と硬い握手。このように気さくに話しかけてくれるアメリカ人。
  出発しようとギアをローに入れ、発信すると、そのリーダー、仲間たちに「おい、あそこの東洋人、あんな小さいバイクでシアトルから来たんだってよ」と伝えていた。で、仲間の「ワオ~!」というのを聞こえたのと同時にガソリンスタンドを離れていった。
  日本人ライダーがよくやるバックパックを背負いながら250ccのバイクでの長距離ツーリングは彼らにはあまり理解できないようだ。 でももともとは50ccでやろうとしており、もしアメリカに良い50ccの新車があったのであれば実行していたであろう。

確かここのガソリンスタンド。

 高速に戻り、今日の宿をどこにするか考える。Jacksonvilleは近すぎるから、ツーリングしている感じがしない。かと言ってデイトナビーチ(Daytona Beach)まで行こうとすると距離はあって、良いのかも知れないが、宿探しが20時くらいになってしまう。大体18時くらいに宿探しできるSt.Augustineというところに決める。

  Rest Areaで、一番安い宿を探す。だが今日の宿はかなり高級。普段は60ドルくらいのプール・ジャグジーがついている宿。だが、日曜スペシャルと言うことで、37.95ドル+税で泊まれるとなれば、泊まるしかないでしょ。St.Augustine付近の宿を見ても、36ドルとか37ドルとかばっかり。迷うことなく、このHoward Johnson Express Innに泊まる事を決めた。

綺麗なホテルであった。

 宿の駐車場にて
 ヘルメット無しでも乗れるフロリダ州

 この撮影の直後である。あっ!やばい!部屋に鍵を忘れた!すまなそうにフロントに声をかけると、フロントのおじさん、「ああ、そんなに気にしなくていいですよ。全然問題ないですから」と非常に優しく対応してくれた。しかもこの宿の付近の情報など色々と教えてくれて、親切だった。インド系の人なのであろうか、発音に癖があるものの、優しく対応しているからであろうか、スラスラと頭の中に入っていく感じがした。まぁ、恐らく僕自身の思い込みなのであろう。

 夕食は近くにあるレストランにしようかファーストフードにしようか迷った。だが、レストランは少々高そうな所だったので、結局Diary Queenというハンバーガーのファーストフード店を選択。5.52ドルだからマクドナルドより高めだが、パティの作りは結構ジューシーだった。


 明日はデイトナを通り、オーランド近郊のキシミー(Kissimmee)へ行くかCape Canaveral付近へ行こうか迷っている。キシミーには宿泊代の安いユースホステルがあるが、ケネディー宇宙センターからは遠い。一方Cape Canaveral付近なら宇宙センターからは近いがお値段は少々値が張る。どちらにするべきなのか。明日の朝、決めようと思う。

本日の走行距離: 189マイル(302km)
総走行距離:4772マイル(7635km)

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月16日

2005年7月16日(土)

  8時半起床。ここのユースはドーナツとコーヒーが無料だ。だが、提供時間は8時から9時までと短い時間だけだ。起きてすぐに食堂へ行くも、何も用意されてなく、一旦荷物整理をし、9時前に再びダイニングルームへ行くと、用意されていた。甘いドーナツであったが、無料であるならば、贅沢は言っていられない。

 Rest Areaでバイクのシートに跨りながら、地図を見ていると「これ、Rebelでしょ?いつ買ったの?」と聞いてくるおじさんがいた。おお、Rebelを知っているおじさんがいるのにはびっくりしたが、このおじさん、古いモデルのRebelを持っていて、今のRebelとの違いを教えてくれた。おじさんが買った頃のはリヤタイヤが前輪と同じように細いものだそうだ。今のは、かなり太くなっていて安定するようになったと思う。他にも現地人男性が陽気に「Hey、これ、1ガロンでどのくらい走るんだい?」とか「これからどこに行くんだい?」って聞いてきたりした。こういう何気ない人とのコミュニケーションというのはアメリカ旅行での楽しみの一つでもあると思えるようになってきた。僕がもっと英語が上手だったら、もっと楽しい旅行になっているであろう。

 Rest Areaを過ぎてMaconというところでひとまず給油。ここも先払いで、4ドル分、購入。給油が終わったら、今度は高速を使わずUS-80という一般道をひたすら走る。かなりの田舎道で、交通量はそんなに多くなかったが、対向車線は若干多かったように思えた。

US-80号線
こんな所で写真を撮る人は滅多にいないでしょう
ひたすらまっすぐな道

牛さんがこちらをずっと見てた。

 サバンナへ程近いStatesboroという所で給油とかなり遅い昼食。もうすぐで15時になろうかという時間にやっと昼食。またしてもマクドナルド。

恐らくこのマクドナルド。
似たような店舗ばかりなので、記憶が定かではない。

 17時ちょっと前にサバンナ(Savannah)へ到着。どうしてガイドブックにも載っていないサバンナへ来たかというと、以前日本語を教えていた時の学生のシュさんの彼氏がここサバンナに住んでいて、おしゃべりしているうちに「じゃ、アメリカで会いましょう」という話になり、今回訪れるに至った。

 この彼氏さんは日本人で、同じ埼玉に住んでいる。彼は埼玉真ん中のK市、僕は西部のK市。そんな同郷の人と、初対面ではあるものの、アメリカ、しかもあまり有名ではないサバンナという町で会えるのは何とも不思議な感じだ。

 シュさんの彼氏であるヨウさんはこちらで映画を勉強しており、自分の夢に向かって一生懸命進んでいる人だ。僕の夢はバイクで世界を回ること。彼は映画作成。同じ夢でも、スケールが違う。僕の方は他人に与える価値も感動も何もない。だが、映画は人を喜ばせ、悲しませ、泣かせ、考えさせ、感動させ、、、、、色々な影響を与えることができる。僕がやっていることは何の生産性もない自己満足の夢に過ぎない。だからこうして日記をできるだけ書いて、自己満足だけでなく、「バイク好きの人と旅行好きの人に、僕のささやかな感動を分けたい」と思っている。

 さて、17時に到着したも住所を聞いていなかったので、ヨウさんのアパートがどこにあるか分からず、電話をかける。だが、今日彼はアルバイトで、家にはいない。どうしたかというと、ヨウさんが気を利かせてくれて、携帯電話を彼女であるシュさんに渡しておいてくれたのである。電話をかけるとシュさんが出て、行き方を教えてもらうが、シュさんも地元の人ではないので、僕がどこにいるか分からなかった。幸いにもヨウさんのルームメイト、「アキラ」さんがいたので、アキラさんに教えてもらった。偶然にも電話をかけた場所はヨウさんの住んでいるアパートに程近い場所であった。電話を切り、教えてもらった場所目指し進むと、シュさんがいた。1ヶ月半ぶりに見るシュさんは授業の時と同じだった。が、日本語を話すより中国語でもっぱら話していた。「です・ます形」で話すのはやっぱり不自然だもんなぁ。

 エレベータで上がり、部屋にお邪魔させていただく。寝るのはリビングルームだけだと言うものの、寝かせてもらうスペースを頂けるだけでも有難い。荷物を置き、アキラさんに挨拶をしてからシャワーを浴びさせてもらう。今日の走行は蒸し暑くて汗かいたから、今日のシャワーは気持ちが良かった。

 シャワーの後は明日の進路と宿の予定を立てた。それからシュさんと一緒に近くのスーパーに行く。この辺は非アジア人が多く、治安が特に悪いそうだ。アメリカでもワースト10に入るくらい犯罪が多いらしい。確かに道端で、何をするでもなくボーっと座って、人々を見ている人が多かった。

 スーパーで面白い物があった。無人のレジである。自分で選んだものを、自分でバーコードを通し、買い物袋に入れて、精算という仕組みだ。どういう仕組みか分からないが、ズルできないようにもなっている。

今では普通になってきているセルフレジ。
当時は驚きであった。

 夕食はシュさんが作ってくれた。トマトと卵を炒めた物とチャーハン、爆葱牛肉?の3品であった。味は結構おいしく、久しぶりに米が食べられた事に喜びを覚えた。やっぱり日本男児たるもの、米を食ってナンボかな。ハンバーガーもいいけど、やっぱり米かな。

 23時にアルバイトからヨウさんが帰宅。高級タイ料理でアルバイトしているらしく、今日のチップを見せてくれた。思ったより多くのチップがあったので驚いたが、アルバイトの時給を聞いて更にびっくり。本当にチップがないとウェイター・ウェイトレスの給料が成り立たない仕組みだ。

 アルバイトから帰ってきて疲れているであろうにも関わらず、僕と一緒にビールを飲んで、色々とおしゃべりをした。話を聞けば聞くほど、すごい人だと思った。英語がなかなか上達しないとは言ってるものの、それは恐らく謙遜であろう。英語が上達してなければ、大人数の協力が必要な映画制作を異国の地では作れないはずだ。

 24時ちょっと前にルームメイトであるアキラさんも帰ってきた。アキラさんはこちらで美術を専攻していて、人柄もよく、おっとりしている人だ。芸術家らしく、部屋には数点の作品が置かれていた。そんな芸術関係の日本人2人と芸術の「げ」の字もないアキバ系の僕で色々と語り合う光景は何とも奇怪だったかもしれない。だがシュさんには悪いとは思うが、僕にとっては非常に有意義だった。自己表現の方法は本当にたくさんあるんだなと思った。絵でも良いし、映画でも良いし、写真でも良いし、文章でも詩でも、はたまた演劇、料理でも良い。この旅を通じて、何か自分で自己表現を確立したいものである。

 ビールはヨウさんが昔住んでいたボストンのビール。アメリカのビールと言えば、バドワイザーやミラーなど比較的軽いものが多いが、このボストンのビール、麦芽の味が濃く、ビールらしいビールと言える。おいしくって、いつのまにか4本も空けていた。タダで泊めてもらった上に、ビールまでご馳走になって、なんだか申し訳ない。

 3時に就寝。今日は非常にリラックスしながら楽しい時間が過ごせた。ヨウさん、アキラさん、シュさん、本当にありがとう!

本日の走行距離: 282マイル(451km)
総走行距離:4583マイル(7332km)
ヨウさんの家の近くの公園を訪れた場所にしています。

2018年1月17日水曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月15日

2005年7月15日(金)

  9時45分起床。だが、2度寝。結局起きたのは10時半。昨日の夜はエアコンが効きすぎていて、あまりよく寝られなかった。朝になって、寒さが無くなり、快適な睡眠がとれた。

 もう宿を出たのは11時前。これはブランチの時間だ。宿から約10分くらい歩いたところにVarsityというとても有名なホットドッグのお店があると言うことなので、早速足を運ぶ。30~40メートルはあろうかという長いカウンターにお客はまばらに注文している。暇そうな店員が多々いた。


 僕はチリドッグとフライドポテトとコーラを注文。4.7ドル。高くはないと思う。

これで4.7ドル

店内はこんな感じ

 この部屋には皆で一緒に食べるテーブルはなかった。

 なんとこの店、HOT SPOT(ワイヤレスでネットにつなげられる場所のこと)で、ちょっとメールチェック。そうしたら、マネージャーらしき人が「どうだい?無線が使えて良いだろう?」なんて話しかけてきた。うん、確かにPCがあればとても便利だと思う。

 ポテトを食べながら、メールを書いたので、キーボードに少々油がついてしまったが、かまわないさ。これが原因で故障するわけじゃないんだから。

 食べ終わった頃には、店内も込み始め、多くの客で賑わっていた。ざわついている店をあとにして、進路を南にする。今日はオートバイで移動ではなく、徒歩で移動するつもりだ。

 オリンピック公園でグミをもらった。なんとも怪しいカラフルで、アメリカ人が好きそうなお菓子だ。この公園で噴水ショーを見てちょっとボーっとする。そういえば、ボーっとする時間なんて、アメリカに来てからあまり体験してないなぁ。
コカ・コーラ本社ビル

あらゆるところにコカ・コーラの看板

公園の噴水

 オリンピック公園の次は州議事堂。黄金のドームが乗っている歴史がありそうな建物で、まずは入り口でセキュリティチェック。X線に荷物を通してからの入場。ここは無料だ。無料なのに議会会場が見られたり、ジョージア州の変遷が見られたりと、結構楽しめた。だが、政治に興味がない人にとっては単なるつまらないお決まりのコースとしか目に映らないであろう。
黄金のドーム。
アトランタさんの金箔だそうだ。

中はこんな感じ。

 州議事堂から5分も歩かないで、コカコーラの総本山、アトランタのワールド・オブ・コカコーラへ着いた。世界中のコカコーラファンには堪らないコカコーラに関する物が展示されている。だが、殆どがアメリカ国内での広告や景品などだ。

 チケットを1階で買い、エレベーターで3階まで上がる。上がると目の前にコカコーラの瓶詰めの機械が置いてあり、ガチャコン、ガチャコンと生産の様子を皆に見せていた。

 2階はお楽しみ、飲み放題のブースである。ここではコーラ、ファンタ、スプライトなどお馴染みの飲料が好きなだけ飲めるのはもちろん、アメリカ国内で販売されている「Fanta Birch Beer」とか、「TaB」とかも味わえる。で、色々な味を試して、失敗。このFanta Birch Beer、ドクターペッパーとかルートビアよりもっと薬っぽい味で、飲んだ後も口の中にまだ嫌な味が残っている。口直しにコーラを飲み、やっと落ち着けた。


こんな感じで飲料が出てくる。

 そのアメリカ国内で販売されているブースを過ぎると、今度は世界各国のコカコーラ社が作っている飲料の試飲コーナー。ここでもとてつもなくまずい物を飲んでしまった。どこの国のか忘れてしまったのは残念。

 そして1階に降りるとお土産コーナー。コカコーラに関する色々なものが販売されているが、荷物を増やしたくない僕はひたすらウィンドウショッピング。皆が買い物カゴにバンバンお土産を入れてるのを見ても、「ここで買ったら荷物が多くなって重くなるぞ」と言い聞かせて、出口へ向かった。

展示してあったバイク。

 出口へ向かうと、雲行きがかなり怪しく、遠くでは雷が鳴ってる。ああ、こりゃ一雨来るぞ、と思った矢先、パラパラと降ってきた。だが、パラパラくらいなら、傘をささずに歩ける程度だ。そんな中を図書館目指して歩く。図書館は聞いた話ではインターネットが使えるらしいので、雨宿りを兼ねて、メールチェックでもしようと思っていたのだ。だが、図書館に到着する前にかなりの大雨。しばらく適当な店の入り口で、雨宿りさせてもらう。


 雨宿りすること約30分。一向に止む気配がないので、雨が弱まったところで、図書館まで歩く事を決めた。びしょ濡れになっても良いと覚悟したら、なんと雨は傘を差さなくても良い位に。おお、晴れ男復活か?

 図書館までの道で、現地の子供たちが「傘、要らない?」と数人来たが、断った。これくらいの雨じゃ傘ささないし、傘を買ったら、これからの旅行どうするべきなのか?傘を背負ってバイクに乗れってことか?別に悩んでもいないが、彼らが去ったあと、傘を背負ってる自分を想像してみた。想像した滑稽な姿に思わずププッと笑ってしまった。

 図書館ではインターネットはできず。いえ、可能ではあったが、無線LANが使えなかったということだ。公共のPCを扱うのは何だか気が引ける。スパイウェアでも入っていて、パスワード等盗まれたんじゃ堪ったもんじゃないですからね。図書館をすぐに出てMARTAという地下鉄に乗る。N1(Peachtree Center)駅からN3(North Avenue)駅までのたった2駅だけだ。料金は結構高く1.75ドルもした。遠くに乗るのであれば、この料金はお手頃だが、2駅だけ。東京メトロ(旧営団地下鉄)の新宿から新宿三丁目を通って新宿御苑まで160円で乗るような感じなのかもしれない。

 結局晩飯は今日の午前中に食べたVarsityというホットドッグ屋。ここで同じくフライドポテトを食べて、ホットドッグを頬張る。うまい。お気に入りになりそう。さらにインターネットも使える。ネットカフェに来たと思えば、ここの5ドル弱、安いと思う。結局ここで1時間以上もネットサーフィンさせてもらった。ちなみに今回はソフトドリンクをMサイズからSサイズに変更。14セントしか違わないが、Mサイズは飲めそうになかったので、正解だったのかもしれない。

 その後薄暗い道を携帯電話を片手にさっさと早歩きで宿へ向かう。途中で「ねえ、50セント持ってない?」って怪しい現地の人に声をかけられたが、「No、No」で答えて足早にその場を去った。おお、恐ろしや、恐ろしや。

 なんたる偶然。以前シアトルで出会った韓国人キム・ジウ氏(6月28日の日記参照)に再びこのアトランタの宿で会ったではないか!確かに彼もユースを回っているので、会う確立はゼロではないが、かなり低いものであろう。もしかしたらアトランタに立ち寄らなかったかもしれないんだし。

 そんな彼と色々と歴史の話をしたが、彼は韓国人に珍しく、反日感情がなく、歴史問題は国家間で話し合えば良い事で、個人個人との付き合いは、歴史問題を抜きに考えたいとの事。それに第二次大戦について、今まであまり深く考えたことがなく、アメリカの博物館で、学んだ物も多かったと話していた。

 彼と話しているとテーブルの向こうに地図と格闘している女性がいた。どうやら彼女もオートバイでアメリカを旅行しているようで、サウスカロライナ辺りのルートを決めているとの事。彼女はカワサキの500ccのバイクに乗っており、かなり長期で旅行しているみたいだった。向こうはアメリカ人、滞在日数のことなど考えなくて良いのだから、気楽でいいなぁ。いざとなったらアルバイトもできるし。

 明日はサバンナ(Savannah)という所へ行こうと思う。高速なら4時間くらいで着くのだが、時間的に余裕があるので田舎道を選んで走ろうと思っている。

本日の走行距離: 0マイル(0km)
総走行距離:4301マイル(6881km)

2018年1月16日火曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月14日

2005年7月14日(木)

 9時15分起床。アトランタの宿の予約をする。チェックインは17時からだとの事。早くアトランタに着いても、困るなぁと思い、今日は高速ではなく、一般道(それでもHigh Wayという名前だが・・・・)で行くことに決めた。とりあえず宿がKnoxvilleの北に位置しているので、高速を使って南に抜けなければならなかった。この時の高速が怖かった、怖かった。雨の高速走行って慣れないものだ。

 411号線をずっと南下した。ここの道は途中片道2車線になったり、1車線になったりと、そんなに交通量が多いわけではない。だが、アメリカの田舎町を見ながら進めるのは、高速では味わえない喜びだ。途中、お化け屋敷みたいな家も見たし、ガレージセールをやっているのも見たし。後半の旅はこういった道を走り、写真をもっと撮ろうと思う。


こんな道を走り続ける

 アパラチア山脈を越えた辺り(丁度テネシー州とジョージア州の境くらい)で、雨が止み、晴れ間も見えてきた。空を見ると雨が降りそうな気配じゃないので、Etonという場所で給油。ならびにフル装備から、レインウェア、レインパンツ、ブーツカバーを外し、グローブを晴天用のものに替えた。

 う~~ん、今持っているレインウェア、小降りに対しては効果的なのかもしれないが、大降りに対してはちょっと弱い。縫い目から若干水が浸透してきて、ウェアの下のジーンズ、ジャケットがちょっと濡れている。もしハリケーンの日に乗らなければならなかったら。。。。。恐らく全身ビショビショであろう。

 ちなみに先日大きな被害をもたらしたDennisという名のハリケーン。もう終わったと思ったら、今度はEmilyという名の新しいハリケーンがアメリカ南部を目指し、北上中。下手したらキーウェスト辺りでばったり出くわす可能性大である。頼むから来ないでくれ!

 411号線をそのまま南下すると高速75号線にぶつかるのだが、時計は15時前を指す。このまま行ったら17時前に到着してしまう。どうしようと走りながら悩んだ末、進路を西に取り75号線の休憩所(Rest Area)で時間をつぶすことにした。そういえば昼食もまだ食べてなかったし。

 Rest Areaではもう良い感じに空が晴れ、汗ばむくらいの陽気になっていた。昨日の残りのフライドチキンを水だけで頂くのは味気ないので、自販機でコーラを購入。1.25ドル。きわめて不健康な食事ではあるものの、非常に満足だ。それからベンチで横になりながら、アトランタの先のSavannahの宿を探す。

Rest Areaで休憩中
マフラーがだいぶ汚れている

 土曜到着予定なので、意外とクーポンが使えないケースがある。絞り込めないまま時間が16時になりそうだったので、Rest Areaを出て北上し、出口を降りて、今度は反対側の車線を走り南下。ここからアトランタまでは60マイル(100km)ほどだ。最近は60マイルが遠くないように思えてきたが、日本で100kmの移動と言ったら、かなりの距離ですよね。それが遠くないと感じるのは日々の長距離移動が原因か?

 アトランタに入ると、対向車線は物凄い渋滞。17時と言うことは帰宅する自動車か何かであろう。僕は逆に市内に向かうのでスイスイと高速を走る。しかし、もっと市内に入ると、自分の走行車線も渋滞。ノロノロ運転で、目的の出口に達するまで些か時間がかかった。幸い出口は北側にあったので、そんなに1時間も2時間もかかったわけではない。もし南側に宿があったなら・・・・・・・。恐らくバイパスを使わず、市内を通って出口に向かっていたであろう。

 中心部の高速は道幅が広い。高速と高速が合流するところなどでは片道10車線くらいはあると思う。だからだと思うのだが、同じ目的地なのに、案内標識が2つあったりする。例えば、僕の場合、75号線Southという高速を走りたいのだが、一番左側に「75号線Southはこちらのレーン」と書いてあり、また一番右側にも「75号線Southはこちらのレーン」と書いてある。どちらに行って良いか分からず、車の流れに従って、走るだけだった。初めてこんな案内標識にあった時は片方の案内標識を見逃しており、「あっ、行く方向間違った」と思い込み、一旦高速を降りて、Uターンして、反対車線を走り、また高速を降りて、また分岐点へ戻ろうとした。だが、降りてすぐに、どちらへ進んでも良い事が分かり、あとは標識どおりに走った。
  幸い今日は交通量が若干多かったので、比較的ゆっくり標識を見ることができたが、時速100kmで走ってる時に、こんな状態に置かれたら、、、、、恐らく迷ってしまうであろう。

 宿は高速の出口を降りて10分も走らないところにあった。昔はアメリカ・ユースホステル協会公認であったが、今は個人経営になったのか、YHの看板はなかった。僕にしてみれば公認だろうが、なかろうが、安い宿には変わらないので、あまりこだわる必要がない。
  フロントは本当にアットホーム、悪く言えばいい加減。チェックインも無事に済まし、駐車について聞いたら、目の前の道路に1ドルで停められるとの事。1日1ドルかと思ったら、4日間有効らしい。チェックアウトが16日の朝なのに、駐車証明書みたいなものには「14日から17日まで宿泊しているゲストです」と書いてあるからだ。なるほど。これなら便利だ。

現在は既に閉業となっている。
住所:223 Ponce De Leon Ave NE
Atlanta, GA 30308

 荷物を部屋に置き、とりあえず付近の散策。喉がカラカラに渇いていたので、コンビニを探そうとしたが、見つからず。逆にスーパーを発見。ここでゲーターレードを購入。冷え冷えのを喉に通すと、なんとも爽快、そして美味。これがビールだったら、さぞかしおいしいことであろう。だが、このスーパーで売っているのは350ml×6缶や350ml×24缶みたいな形である。もしかしたら1缶でも買えるのかもしれない。まだバイクに乗るかもしれないので、とりあえずビール購入は止めておく。またの機会にしよう。

 宿に戻り、ソファーのある部屋で、これからの進路をひたすら考えていたら、いつの間にか21時を過ぎていた。晩飯をまだ食べてない。だが、ここは緯度が高いわけじゃないから、外はもう暗い。どうするべきか。

 さんざん迷った挙句、外へ出ることに決めた。だが、外を1、2分歩いただけでは、ファーストフード店などが見当たるはずもなく、何だか怖くなって宿に引き返す。だが、何も食べないで夜を過ごすのも、とてもひもじい。宿の門の前に、オレンジの自分のバイクがあるのを思い出す。そうだ。バイクならいざと言うときも逃げられる可能性が高い。
  ヘルメットを取って、エンジンスタート。意外や意外。さっき歩いた方向とは逆のところにKFCやTaco Bellなどが見つかった。とは言うものの、臆病者の僕が夜間歩いて行ける距離ではない。バイクがあったからこそ、たどり着けた有難い夕食。Taco Bellというところにする。タコス3つとソフトドリンクがついて4ドル。前回Taco Timeという所で食べたタコスとは全然違って、皮がパリパリでおいしかったし、値段もお手頃価格。Taco Bell、これから結構使わせてもらうかも。日本じゃなかなか味わえないものですからね。

 今日一日のタイトルを「夜のアトランタ」と書いたが、なんでもない。自分にとっては、夜の外出が非常に怖いので、今日の行為はとても印象深い。特にすれ違ったのが、非アジア系の人たち。非アジア系の人たち全員が悪い人というわけじゃないのは分かっている。でも、やっぱりすれ違ったりする時はビクビクしてしまう。まぁ、どんな人種だろうと、警戒するに越したことはない。

 恐らく夜のアメリカを歩くのはあと数回になるであろう。できれば歩きたくない。好奇心から犯罪に巻き込まれたんじゃ、元も子もないですから。

 明日も引き続きアトランタから。コカコーラの博物館へ行く予定だ。

本日の走行距離: 242マイル(387km)
総走行距離:4301マイル(6881km)

2018年1月15日月曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月13日

2005年7月13日(水)

  8時45分起床。目覚ましは7時45分になったのだが、止めて、二度寝。起きたら8時45分。でもまだ眠いので、ベッドの中でウトウトしていたら、いつのまにか9時になっていた。

 雨は小降りだ。フル装備で出発する。案の定高速を走っていると、目の前が水しぶきで真っ白。こんな高速の中を100km/h以上で走っている僕が異常なのか、はたまた普通なのか分からなくなってきた。しかしあまりゆっくり走っても、バイクのテールランプなんぞ、こんな水しぶきの中じゃあってないようなもの。追突される可能性だってある。だから車の流れを見ながら100km/h前後で走るのが正解なのであろう。

 アメリカという国はよく分からん。距離はマイルを使うし、容量はオンスを使ったりするし、温度は華氏だし。。。でも高速を走っていて気が付いたのはトンも使うということ。1000kg=1トン。日本人なら必ず分かるものだが、果たしてアメリカ人も分かっているのであろうか。独自の尺度を使わず、もう少し国際基準に合わせてくれると有難いんですがね~~~。

 昼はマック。Lexingtonという町の高速出口にある店だ。いつものようにビッグマックのセットを頼む。4ドルプラスの消費税。おお、安いなぁ。ここで、子供たちに奇怪な目線で見られている気がした。東洋人が、全身びしょ濡れで、登山用バックパックを背負ってる姿。そりゃ、日本で同じ格好しても奇怪な目線で見られるだろうなぁ。まぁ、そんな目線、僕には関係ない。この子供たちに再び会うわけじゃないんだから。

 マクドナルドでの食事が終わり、ひたすら南下。ケンタッキー州の南端に泊まろうか、はたまた越えてテネシー州の大きな都市Knoxvilleに泊まろうか 、どちらにしようか悩んでいたが、クーポン券にKnoxvilleに良い物件があったので、テネシー州まで一気に駆け下りる。

 宿にチェックイン。ここは29.95(税別)で、インターネットが使える。しかもケーブルテレビも見られるし、なかなか良い宿だと思う。まぁ、州税は高いが、ワシントンやカリフォルニアとかに比べるとまだ安いんじゃないかな。インターネットは追加料金(1ドルちょっと)だが、お手頃価格だ。
  今回の旅、予算の大半は宿泊代。もし2、3人でのツーリングであれば、もっと安上がりになったであろう。例えば今日の宿、2人で泊まれば半分の値段。次回は一人じゃなくて数人でやりたいものだ。
綺麗なホテルだった

 夜飯は食いきれないくらいのフライドチキン。宿から少々離れたところにとてつもなく大きいスーパーがあり、そこで8ピース5ドルで販売していた。これをスーパー内の電子レンジで温めて、ビールを買って、帰宅。初めてビール購入時にID提示を求められた。約1リットルのフォスタービールを頂きながら、フライドチキンにかぶりつき、適当にテレビを見る。いやぁ、極楽極楽。

 今日行ったスーパー、とてつもなく大きかった。最近日本でも超大型スーパーなるものが出店しているそうだが、アメリカはその元祖と言っても良いだろう。本当に大きいスーパーで、本当にこれだけの量を客が買うのか、在庫にならないか、僕が心配してしまうほどだ。

 アメリカは世界の経済の重要な鍵となる国。今の経済を牽引している国である。大量生産大量消費という言葉が普通に使われているように思えてきた。京都議定書に批准しなかった理由もなんとなく分かるような気がする。

 結局フライドチキンは大きい2ピースが余った。明日の昼ごはんにでもするかな。


本日の走行距離: 120マイル(193km)
総走行距離:3670マイル(5906km)

2018年1月14日日曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月12日

2005年7月12日(火)

 9時半起床。雨は降っていなかった。だが、一応上下のレインウェアは着ておいた。宿を出てしばらくするともうインディアナ州だ。インディアナ州に入ってすぐに案内所があり、Motelのクーポンをもらい、ベンチで一番安い宿を探す。「Travelodge」というのが安くてネットがつなげられる宿だ。37.99ドル。いいんじゃない?ここを今日の宿に決めて、コースもついでに考える。高速だけ走るのも味気ないので、74号線を降り、Lebanonで65号線に乗るルートにして、高速に戻る。

インディアナ州に入って直ぐのRest Area

 ガソリンはまだ半分以上残っていたので、給油せずにインディアナポリスに向けて走る。天気予報であれだけ雨が降るといっていたのに、降っていないのは些か変な気持ちだが、向こうの空を見ると黒い雲が見える。あと1、2時間も走れば降るなぁ、と思いCovingtonという所で給油ならびにブーツカバーとバックパックのカバーをかけて、雨に対する準備万端。準備が整った所で、雨がかなりザーザー降りになってきた。ガソリンスタンドの人がとてもフレンドリーで「ここで暫く休んでいったら?」と言ってくれた。休んでも良いのだが、恐らくこの先もザーザー降りになるであろうと思い、結局休まず高速に戻った。

 予感は的中。Covingtonを出て暫く走ると雨がまったく降らなかった。が、インディアナポリス付近の65号線に入ると、100m先が見えないくらいに大降り。雨粒が身体に当たって痛い。痛いと言うと大袈裟だが、うたせ湯みたいな感じだ。
  バイクでの雨天時走行は非常に怖いが、トラック、乗用車はそれほどまでの恐怖感というものがないのであろう。バイクは一つミスをすれば、後続の車に轢かれて、即死亡。だが、鋼鉄で囲まれた自動車であれば、運良ければ無傷だ。そんな気持ちを知ってか知らないでか、僕を追い抜く車の中から陽気に手を振ってくる人がいた。僕が感じている恐怖を少しでも分けてあげたい。

 そんな大降りの中を10マイル(16km)程進むと宿の看板が見えてきた。121番出口を出てすぐにあるところだ。アメリカの高速の出口は名前と番号を使っている。名前は地名なのだが、番号は距離を表している。州の端から1マイルずつ数えていき、例えば18マイル目のところに出口があったら18番出口となるわけだ。

 宿のクーポン券には「High Speed Internet」と書いてあったのに、結局ネット接続不可。フロントに聞いてみると「クーポン券にはそう書いてあるけど、今後使えるようになる」となんとも怪しい答え。まあいいさ。日本だったらクレームの1つや2つ言うけれど、ここはアメリカ。英語に自信があれば別だが、泣き寝入りするしかないのかな。まぁ、泣くほどの大袈裟なものではないが。

当時の名前は「Travelodge」。
またも名前が変わってしまっている。
しかも最新情報(2018年1月)では
「Classic Eyebrows」というお店になっている

  さて、今日はインディアナポリス最大のみどころ、Indianapolis Motor Speedwayへ行く。毎年5月にインディ500という自動車レースファンには欠かせないイベントで、アメリカモータースポーツの聖地と言っても過言ではないであろう場所だ。ちなみに世界3大レースとはインディ500とル・マン24時間耐久レースと、そしてモナコGPである。モナコのコースも歩いたし、今日はインディ500にも来たし、あとはル・マンのコースに行けば、3大レースの地を訪れたことになる。

Speedwayの入り口。

 Indianapolis Motor Speedwayの駐輪場にて
駐輪場と言ってもコース内に止めてあった バイクは
恐らく僕の1台のみだった

レース当日は観戦者で埋め尽くされるのであろう

地面にもロゴがあった

 博物館の中には数々の歴代勝者の自動車が飾ってあって、モータースポーツファンには堪らない場所だ。ただ大きさ的には学校の体育館と同じかそれよりちょっと小さいくらいの場所なのだが、それでも僕にとっては3ドルと言う金額が安く思えるくらい充実していた。価値観というものはこういう時によく理解できる。自動車に全然興味がない人がここに来て3ドル払っても高いと思うが、僕にとっては10ドルでも十分価値のあるものだ。

 モータースピードウェーへはフル装備で行かなかったので、足元や首筋が結構濡れていた。16時にもう宿に戻った。今日は昨日書かなかった日記と今日の日記を書かなければならない。

 夕食は近くにあるSubwayでフルサイズのサンドイッチ。5.71ドルと安くはないが、GSでコーラを買い、宿の部屋でテレビを見ながら食べる。贅沢とは決して言えないが、非常にリラックスした気分で食べられたので、非常に満足。

 次の宿はどこにしようか。ケンタッキー州かテネシー州になると思う。その後、予定には無かったが、アトランタに行くかもしれない。ガイドブックを見るとアトランタはコカコーラ発祥の地だとか。コカコーラ好きとしては行かないわけにはいかないが、コースより逸れているので、行こうか行くまいか迷っている。ああ、どないしよ。

本日の走行距離: 120マイル(193km)
総走行距離:3670マイル(5906km)

2018年1月13日土曜日

北米大陸オートバイ旅行-2005年7月11日

2005年7月11日(月)

 9時45分起床。ダラダラと部屋の中で過ごし、10時半に出発となってしまった。出発前に部屋の前でHonda Rebelを撮影。
カメラの時刻調整をしていなかったのに気付くのは
だいぶ後のことであった。

  まずは宿の隣にあるGSで給油。ここは先払いのところで、何ガロン入るか分からなかったので、3ドル払って1.3ガロンの給油。満タンとは行かないものの、80%くらいは入ったであろう。次の給油はDes Moinesで行うつもりだ。35号線を南下し、あっという間にDes Moinesに着いた。ここでの給油も先払いであったが、レジの人に「どのくらい入るか分からないので、とりあえず3ドルか4ドルくらい」と伝えると、レジのおばちゃんが気を利かせてくれて「じゃ、5ドルここに置いて、給油が終わったら金額を差し引いてあげるね」と言ってくれた。なるほど、そういう方法があったか。

 Des Moinesでの給油が終わったら今度は80号線を東へ向かう。アメリカの高速は非常に分かりやすく、高速の番号さえ覚えておけば、なんとか目的地に到着できる。しかし、本当につまらない。途中ですれ違うライダーに挨拶したり、道路脇にある動物の死体を見て、念仏唱えたりするくらいだ。
Rest Areaからの風景

舗装されていなかった

自撮りは好きではないので、
ヘルメットとバイクのみ撮影

 今日走って思ったこと、スリップストリームというものはすごい威力だ。スリップストリームをご存知でない方にちょっと説明。高速走行時での空気抵抗というのはかなり強いものです。そんな空気抵抗がなくなったらどうなると思いますか?走行はもっと楽になりますよね。スリップストリームとはそんな状態プラス追い風状態になることです。

 高速では大型トレーラーの後ろに付くと、空気抵抗がなくなり、更に空気の流れの関係で空気に背中を押される状態になります。今日はトレーラーが多くて、トレーラーが僕を追い抜き、追い越し車線から本車線に戻ったときにそのスリップストリームが発生するわけです。

 スロットルの開け方が同じでも、スリップストリームに入ると、プラス10~20km/h違ってきます。大型トレーラーの後ろを走るときは注意が必要です。よそ見でもしてようものなら、あっという間に目の前にトレーラーがあるのです。しかもいつトレーラーがブレーキをかけるか分からないので、事故りたくない人はスリップストリームに入らない方がいいと思います。僕もこれからはやるつもりはないですし。。。

 カナダとかでは気が付かなかったが、アメリカ中部のガソリンにはエタノール(Ethanol)が10%くらい入っているのが多く見られる。ガソリンスタンドで給油すると「このガソリンには10%のエタノールが入っています」と書いてあるステッカーが貼ってある。アメリカ全土ではなく、この辺だけなのかな?なんだか騙されたような感じだが、エンジンに影響がないのであれば、構わない。エタノールはトウモロコシから作られているそうなのだから。←そんな事がトウモロコシ畑に書いてあった。

 今日はクーポンに載っていた36ドルに泊まることにし、トウモロコシ畑の中を駆ける。宿の近くになると雨がパラパラと降ってきたが、雨具を使うほどではない。降ってきたと思ったらすぐに止んだ。

 宿では税金込みで40ドルと言われた。あれ、おかしい、と思ったら受付の人がすぐに訂正。僕がクーポンを持ってきた事を忘れていた。クーポンを使って税込み36ドルちょっと。まずまずの値段だ。

当時は「Travelers Stay Inn」と言う名前だった。

夕食のステーキはスペアリブが一緒だったが、スペアリブの味はそんなにおいしくなかった。だが、ステーキはとてもおいしくいただけた。しかも 前回ペプシでいただいたステーキとは違い、ドラフトビールと一緒にステーキを食すのだ。アメリカでは、お酒を飲むときにID(身分証明書)が必要だと聞いていたが、今回宿の近くにあった「Ned Kelly's Of Urbana」においては、注文時に特に何も求められなかった。そういえば、シアトル到着初日に、コンビニでビールを買ったときも何も提示を求められなかったなぁ。もしかしてオッサンに見えるから提示を求められないのであろうか。 いや、東洋人の顔は西洋人から見たら幼く見え、30歳近い東洋人でも20歳以下に見られることもあるとのことだからなぁ。チェックが甘い州なのかな。

 料金は21ドル。ステーキの値段が15ドルだからビールが思ったより高くなくて、良かった。大したサービスではなかったが、とりあえず3ドルをチップとしてテーブルの上の置いておく。

ステーキハウスも名前が変わってしまったようだ。

 かなり満腹になってレストランを出ると、雨が降っていた。まあ、ハリケーンDennisが勢力を弱めて、この辺まで来ているのだから、降って当たり前であろう。幸いバイクに乗っている時は殆ど降らなかった。日ごろの行いが良いからなのであろうか。明日はどんな天気なのであろう。

 疲れたので、日記も書かずに寝てしまった。そんなわけでこの日記はIndianapolisにて執筆。

本日の走行距離: 426マイル(681km)
総走行距離:3550マイル(5680km)